詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

落ち葉のコラージュ

2015年11月14日 | 
落ち葉はきれい
光があたるととてもきれい

レイボーンのギター
曲名はレニー
ギタリストの妻の名だと教えられたこと
ずっと忘れてた
薄れていく演奏者に倣い
コードの余韻を見上げる
エレキが放たれた虚空に
十六年
ひとは、ひとは
舞い落ちる

(記憶、時間)

山小屋は木の匂い
薪の燃える匂い
タバコの匂い

森を吸い込み
山登りトランプお酒に音楽
若さがはしゃいでも
シュー
湯を沸かす音が
語るのでは足りない
めいめいの年輪を束ね燻して
妙にあったかい空気を吐き出す
目に強力な接着剤をつけた者から
屋根で干した擦り切れた布団を並べて寝る

車は高速に乗らずに下道を行く
あっ、この景色いい!すごくいい!
電車がトンネルから出てきたところがいい!
おまええらいなぁ、そんなとこ見てて。
そう?そんなことで?
景色見るの、好きだよ。

様々に切り取られる風景写真

窓の外にちょうちょがいるよ。
十階なのに。
こんなところまで、飛んで来るんだねぇ。
きみも、変わんないね。
それ、ほめ言葉なの?

古いノートを開く
黒いペンで塗りつぶした模様があれば
長い長い電話の跡
話したことは思い出せない
塗りつぶす手の動きだけ覚えている
「おやすみ」は意地を張って
「み」だけになったこととか

なぜ?
なぜ?
なにが、なぜ?
人は通り過ぎてしまうのだろう?

好きとか嫌いとかじゃない
後悔でもなくて
すぐそこにいるなにかとても大きなもの
天井を見つめ続けた夜や
東京を縦断する足
離れていく魂
つかみきれなかったんだろう

落ち葉はきれい
光があたるととてもきれい
 
わたしは汚い?
光があたるととても汚い?
自分を引き剥がすことができないなんて
群青のクレヨンで塗りつぶす

ずっと忘れていたということは
なかったことになっていたということで
思い出したということは
再び新しく出会ったということで
それは行き場を失くして
石段に砕けた秋の陽のように
悲しい喜び

落ち葉はきれい
光があたるととてもきれい
ひとは、ひとは
離れてしまったのに
いっしょになって
とてもきれい
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大爆笑する、という事件

2015年11月07日 | 雑記
昨日、ひさしぶりに大爆笑しました。

晩ご飯を食べながら、撮りためていたビデオ(もうビデオじゃないか。でもビデオと言ってしまう)を見ようということになり、ブラタモリの富士山を見ました。

富士山を登るのは苦しいだけ、と思ったら大間違い、ブラタモリのテーマ「下を向いて歩こう」で火山の知識があると楽しいものがいっぱい転がっているよ、と言う火山学の先生と一緒に富士山を登り始めます。「実はここでも噴火があったんですよ」と先生が言うと、タモリさんが「へぇ横から?」と答える。続いて桑子アナ。「そういう場合は横に向かってマグマが噴き出すんですか?」

私「うん?横に???」しばし宙を向いて考える。その光景を思い浮かべてみる。
先生が「いえ、上は上なんですけど……。」
しばしの間。
タモリさん「あんまり、マグマは横に向かっては噴き出さない」
私のマグマ、上に向かって大噴出!ビールを飲んで酔っていたせいもあるでしょう。ひさしぶりに大爆笑してしまいました。

「そ、そんなにおもしろかった?」と夫に言われても笑ってしまって答えられない。
「だってだって、横に向かってマグマが噴出……!」
いま考えるとほんとに何がそんなにおかしいのか、つぼに入っちゃったんですねぇ。あの間がよかったのかなぁ。タモリさん、上手だからなぁ。桑子アナもやるなぁ。
あっはっはっはー、あっはっはっはー、笑ってしまいました。
ああ気持ち良かった。笑いがとまってからも愉快な気持ちが残っていて、陽気な気分で食器を洗いました。洗いながら、上に向かって噴き、途中で直角に曲がって横に噴出するマグマを思い浮かべて、ムフフフフ、とにやにやしていました。

今朝、ふと(こういう「ふと」が多い私は、けっこうハタ迷惑ですね)夫に「いま読んでいる小説、おもしろいんだよ。もったいないからちょっとずつ読んでる。」と言いました。
「家にあった本?」「ううん買ったの。」「何に惹かれたの?」「あのね……」本を持ってきてかけていたカバーを外し帯の言葉を読む。
「詩が書けなくなった大詩人vs訳あり女性編集者 詩と再生の物語」
再生……
「人って、ほんとにいろんなことで、再生していくんだね。」

先輩が亡くなったとき、生きるのってなんてつらいんだろうと思いました。近所のお寺の掲示板などに、よく言葉が書かれていたりしますが、ある時、笑顔で幸せになれるから笑顔でいよう、といった内容の文章が書かれていて、笑顔をつくるなんて簡単じゃん、とバカな私はそのとき思いましたが、生きていたら笑顔をつくることすら難しいことってあるんだなぁと思いました。
でも、生きていると人は、いろんなちょっとしたことから、少しずつ、元気になっていくのですね。いま、生きるぬくもりのようなものを感じます。能天気すぎるかもしれないですが……、大事にしたいです。

小説は『四月は少しつめたくて』谷川直子著 河出書房新社

朝、洗剤の容器にシャボン玉ができる、というプチ、いや、パチン、いや、プチン?事件

背後に映っている缶は以前『ジャケ買い』に載せた水曜日のネコだ
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夜へ出かける

2015年11月03日 | 
坂を上がって
川沿いの道に出てはっとする
羊羹のような深い暗い鼠色に
色んな色の明かりが川に長く延びていて

詩を書きたいと思う
書きたいことがたくさんある
ひとつの詩に書けることは限られている
とても分けることができなくて
心にぐいと打ち込まれた杭で
ひとつ引っ掛けるとずるずるずるずる
未分化の感情が引っ張りだされてくる

この川の流れ
大きくてもう流れには見えない
ゆらゆら無数の筋が揺れているだけの水面に
長く延びて映っている
色とりどりの明かりが
感情の間口をさらに押し広げて

川べりを歩いていると
ずっとずっと歩いていると
もつれた糸の端を握ったまま
向こう側へ渡ってしまった人のところへ
辿って行けそうな気がするのに
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こんなん

2015年11月03日 | 雑記
最近少しずつ本や映画などを鑑賞できるようになってきた。先輩が亡くなった知らせを受けた瞬間に、冷たい水をかぶったように価値観がザバッと洗われて(洗礼のように、かもしれない……)、大切なものは本当に少なくて夜空に瞬く星のようにきれいにシンプルだと思った。いろんなことへの興味がごっそり抜け落ちた。自分の中に物語が充満して渦巻いているから、外の物語をまったく受け付けなくなって、ひたすら読んでしまったのはスピリチュアルや死後の世界について書いている本やサイトだった(これもある種の物語なのかもしれないけれど)。先輩に会いたくて。また会えるのだと知りたくて。結局はそれも自分がどう思うかの「自分の」判断に過ぎないという答えに行き着いてやめたのだけれど。

なぜ人は死ぬんだろう?
生きているって、死ぬってどういうこと?
子どものように思ってしまい、以前よく読んでいた池田晶子さんの本を開いたりした。池田晶子さんも4×歳という若さでガンで亡くなっていて、先輩が行った先のそっち側にいる、と思うと、なぜかよくわからないけれど、少し安心したりした。ほんとに、我ながら意味がわからないけれど。

と、ここまで書いてきて、池田晶子さんが亡くなったのは正確には何歳だったっけ?と思い、そこからほんの数歩の本棚に行けばわかるのに、面倒がって手元にある携帯でネット検索。
池田晶子(文筆家)
池田晶子(アニメーター)
とあって文筆家の方です。

読み進めて行くと……
えーっ!!!!!
え、えーっ!!!!!
そ、そうだったの?!知らなかったー!
実は『JJ』の読者モデルをしていた、なんてー!
さっそく、帰ってきた夫に報告する。
「えーっ!池田晶子さん、『JJ』のドクモだったの?!」
(夫は池田さんの愛読者ではないが、私からよく話を聞かされていたので知っている)
私「ド、毒グモ?!」

いやあ、驚きました。
でもとりあえず夫が帰ってきたので晩ごはん。
食事が終わって片付けて、再び続きを読む。
え、えーっ!!!!!!!!!!

夫「な、なに、今度はどうしたの?」
私「池田晶子さん、結婚してたんだってー!!!」
わーびっくり、いやぁびっくり、衝撃だー!
とずっとつぶやいていると
「そんなにびっくりすること?」と言われた。
そりゃあびっくりするよー。
だってあんなに何冊も、もうだいたいどんなことを言うかもわかっちゃうくらい読んだのに、結婚してるなんて全く気付かなかった、というかおくびにも出さないんだもの。
だんなさん、どんな人なんだろう?
小林秀雄みたいな人なのかなぁ。

「びっくりって、そんなこといくらでもあるじゃない、極端な話、すぐそばにいる人が殺人犯かもしれないんだよ」
「えーっ!やだぁ、そういうんじゃなくてさぁ。なんていうか、びっくり」
「いい意味で?悪い意味で?」
「いい意味で」
だってさ、ずっと池田さんは愛犬と二人(?)きり孤独(?)な暮らしをしてると思ってたんだもの(一人暮らし=孤独 ということではなくて、池田さんが人に寄りかかって慰められる孤独なんて孤独じゃないと書いていたから、人に寄りかからないんだろうなぁと思って)。収入は大丈夫なのかなぁ、あんなに啖呵切っちゃって大丈夫かなぁ、老後弱気になっちゃったりしないかなぁと秘かに心配してて。だから46歳(でした)で亡くなったときは、なんかずるい!抜け駆けしたなぁとか思ったんだよね。

池田晶子さんにもだんなさんがいたなんて。
いい意味で、心にぽっとあかりが灯りました。
でもそうなってみると、こんなに早く亡くなったことを、すぐ身近で悲しむ人がいたんだなぁと思って、切なくなりました。

それで先輩について書いていた文章(上記)を読み直す。うーん、なんか、恥ずかしいね!浸っちゃってて。あまりの驚きに心がくるっと回転してしまって、なんだか元気が出てしまって、記事の内容もすっかり変わってしまったけれど、でも……まだ続きを書きたいんです。長くなるので(もう充分長いか)続きはまた。

八ヶ岳の続き








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書きたい気持ち

2015年11月03日 | 雑記
気持ちが落ち着いてきて反省……。

自分が詩を書くということ
それを読むということ
意味、物語……
とってもむなしくなってしまって
しばらく自分のブログを見もしなかったけれど……。

先輩が無くなって数日後
なんで人はその病気で死ぬんだろうと思って
本屋でいつも立ち寄るコーナーを素通りして
その病気に関する本を読んでいたら
なんだか呼吸が苦しくなってきて、
これはまずい!どうにかしなくちゃ
と思って、してしまうことはやっぱり
学生時代から変らず、ノートに気持ちを書き綴ることでした。
詩は、あとで取ってつけたようなものだったのですね……。
私にとって……。

そんなことをしている日々、久しぶりに、改めて
私は、書くことが好きなんだなぁ
とつくづく思ったのです。
稚拙さはともかく、
あれこれ出口のないことを考え続けて
それを書くことがほんとに好きなんだなぁと。

久しぶりに、紙とペンさえあれば
どんな状況になっても生きていけるかもしれない
なんてことも、思ったりしました。
(学生の頃、まだ友人だった夫への年賀状に
「ホームレスになっても、見捨てないでね」
と書いていたらしい……)

それに先輩がいま、私の心の中の火なんです。
火にすることにしようと決めたんです。
私はもともとすごいヘナチョコ人間で、
すぐやる気元気を失ってしまうのですが
こんな大打撃があって、
自分もふいっとそちら側に吸い込まれそうな気持ちになったり
生きる気力もないような気もして夫に怒られたりして
あれやこれや二カ月でものすごくたくさんのこと
(しょうもないことかもしれないけれど……)を考えて
先輩はずっと私の中で生きている、ということに決めたんです。
最初はぼうぼう燃やそうと思ったけど……
やっぱそれは無理!
ということで、
炭のように心の隅(スミ)で
ひっそりと赤く静かに燃えている感じ。

そうなると再び何か書こう!と
なんでもかんでも書いて
でも気持ちは日々どんどん変化していって
深める時間はなくて……
気持ちばかり焦るのですが。

久しぶりにゆっくりできる休日。
自分の詩を読み返せば
はぁ、やっちゃった。

感情が一体になっている人間に、
詩は書けないのかもしれない。
自分の物語を信じている人間に、
文章は書けないのかもしれない。

と思ったのでした。


またもや在庫一掃セール的な夏に行った八ヶ岳


私の頭の中のように靄のかかった林の中を散策


先輩が亡くなる数日前だった。
撮った写メを送りたかったけど
出掛けられないことを悲しみはしないかと心配で送らなかった


このとき送っていればまた先輩の返事をもらえたかもしれないのに
亡くなる前日にラインメッセージを送った
もう先輩はそのメッセージを見ることはできなかった


あのとき写メを送っていれば
喜んでくれたかな、どうだったかな、
正直先輩からしたらどうでもいいかもしれないことをぐるぐる考え続けてしまう……。
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