大学の授業にかかわる話題

授業日誌・キャリア・学びのスキルについて

5月18日(月)3の授業

2015年05月18日 14時48分06秒 | SIUの授業
グローバルビジネスと経営

先週の続きです。
先週欠席者3名に再読してもらいました。
早速先週のお題の解説です。
設問1「トヨタがマツダに対してM&Aではなく、
包括連携という手法で組むのはなぜか」という問題では、
記事より次のように担当者は考えました。

同記事では「過去にもダイムラーがクライスラーを、
ダイムラー=クライスラーが
三菱自動車の経営権を事実上握る支配を行った事例があるが、
いずれも失敗している。
ルノーが日産自動車を支配しているのは唯一の成功事例であると。
このような過去の失敗事例を踏襲すると、
トヨタもマツダを支配するのではなく、
提携ではあるが強力な結びつきによる
「包括提携」という方式を選んだものと考えました。
自動車業界がなぜM&Aで成功しないのか、その理由はわかりません。
この理由も考えて見ましょう。


写真:マツダ本社

設問2「トヨタの描く成長戦略とは」という問題に対しては、
別の記事より次のような解説をしました。

記事にもあるようにトヨタ好調の理由が、
北米市場が好調であるということです。
同地域で市場シェアを押さえることは当然ですが、
今後の成長市場である新興国市場で競争力ある車作りが、
トヨタ成長の鍵だからです。
それらの市場でニーズは、HV車やPHV、FCVではなく、
通常エンジンを積んだ車です。
トヨタの弱い部分をマツダの技術が補完する関係が成り立つのです。
新興国市場制覇とマツダとの提携がリンクするわけです。

本日は25名の出席でした。


「答えのない問い」で鍛えられる人たち

2015年05月18日 00時10分15秒 | キャリア支援
欧米のエリートはなぜ「NO!」と言うのか
「答えのない問い」で鍛えられる人たち

東洋経済オンライン
2015年5月1日(金)07:00

正解のない、哲学的な問いへの思考が幼少から培われる欧米社会。
なぜ「エリート」に哲学が必要なのか、
世界有数の経営大学院での経験を基に
福原正大氏が語ります。

※前回記事:世界のエリートはなぜ3歳から哲学を学ぶか
http://toyokeizai.net/articles/-/66750


(写真:ひでっ♪ / PIXTA)

「そうかもしれませんね」
「そうとも言えますよね」
どちらも日本人同士の会話で、
よく耳にする相づちではないでしょうか。
相手が話した内容を理解してはいるけれど、
肯定も否定もしない。そんなあいまいな共感です。

「私はそうは思いません」
「こういう考え方もあるのではないでしょうか」
と相手に自分の考えを返せる人が、
どれだけいるでしょうか。

フランスで経験した「高い壁」
ほぼ単一民族に近いとされる日本では、争いごとを避け、
以心伝心で相手の意をくみ取ることが
暗黙の了解となっている“空気”があります。

相手に反論したり意見したりすることに、
なんとなく居心地の悪さを感じたり、
“大人げない行為”のようにとらえる人は多いでしょう。
反論して感情的な言い争いになるくらいなら、
うなずいておけば穏便に済む──
そんな消極的な感覚もあるかもしれません。

これでは結論が玉虫色になることが少なくありませんし、
仕事であれば、実際に責任の所在も
あいまいなままのことが多いでしょう。

日本語は「YES」「NO」をはっきりさせない表現が豊富です。
それは必ずしも悪いことではありませんが、
グローバルな舞台に立ったとき、
そんなあいまいな表現では相手には伝わりません。

1996年、私が当時勤務していた
東京三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)の留学制度を活用して、
フランスのINSEAD(インシアード・欧州経営大学院)に留学したときのことです。
フランス語はもとより英語も流暢ではなかった私には、
言葉の壁が立ちはだかり、なかなか友人ができずにいました。

授業についていけず、学校に行くのも嫌になり、
日本に戻りたいという気持ちが頭をよぎるような状況でした。
人生で初めて胃けいれんを経験したのもこのときです。

そんな中で初めての友人となったのは、フランス人の同級生でした。
彼と徐々に意思疎通ができるようになると、
彼の口ぐせがとても気になるようになったのです。
彼は、私がなにを言おうと必ず、

「ノン(No)」
と返してきます。毎回のことなので、
「彼は僕に不満でもあるのだろうか?」
と心配になってきました。
それと同時に私の意見が否定されているようにも感じ、
ちょっと不愉快にもなってきたのでした。

同級生の思いがけない返答
そんなわだかまりを解消しようと、ある日、
意を決して彼にこう尋ねてみました。
「なぜ君は、僕の話に必ず『ノン』と返してくるの? 
なにか不満でもあるの?」
すると彼はこう答えました。

「君が話したことに対して、僕が『ウィ(Yes)』と返したのでは、
会話が深まらないじゃないか。
相手と違う意見を返してこそ、
お互いの考えが深まっていくんだ。
だから君は、僕に感謝すべきなんだよ」

それまでの私にはなかった感覚に気づかされ、
とても驚きました。そして、
頭の中で新しい思考回路が突如として
つながったような感覚に襲われたのです。

フランス人が議論好きだということは、
なんとなく知ってはいましたが
「なるほど、こういうことなのか!」と納得もしました。

もちろん、すべてのフランス人が
彼のように「ノン」と返してくるわけではありません。
しかし、日本の銀行に勤め、
日本的なコミュニケーションに慣れ親しんでいた私にとって、
この出来事が思考法の転換を促す、
衝撃的な“気づき”となったのでした。

それからというもの、会話をするときに私も意識して
「ノン」と返してみることにしました。
すると、確かにお互いの意見が深まることがわかりました。

相手の意見を聞いたら「ノン」と相手とは異なる意見を返すことで、
対話に刺激を与える。そうすることによって、
自分の考えを深めたり、
新しい考えを作り出したりできるわけです。

「正解のない問題」が未来を切り拓く
私は、ディスカッションの中から創造力が作られるという
“対話のダイナミズム”を実感しました。
相手の意見を疑ったり、
「ノン」と返したりすることは悪ではなく、
こうした好循環を生むための手段だととらえるのです。

異なる意見を戦わせることで、
より正しいと思われる考え方に向かう。
これこそ、まさに哲学的思考法の醍醐味です。
そうやって「正解のない問題」を
お互いに探っていくという感覚です。

私たちの未来には「1+1=2」のように
唯一絶対の正解があるわけではありません。
未来という正解のない問題に対して、
より正しいと思われる道をたどっていく。
人生はその繰り返しですし、
プライベートにもビジネスにも、同じことが試されるのだと思います。

そのためのとっかかりとして、
Who am I? のような正解のない問題について自問自答し、
練習しておくことが活きてくるのです。

だからこそ、米ハーバードなど海外のトップスクールの入試で、
Who are you? という問題が定番化しているのです。

私が知る世界のエリートたちは、単に有名校を卒業して
グローバルな国際社会で活躍し、
高収入を得ているだけの人ではありません。
世界のエリートとは、現状に満足せず、
自己を確立していこうと努力し、
なおかつよりすばらしい未来を作ろうとする大局観を持った人たちです。
そして、「正解のない問題」について、
真剣に考え続けている人たちでもあるように思います。

質疑応答で誰も手を挙げない
「ここからは質疑応答の時間にします。
質問のある方は挙手を願います」

日本での講演会や説明会の最後の“定番シーン”です。
しかし、誰かが手を挙げるまで、
しばらく手が挙がらない。結局、
手が挙がらず主催者側が用意した質問を
読みあげるというケースも少なくありません。

こうした事態になる原因はいろいろあると思いますが、
その背景には“正解がひとつしかない思考”に
慣らされていることの弊害があるのではないでしょうか。

正解がひとつしかない思考とは、
日本の学校のテストのように○(正解)か×(不正解)かの二者択一、
もしくは3択とか4択の選択肢の中から解答するという
正解があることが前提となっている思考です。
そして、不正解を恐れる傾向が強い。

そもそも質問に正解も間違いもないと思うのですが、
正解がひとつしかない思考に慣らされていると、
“的外れの発言”を必要以上に恐れ、
他人に間違ったと思われることが
恥ずかしいという心理が働いてしまいます。

その結果、「触らぬ神に祟りなし」の如く、
なにも行動を起こさなくなってしまうのです。

自分の現状をきちんと認識する
欧米で行われる講演会でも、同じく質疑応答の時間があります。
しかし、日本で行われる講演会とは違い、
内容に関心を持った聴衆が即座に手を挙げ、
質問をする光景が当たり前になっています。

むしろ“手を挙げないことが恥ずかしいこと”
くらいの意識をもっているかのようです。
英語やフランス語を母国語とせず、
文法が滅茶苦茶な人でも、
意に介さず堂々と質問するシーンも見掛けます。

そして、優れた質問をした人のもとには、
講演会終了後に人々が集まってくることもあります。
「とってもいい質問だったよ、参考になった」、と。

講演者ではなく質問者に駆け寄ってくるというのは、
日本ではまず見かけない光景ではないでしょうか。
私自身、その光景を初めて目の当たりにしたときは、
新鮮な驚きがありました。しかし、
海外に出れば、それが当たり前なのです。
自らの思考をシェアすることで輪が広がる。
著書『世界のエリートはなぜ哲学を学ぶのか?
桁外れの結果を出す人の思考法 』
(SBクリエイティブ)でも述べていますが、
自己を中心としたコミュニティ構築のスタートとなります。

正解がひとつしかない思考を日本人に植えつけてしまっている典型例が、
マークシート方式の試験です。
マークシート方式の問題は3択、4択と選択肢の数はさまざまですが、
いずれにせよ複数の選択肢から1つの正解を選ぶというもの。
まさに正解がひとつしかない”唯一絶対の正解”
を要求する問題です。

米国やフランスの試験にもマークシート方式は採用されていますが、
それだけでなく受験者独自の考えを問う記述式の問題が重視されています。

暗記力や記憶力だけでは解けない、
「あなたはどう考えますか?」という思考力を問う記述式の問題が
多用されているということです。

私は2014年の大学入試センター試験の翌日、
新聞に掲載された「倫理」の問題を読んで愕然としました。
構造主義の代表的思想家、レヴィ=ストロースが紹介され、
彼の思想を正しく説明したものを選ぶという問題でした。
これはあまりにも無意味な問題だと感じたのです。

重要なのは、正解のない問い
「倫理」という分野で試験をするのであれば、
暗記力や記憶力の正確さを試すだけの問題ではなく、
過去の思想家の考えを踏まえ、
自らの意見を現代社会の視点を入れ込みつつ答えるような問題でなければ、
受験生のポテンシャルは測れません。

日本の入試は、この手の“知識偏重”の問題が主流です。
知識も大切なことではありますが、今の時代、
インターネットで検索すればわかるような知識を問う試験を
主流にする意味は、かなり薄れていると思います。

重要なのは、ネット検索しても正解が出ない問題。
その人ならではの思考力や判断力を問うことです。
それこそ「正解のない問題」ということです。

「正解のない問題」に答えるために必要なものが、
哲学的思考法であり、それによって身につくものが教養です。
そういう力を磨いていかなければ、
グローバルな国際社会では通用しないでしょう。

今回ご紹介差し上げた内容は、本書が説く
「哲学的思考法」の大切な最初の一歩です。
ここでは、コミュニティを構築し世界を
より素晴らしいものにしていくまでの考え方をまとめています。
ぜひ手にとっていただき、「哲学的思考法」を身につけ、
世界のエリートとして、
世界をよりすばらしいところにしていただけると幸いです。

http://news.goo.ne.jp/article/toyokeizai/bizskills/toyokeizai-67054.htmlより