『五木寛之の百寺巡礼』を往く

五木寛之著「百寺巡礼」に載っている寺100山と、全国に知られた古寺を訪ね写真に纏めたブログ。

2 浅草寺

2023-01-30 | 東京都

「百寺巡礼」第41番 浅草寺   熱と光と闇を包む観音信仰

 

五木寛之著「百寺巡礼」のお寺の百山を全部巡ってみようと考えたのは、5年以上も前のことである。

なかなか始められなかったが、平成25年9月に伊勢神宮参拝をきっかけに、帰りの路線上に専修寺があり、ついでではあるが、このお寺からスタートした。その年の暮れに浅草で義姉の法要があり、その帰りに浅草寺に参ることができ2番目のお寺となった。その後令和に入り、参拝客の少ない早い時間帯を狙い写真を撮り直してきた。

浅草寺は都内浅草で、すぐ行ける距離であるが、なかなか参拝する機会が少ないものだ。

浅草寺縁起 飛鳥時代、推古天皇36年(628)3月18日早朝、檜前浜成と武成の兄弟が隅田川で漁をしているさなかに、一体の観音様の御尊像を掬い上げた。その時の郷司であった士師中知はこれを排し、聖観世音菩薩様であることを知り深く帰依し、その後出家し自宅を改めて寺として礼拝供養に生涯をささげた。

 

境内図

 

 

 

夜の雷門

 

 

 

 

全国的に、いや世界的に有名な雷門。  正式な名称は「風雷神門」。  右が風神の像、左が雷神の像。

 

 

 

大提灯は浅草のシンボルである。幕末に雷門が焼けて以降提灯は無かったが、昭和35年(1960)に松下電器の松下幸之助社長が寄進し復活した。

 

 

 

 

「風の神雷門に居候」江戸川柳から。 仲見世側から雷門を見る。

 

 

 

仲見世通り 早朝の仲見世はシャッターが開いてなく、さすが参拝客は少ない。雷門から宝蔵門までの参道で約250mほどの長さに90店舗。明治18年に赤レンガの建物で店が造られたが、関東大震災で壊滅しその後大正14年(1925)に桃山風の鉄筋コンクリート造に生まれ変わる。

 

 

 

 

夜の仲見世

 

 

 

仲見世の裏側 建物は第二次世界大戦で被災するが、大正末期の姿は失われず復興された。

 

 

 

 

店シャッターには、粋な絵が描かれている。

 

 

 

 

仲見世を抜けると宝蔵門の前に出る。左に五重の塔がそびえたつ。

 

 

宝蔵門  天慶5年(942)武藏守の平公雅が仁王門として建立されたという。以来数度の焼失と再建を繰り返したのち、徳川家光の寄進により、慶安2年(1649)に落慶しその威容を誇っていたが、昭和20年の東京大空襲で焼失。昭和39年(1964)に大谷重工社長の大谷米太郎夫妻の寄進により、鉄筋コンクリート造で再建された。ここに伝来の法典や寺宝を収蔵するため仁王門から宝蔵門に改めた。

 

 

 

 

左・阿形像 北の湖がモチーフ。 右・吽形像 明歩谷がモチーフ  いずれも昭和39年(1964)建立 

 

 

 

 

日本橋小舟町の人びとの寄進による大提灯。左右の釣り灯籠は魚河岸講よりのもの。

 

 

 

 

浅草寺と書かれた扁額は京都・曼珠門跡の良尚法親王筆の模写

 

 

 

お水舎  八角形錆御影石の上に高村光雲作の龍神像。天井画は墨絵による龍 

 

 

 

本堂(観音堂) 国宝に指定されていた旧本堂は昭和20年(1945)東京大空襲で焼失し、昭和33年(1958)に鉄筋コンクリートで再建された。

 

 

 

 

本堂の屋根の妻側

 

 

 

 

本堂の外壁

 

 

 

 

 

 

 

 

本堂に上がる階段上部のせり出し向拝に直径4.5mの大提灯。新橋の料亭と芸者衆の寄進で、芸者衆の名が書いてある。

 

 

 

 

正面に観音堂の扁額

 

 

 

 

堂内の内陣と外陣を見る

 

 

 

 

外陣から内陣の御宮殿を見る。御宮殿にはお厨子が安置され中にご本尊が奉安されている。

 

 

 

 

外陣天井まで約10mの大きな空間

 

 

 

 

 

外陣の天井の絵は、中央が川端龍子の画「龍の図」、左右が堂本印象の画「天人之図」。

江戸時代の人たちも天井画にも願いを祈っていたようで「いろいろの願い天女が聞き飽きる」と川柳が残されている。

 

 

 

 

外陣からみた境内

 

 

 

 

本殿から宝蔵門を見る

 

 

 

 

五重塔  朱も鮮やかな五重塔は、昭和48年(1973)に再建された、鉄筋コンクリート造の塔である。塔は基段状の建物の上に建っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二天門【国指定重要文化財】  境内に残る江戸時代初期の古建築。平成22年(2010)に改修された。

 

 

 

そのほかのお堂     上左・影向堂  上右・淡島堂  下左・弁天山  下右・薬師堂

 

 

 

 

鐘楼     昭和25年(1950)に再建された。  梵鐘は5代将軍徳川綱吉の命によって改鋳された。芭蕉の句「花の雲鐘は上野か浅草か」で有名な鐘である。

 

 

 

 

浅草神社  なんとなんと、お寺の境内には神社もあった。

 

 

 

浅草神社本殿

 

 

 

 

本殿

 

 

 

 

影向堂は本堂の西側にあり平成6年(1995)に落慶。その前には錦鯉が泳ぐ池がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この池に掛かる「石造階」と呼ばれる石橋は、元和4年(1618)に神橋として造られ石造りでは都内最古。寄進者は徳川家康の娘・振姫の婿和歌山藩主の浅野長晟。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

境内の北東側には屋台が・・・

 

 

 

 

本堂の北東部にたつ市川團十郎の像

 

 

 

 

 

浅草のシンボルでありランドマークの五重塔は、江戸時代に上野寛永寺、芝増上寺、矢中天王寺と江戸四塔として親しまれた。

 

 

 

 

雷門の前に建つ「浅草文化観光センター」はかの有名な隈研吾事務所の設計

 

 

 

観光文化センターから見た夜の浅草寺と仲見世

 

 

 

 

 

 

 

 

 

浅草地区案内図

 

 

 

 

御朱印

 

 

 

 

金龍山浅草寺

 

参拝日    平成25年12月23日(日) 天候 曇り

所 在    東京都台東区浅草2丁目3-1
山 号    金龍山
寺 名    浅草寺
宗 旨    
宗 派    聖観音宗(天台宗系単立)
寺 格    総本山
別 称    浅草観音
正式名      真言本廟  
本 尊    聖観音菩薩(絶対秘仏)
創建年      推古天皇36年(628)
開基       土師中地

文化財           国指定重要文化財(二天門)重要文化財  

 

五木寛之著 百寺巡礼から       

人は誰しも悪路を進むとき、もう嫌だと歩くのを止めて座り込みたくなったり、なにもかも放り出して死にたくなったりする。そういう人間に対して、その道を歩き続ける力を与えてくれるもの、それが信心ではないかと思う。  

 

参考資料        浅草寺HP

                                 浅草寺 終了