青山通りから小道に入り、いろんな灯りの建物の間を歩いていると、遠くに、きれいな人がいました。
子どもの頃、ドレスを着たお姫様を夢見ていました。
ということはなく、私は兄弟が兄二人なので、お揃いのカミキリムシのTシャツに短パンをはいて自分のことを「オレ」と言っていました。3歳ぐらいのとき、海でビキニの水着を出されて泣きました。こんなの嫌だー!と泣きまくって、ブラなしで着る、という妥協案に落ち着きました。
幼稚園や学校へ行くようになると「オレ」と言うことはなくなり、スカートもときどきはくようになりましたが、自分の中に「女子」という意識はあまりなかったような気がします。化粧をするようになるのも社会人になってしぶしぶ、という感じでした。抵抗感がなかなか抜けませんでした。そんなわけで素敵な花嫁になる、という夢は特になく、母がショーウインドウや雑誌などでドレスを見て、「素敵ねぇ」と言う気持ちがあまりよくわかりませんでした。
ところが不思議なもので、こんな私も結婚することになり、結婚式も挙げようということになって、ドレスを選ぶ、ブーケを選ぶ、テーブルに飾る花やカバーの色を選ぶ、となってみると、これがものすごく楽しかったのです。普段ファッション誌はほとんど見ないのですが、ドレスやブーケの載っている雑誌はめくっているだけでうっとり。自分が着る、ということ以上に、綺麗なモデルが美しいドレスを纏っている写真、色とりどりのブーケに見入っていました。それまでそんなことを楽しめる自分がいるとは思ってみませんでした。そういえば、昔、アイドルの写真集みたいの好きだったな、とふと思い出しました。しかもロマンチック系。かなり恥しいのですが、ゴクミが私の憧れで、文庫本を買いました。『ゴクミ語録』。それであの美少女が古い洋館のような部屋で、いま思うとメイド服!なのかな、を着て写っている写真を見て、うっとりしていました。
私には夢があります。なんて言うと実現したいこと、みたいな感じですが、そういうのではなくてもっと漠然とした夢。普段はそういう夢は景色の中に見ている。でもそんなきっかけがあってからはブライダルのお店のショーウィンドウにドレスが飾ってあるのを見たりしても、母のように、素敵ねぇと思うようになりました。それは自分が着たい、ということではなくて、ドレスに象徴される夢の世界への憧れみたいな感じです。こんなふうに私はいつまでも大人になりきれず、夢と現実と自分の三角関係の中で揺れています。うまくいかないことも多い地上の世界から離れた上の空のあのあたりに夢という風穴をいつも開けておきたい。現実とは別のところへの期待が行き過ぎると自爆テロのようなことになって、いやそこまで行かなくても、危険な、こともあるかもしれない。一方で、夢を捨てられず、どんどん現実がさびしいことになっていく、だけどそれは絶望ではないよね、もしかしたらそこに美しささえあるかもしれないよね、と光をあてることは文学のひとつの(古い?)テーマ?かもしれず、ただ実際私などは、現実力が少し乏しいような気がしないでもない。です。
近付いていくとこんなふうに
青山学院アスタジオという建物の中のSalon de TiTiというお店に向かいのお店Aria puraのディスプレイが写っている。
夢の中の階段を登っていく感じ……。
奥まって映っているのが非現実感を増してさらに素晴らしくロマンチック。
ディスプレイの下には向かいに映ったディスプレイがさらに映って立体的な三角関係。
養生のためのポリプロピレンだかポリエチレンだか(※)がドレスのドレープみたい
実際のディスプレイ
暗がりに浮かんでいるところがまた素敵
※以前バラエティ番組を見ていたら、これはビニールじゃない、とビニール業界の人が怒っていたので。ビニールと言いそうになるところをぐっとこらえて。
さらに追記
ふと思い出しました。母がやたらとドレスにうっとりしていたなぁという記憶のもと。ショーウィンドウよりも雑誌よりも何よりも、あれが、あったじゃないか。そう、『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラや!(と、なぜか関西弁)
子どもの頃、ドレスを着たお姫様を夢見ていました。
ということはなく、私は兄弟が兄二人なので、お揃いのカミキリムシのTシャツに短パンをはいて自分のことを「オレ」と言っていました。3歳ぐらいのとき、海でビキニの水着を出されて泣きました。こんなの嫌だー!と泣きまくって、ブラなしで着る、という妥協案に落ち着きました。
幼稚園や学校へ行くようになると「オレ」と言うことはなくなり、スカートもときどきはくようになりましたが、自分の中に「女子」という意識はあまりなかったような気がします。化粧をするようになるのも社会人になってしぶしぶ、という感じでした。抵抗感がなかなか抜けませんでした。そんなわけで素敵な花嫁になる、という夢は特になく、母がショーウインドウや雑誌などでドレスを見て、「素敵ねぇ」と言う気持ちがあまりよくわかりませんでした。
ところが不思議なもので、こんな私も結婚することになり、結婚式も挙げようということになって、ドレスを選ぶ、ブーケを選ぶ、テーブルに飾る花やカバーの色を選ぶ、となってみると、これがものすごく楽しかったのです。普段ファッション誌はほとんど見ないのですが、ドレスやブーケの載っている雑誌はめくっているだけでうっとり。自分が着る、ということ以上に、綺麗なモデルが美しいドレスを纏っている写真、色とりどりのブーケに見入っていました。それまでそんなことを楽しめる自分がいるとは思ってみませんでした。そういえば、昔、アイドルの写真集みたいの好きだったな、とふと思い出しました。しかもロマンチック系。かなり恥しいのですが、ゴクミが私の憧れで、文庫本を買いました。『ゴクミ語録』。それであの美少女が古い洋館のような部屋で、いま思うとメイド服!なのかな、を着て写っている写真を見て、うっとりしていました。
私には夢があります。なんて言うと実現したいこと、みたいな感じですが、そういうのではなくてもっと漠然とした夢。普段はそういう夢は景色の中に見ている。でもそんなきっかけがあってからはブライダルのお店のショーウィンドウにドレスが飾ってあるのを見たりしても、母のように、素敵ねぇと思うようになりました。それは自分が着たい、ということではなくて、ドレスに象徴される夢の世界への憧れみたいな感じです。こんなふうに私はいつまでも大人になりきれず、夢と現実と自分の三角関係の中で揺れています。うまくいかないことも多い地上の世界から離れた上の空のあのあたりに夢という風穴をいつも開けておきたい。現実とは別のところへの期待が行き過ぎると自爆テロのようなことになって、いやそこまで行かなくても、危険な、こともあるかもしれない。一方で、夢を捨てられず、どんどん現実がさびしいことになっていく、だけどそれは絶望ではないよね、もしかしたらそこに美しささえあるかもしれないよね、と光をあてることは文学のひとつの(古い?)テーマ?かもしれず、ただ実際私などは、現実力が少し乏しいような気がしないでもない。です。
近付いていくとこんなふうに
青山学院アスタジオという建物の中のSalon de TiTiというお店に向かいのお店Aria puraのディスプレイが写っている。
夢の中の階段を登っていく感じ……。
奥まって映っているのが非現実感を増してさらに素晴らしくロマンチック。
ディスプレイの下には向かいに映ったディスプレイがさらに映って立体的な三角関係。
養生のためのポリプロピレンだかポリエチレンだか(※)がドレスのドレープみたい
実際のディスプレイ
暗がりに浮かんでいるところがまた素敵
※以前バラエティ番組を見ていたら、これはビニールじゃない、とビニール業界の人が怒っていたので。ビニールと言いそうになるところをぐっとこらえて。
さらに追記
ふと思い出しました。母がやたらとドレスにうっとりしていたなぁという記憶のもと。ショーウィンドウよりも雑誌よりも何よりも、あれが、あったじゃないか。そう、『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラや!(と、なぜか関西弁)