詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

夜へ出かける

2015年11月03日 | 
坂を上がって
川沿いの道に出てはっとする
羊羹のような深い暗い鼠色に
色んな色の明かりが川に長く延びていて

詩を書きたいと思う
書きたいことがたくさんある
ひとつの詩に書けることは限られている
とても分けることができなくて
心にぐいと打ち込まれた杭で
ひとつ引っ掛けるとずるずるずるずる
未分化の感情が引っ張りだされてくる

この川の流れ
大きくてもう流れには見えない
ゆらゆら無数の筋が揺れているだけの水面に
長く延びて映っている
色とりどりの明かりが
感情の間口をさらに押し広げて

川べりを歩いていると
ずっとずっと歩いていると
もつれた糸の端を握ったまま
向こう側へ渡ってしまった人のところへ
辿って行けそうな気がするのに
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こんなん

2015年11月03日 | 雑記
最近少しずつ本や映画などを鑑賞できるようになってきた。先輩が亡くなった知らせを受けた瞬間に、冷たい水をかぶったように価値観がザバッと洗われて(洗礼のように、かもしれない……)、大切なものは本当に少なくて夜空に瞬く星のようにきれいにシンプルだと思った。いろんなことへの興味がごっそり抜け落ちた。自分の中に物語が充満して渦巻いているから、外の物語をまったく受け付けなくなって、ひたすら読んでしまったのはスピリチュアルや死後の世界について書いている本やサイトだった(これもある種の物語なのかもしれないけれど)。先輩に会いたくて。また会えるのだと知りたくて。結局はそれも自分がどう思うかの「自分の」判断に過ぎないという答えに行き着いてやめたのだけれど。

なぜ人は死ぬんだろう?
生きているって、死ぬってどういうこと?
子どものように思ってしまい、以前よく読んでいた池田晶子さんの本を開いたりした。池田晶子さんも4×歳という若さでガンで亡くなっていて、先輩が行った先のそっち側にいる、と思うと、なぜかよくわからないけれど、少し安心したりした。ほんとに、我ながら意味がわからないけれど。

と、ここまで書いてきて、池田晶子さんが亡くなったのは正確には何歳だったっけ?と思い、そこからほんの数歩の本棚に行けばわかるのに、面倒がって手元にある携帯でネット検索。
池田晶子(文筆家)
池田晶子(アニメーター)
とあって文筆家の方です。

読み進めて行くと……
えーっ!!!!!
え、えーっ!!!!!
そ、そうだったの?!知らなかったー!
実は『JJ』の読者モデルをしていた、なんてー!
さっそく、帰ってきた夫に報告する。
「えーっ!池田晶子さん、『JJ』のドクモだったの?!」
(夫は池田さんの愛読者ではないが、私からよく話を聞かされていたので知っている)
私「ド、毒グモ?!」

いやあ、驚きました。
でもとりあえず夫が帰ってきたので晩ごはん。
食事が終わって片付けて、再び続きを読む。
え、えーっ!!!!!!!!!!

夫「な、なに、今度はどうしたの?」
私「池田晶子さん、結婚してたんだってー!!!」
わーびっくり、いやぁびっくり、衝撃だー!
とずっとつぶやいていると
「そんなにびっくりすること?」と言われた。
そりゃあびっくりするよー。
だってあんなに何冊も、もうだいたいどんなことを言うかもわかっちゃうくらい読んだのに、結婚してるなんて全く気付かなかった、というかおくびにも出さないんだもの。
だんなさん、どんな人なんだろう?
小林秀雄みたいな人なのかなぁ。

「びっくりって、そんなこといくらでもあるじゃない、極端な話、すぐそばにいる人が殺人犯かもしれないんだよ」
「えーっ!やだぁ、そういうんじゃなくてさぁ。なんていうか、びっくり」
「いい意味で?悪い意味で?」
「いい意味で」
だってさ、ずっと池田さんは愛犬と二人(?)きり孤独(?)な暮らしをしてると思ってたんだもの(一人暮らし=孤独 ということではなくて、池田さんが人に寄りかかって慰められる孤独なんて孤独じゃないと書いていたから、人に寄りかからないんだろうなぁと思って)。収入は大丈夫なのかなぁ、あんなに啖呵切っちゃって大丈夫かなぁ、老後弱気になっちゃったりしないかなぁと秘かに心配してて。だから46歳(でした)で亡くなったときは、なんかずるい!抜け駆けしたなぁとか思ったんだよね。

池田晶子さんにもだんなさんがいたなんて。
いい意味で、心にぽっとあかりが灯りました。
でもそうなってみると、こんなに早く亡くなったことを、すぐ身近で悲しむ人がいたんだなぁと思って、切なくなりました。

それで先輩について書いていた文章(上記)を読み直す。うーん、なんか、恥ずかしいね!浸っちゃってて。あまりの驚きに心がくるっと回転してしまって、なんだか元気が出てしまって、記事の内容もすっかり変わってしまったけれど、でも……まだ続きを書きたいんです。長くなるので(もう充分長いか)続きはまた。

八ヶ岳の続き








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書きたい気持ち

2015年11月03日 | 雑記
気持ちが落ち着いてきて反省……。

自分が詩を書くということ
それを読むということ
意味、物語……
とってもむなしくなってしまって
しばらく自分のブログを見もしなかったけれど……。

先輩が無くなって数日後
なんで人はその病気で死ぬんだろうと思って
本屋でいつも立ち寄るコーナーを素通りして
その病気に関する本を読んでいたら
なんだか呼吸が苦しくなってきて、
これはまずい!どうにかしなくちゃ
と思って、してしまうことはやっぱり
学生時代から変らず、ノートに気持ちを書き綴ることでした。
詩は、あとで取ってつけたようなものだったのですね……。
私にとって……。

そんなことをしている日々、久しぶりに、改めて
私は、書くことが好きなんだなぁ
とつくづく思ったのです。
稚拙さはともかく、
あれこれ出口のないことを考え続けて
それを書くことがほんとに好きなんだなぁと。

久しぶりに、紙とペンさえあれば
どんな状況になっても生きていけるかもしれない
なんてことも、思ったりしました。
(学生の頃、まだ友人だった夫への年賀状に
「ホームレスになっても、見捨てないでね」
と書いていたらしい……)

それに先輩がいま、私の心の中の火なんです。
火にすることにしようと決めたんです。
私はもともとすごいヘナチョコ人間で、
すぐやる気元気を失ってしまうのですが
こんな大打撃があって、
自分もふいっとそちら側に吸い込まれそうな気持ちになったり
生きる気力もないような気もして夫に怒られたりして
あれやこれや二カ月でものすごくたくさんのこと
(しょうもないことかもしれないけれど……)を考えて
先輩はずっと私の中で生きている、ということに決めたんです。
最初はぼうぼう燃やそうと思ったけど……
やっぱそれは無理!
ということで、
炭のように心の隅(スミ)で
ひっそりと赤く静かに燃えている感じ。

そうなると再び何か書こう!と
なんでもかんでも書いて
でも気持ちは日々どんどん変化していって
深める時間はなくて……
気持ちばかり焦るのですが。

久しぶりにゆっくりできる休日。
自分の詩を読み返せば
はぁ、やっちゃった。

感情が一体になっている人間に、
詩は書けないのかもしれない。
自分の物語を信じている人間に、
文章は書けないのかもしれない。

と思ったのでした。


またもや在庫一掃セール的な夏に行った八ヶ岳


私の頭の中のように靄のかかった林の中を散策


先輩が亡くなる数日前だった。
撮った写メを送りたかったけど
出掛けられないことを悲しみはしないかと心配で送らなかった


このとき送っていればまた先輩の返事をもらえたかもしれないのに
亡くなる前日にラインメッセージを送った
もう先輩はそのメッセージを見ることはできなかった


あのとき写メを送っていれば
喜んでくれたかな、どうだったかな、
正直先輩からしたらどうでもいいかもしれないことをぐるぐる考え続けてしまう……。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする