詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

影たちをめぐって

2016年12月10日 | 雑記
夜、歩いていたら壁に枝葉の影が張り付いていて、それが街灯の光のせいだと気が付いて、その平面的な影(影さえも人工的)を味気ないと思いそうになったのに、瞬間、何かに気が付いて(思い至って?)、何かが射し込んで、くつろいだ気持ち?穏やかな気持ち?幸せな気持ち??になった。暖かい灯りを見つけたようにほわりとした。それはなんだったのだろう。その瞬間、私は何を見たのだったか。一瞬すぎてわからなかった。思い出そうとしているのだけど、「これだ!」すとんと腑に落ちない。わたしはわたしの心の影を追いかける。

無理矢理、こじつけてみるなら、人工的=厭わしい、と思いそうになった瞬間、でもその人工的な社会で、共に生きる人たちと、笑ったり、切なくなったり、楽しんだり、悲しんだり、させてもらっている、ということに気が付いた、ということかもしれない。この人工的な世界が、私の居場所、とわが家を思うように、思ったのかもしれない。

詩にしてみたら(なってないかな)、まるで違うできごとになってしまった。詩は事実を追いかけるように書いてはだめなんだな、と思う。前に自分でも書いていたじゃない。ことばで新しい何かを生むのだったはず(それともことばにならない何かを追いかけている?)。芯には真の心がないとゴワゴワした皮ばかりになってしまうかもしれないけれど、芯は種のように大きく包み隠されているくらいがちょうどで、ことばがことばを大海原、ことばでなければ生まれなかった何かを、あやとりするように、綱渡りするように紡ぐ。のが、詩?

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目覚めよ影たち

2016年12月08日 | 
バシャリ
昼が落ちて
壁に投げつけられた樹木の影

痛みで呼吸する体にキラリと光る金属で
処置を施す手術室のように
硬い光を伸ばす街灯のために

墨色の大気の中
白けた壁面に
灰色の無表情に浮かぶ

葉っぱの艶
幹のごわつき
枝の広がりがつくる
ひとつの家のような奥行きも
枝葉の秘めごと
重なりもずれも
平らに塗り潰されてしまった

輪郭だけがくっきりとして
内側の繊細な線は
すべて溶けてしまって
はじめて見えてくる新しい形

そこには時の経過がないから
瞬間が亡霊のようにへばりついている
楽しげに飾られた三角旗が
無人を鼓舞してハタハタ震えている
それはとても真実
それはとてもわたしに平行している

ペラペラになってしまった影の
イデアのほうは
見えない穴だらけの
外のものを吸ったり吐いたりする
硬かったり柔らかだったりする
歌を内包している
液体や思念の循環を旨とする
みずみずしい固まり

それとも
そのような崩れゆく
手で触れることのできる
悩みさえもいっぱいで実に充ちている
影の元こそがイデア?
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置き忘れた曲

2016年12月04日 | 
仕事のための覚醒のためのカフェイン摂取のためのコーヒー。
わたしの夢はただ、わたしの夢なのだった。

カップをソーサーにおろすと
厚みのある白い摩擦音がする
カチャ ゴリ ゴトリ
重大な打明け話を聞いてみたい
つるりとしたざらりとした
ふくらみやくびれ
たがいのおさまりのいい場所を探る音
コーヒーがしっくりおさまっていく
活気の足りない神経に

本を読むひと
パソコンを見つめてキーボードを叩くひと
熱心に書き物するひと
あのひとはいつも冷たく
甘い飲み物を飲んでいる
うつむいた耳と鼻と眼鏡の
ねずみの関係
コート、バッグ、携帯カバー、ペンケース
自意識と奇妙な無関心がよじれて
身につける物の傾向もこもごも
いつしかなじみになっている

広い店内で
まだらに座る人々の間を
新しいメロディーがながれ始めると
わたしの内からも続きが自然にながれ出す
二羽の鳥が飛び交うように
ひとつになっている
散漫の粒をすくって
数珠を作っている糸のように
とりとめのない日々のあとで
知らない曲に再会した
耳にするまでそんな曲があったこと
知らないくらいに忘れていた曲

外国語の本や新聞を読んだり
窓の外をずっと眺めていたりする
いつも黒いフェルトの帽子に隠れ
丸まった背で思い出を守っている女性
のぞけない顔の先で
たくさんの言葉が印刷された紙束を
しっかり握って離さない手
長年の知識と感情が堆積して
皺を寄せている

名を知らない
ただ耳が知っている曲
あたりをピントのおかしな
優しい風景にしてしまう曲
弾けたらいいと思う
楽譜がほしいと思う
曲名を知りたいと思う
おぼえておきたいと思う
おぼえておけば
ピアノで跡をたどれるから
おぼえておく自信はない
誰か道に落ちた音符をついばんでしまう

羽毛のようなおもい
仕事中にはすっかり忘れている

机に向かってコリコリコリコリ
ペンを動かし
気を動かしていると
窓の外はすっかり暮れている
片付けをしてマフラーを巻き
夜の空気に一歩足を踏み出す
優しいメロディーが奥のほうからさりげなく
コンクリートの割れ目から萌え出る緑のように
ながれ出てくる
われ知らず口ずさんでいるこの曲は

ああ今朝のこと
ああおぼえていたんだ
街灯と雑踏を縫って
わたしよりはやくながれていくメロディー

他の音楽に消されないよう
何度も繰り返し
思い出せるフレーズを歌い続けるけれど
ふいっと離れてしまえばおしまい
いつまたそれが訪れるかはわからない
絶対音感がなく
頭の中の音を透明な楽譜に書いて
おぼえることはできないから
音の高低は滝として記憶される

家に着いて
話をしたり
テレビの音にまみれたりするうち
ふいとメロディーが
離れてしまったことに気がつく
滝のイメージだけが残っている

日が経ち
ある期待が影のように
心に差していることを感じる
見上げてみれば
鳥があのメロディーを連れてくるような気がして
わたしは待っているらしい
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青森旅行7

2016年12月03日 | 雑記
ようやく青森旅行最終回です。書き始めるまでに時間がかかったのに、終えるのにもとても時間がかかってしまいました。のんびりしてますね。のんびりしているのが好きなのですが、それにしても、ここまでのんびりだとやる気がないみたいですね、まるで。そんなことはないのですけど、謎の引っ張り癖があるのですよ、わたくし。家の片付けなんかもなぜか全部片付けないのです。新聞を片付けるとしましょう、必ず二、三部残している。食器の片付けも、大抵は全部片付けるのですが、遅い時間だと、途中まで片付けているのに、まあこの辺でいいか、となぜか一、二個残った状態でやめていたりする。やり残したい、取っておきたい、気持ちがあるみたいです。なんなのでしょうね?

と、話が最初から逸れておりますが、青森旅行の最終日はほとんどすることがなく、ほぼ移動の予定しか入っていませんでした。いま考えるともったいない。ただ前日は乗れなかったリゾートしらかみに乗ることができました。ウェスパ椿山という駅から秋田駅まで。ホテルの送迎バスでウェスパ椿山駅に着くと、山の中のみかん畑なんかで収穫物を運ぶためのモノレールのような線路があって、わあ楽しそう!と思いましたが、残念ながら運休中でした。トロッコとか、山の中を行くモノレールとか、わくわくしますよね。あまり乗ったことはないけれど。リゾートしらかみが来るまでだいぶ時間があったので、物産館「コロボックル」でさらにおみやげを買う。

この日は残念ながらあまり天気が良くなく、雨も降り始めてしまいました。車窓からの景色が少し暗めではありましたが、バスやら電車やら飛行機やらの移動ばかりの日だったので、濡れることもなく、助かりました。

青森、よかったです。今回行けなかったところもたくさんあるのでまた来たいという気持ちを胸に帰途に着きました。長々しい話にお付き合い頂きありがとうございました。













雨の中お疲れさまです。






ウェスパ椿山の物産館で買った。さっそくリゾートしらかみで食べます。この旅行で、アップルパイをいったい何個食べたんだろう?
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