夜、歩いていたら壁に枝葉の影が張り付いていて、それが街灯の光のせいだと気が付いて、その平面的な影(影さえも人工的)を味気ないと思いそうになったのに、瞬間、何かに気が付いて(思い至って?)、何かが射し込んで、くつろいだ気持ち?穏やかな気持ち?幸せな気持ち??になった。暖かい灯りを見つけたようにほわりとした。それはなんだったのだろう。その瞬間、私は何を見たのだったか。一瞬すぎてわからなかった。思い出そうとしているのだけど、「これだ!」すとんと腑に落ちない。わたしはわたしの心の影を追いかける。
無理矢理、こじつけてみるなら、人工的=厭わしい、と思いそうになった瞬間、でもその人工的な社会で、共に生きる人たちと、笑ったり、切なくなったり、楽しんだり、悲しんだり、させてもらっている、ということに気が付いた、ということかもしれない。この人工的な世界が、私の居場所、とわが家を思うように、思ったのかもしれない。
詩にしてみたら(なってないかな)、まるで違うできごとになってしまった。詩は事実を追いかけるように書いてはだめなんだな、と思う。前に自分でも書いていたじゃない。ことばで新しい何かを生むのだったはず(それともことばにならない何かを追いかけている?)。芯には真の心がないとゴワゴワした皮ばかりになってしまうかもしれないけれど、芯は種のように大きく包み隠されているくらいがちょうどで、ことばがことばを大海原、ことばでなければ生まれなかった何かを、あやとりするように、綱渡りするように紡ぐ。のが、詩?
無理矢理、こじつけてみるなら、人工的=厭わしい、と思いそうになった瞬間、でもその人工的な社会で、共に生きる人たちと、笑ったり、切なくなったり、楽しんだり、悲しんだり、させてもらっている、ということに気が付いた、ということかもしれない。この人工的な世界が、私の居場所、とわが家を思うように、思ったのかもしれない。
詩にしてみたら(なってないかな)、まるで違うできごとになってしまった。詩は事実を追いかけるように書いてはだめなんだな、と思う。前に自分でも書いていたじゃない。ことばで新しい何かを生むのだったはず(それともことばにならない何かを追いかけている?)。芯には真の心がないとゴワゴワした皮ばかりになってしまうかもしれないけれど、芯は種のように大きく包み隠されているくらいがちょうどで、ことばがことばを大海原、ことばでなければ生まれなかった何かを、あやとりするように、綱渡りするように紡ぐ。のが、詩?