愛しのエトワール

うたのおねえさん、はいだしょうこさんを全力でとことん気の済むまで応援する日々を綴るブログです。

京街道その2

2020-05-06 | 日記
5月某日。京街道を歩く、の2回目である。前回は大阪の起点の北浜から守口の鳥飼大橋までで終わりにした。

地下鉄に乗って大日駅まで行き、鳥飼大橋から再スタートである。今日は午後から雨予報40パーとなっている。今日は途中から京阪と平行するルートになっているので、降りだしたら中断して京阪で帰ることにする。

淀川左岸の堤防を延々歩いて守口宿の次の枚方宿に向かう。堤防の川側は淀川河川敷公園、市街地側は住宅地が広がっている。この日も外出の自粛を呼びかける市の広報車が走り回っていた。公園ではさすがに野球やサッカーなどやってる人たちはいないが、堤防をジョギングやウォーキング、サイクリングをしてる人は普段通りにけっこういた。

もう2時間近く堤防を歩いている。風景が変わらないのはきつい。出口の集落に向かう堤防を下りるポイントが見えてきた。

光善寺。出口の集落は光善寺を中心に形成された寺内町である。ここを過ぎると枚方宿になる。

京阪の枚方公園駅前。もう枚方宿の町中に入っている。ここにはひらかたパークという大きな遊園地があって、はいだしょうこさん関連では、2009年に園内でファミリーコンサートをやっているよ。

左の建物は元は鍵屋という船宿で、枚方宿の歴史を伝える鍵屋資料館として公開されている。今はあれの影響で閉めているので、残念ながら見学はできない。

趣のある街道筋が続く。ここを過ぎると、京阪枚方駅前の繁華街。

淀川の支流の天野川の土手(画像正面)に突き当たるところまでが枚方宿。枚方宿は東西で1.5㎞あり、東海道でも大きな宿場だったそうだ。天野川は名前の通り、天の川のことであり、七夕伝説があるところである。

京阪の牧野を過ぎ、樟葉に向かっているところ。歩行距離はとおに20キロは越えている。足が痛くなってきたわ。

京阪樟葉駅前を通り、樟葉台場跡に着いた。戊辰戦争の頃の台場跡である。台場というのは砲台を設置した要塞のこと。言わば城の一種だな。京街道はこの台場の中を通るように付け替えられており、関所としての役割もあったそうである。

休憩。

石清水八幡宮の近くまできた。京都府八幡市に入って橋本宿に着く。八幡の参詣で栄えた町である。ここは正式な宿場ではなく宿場と宿場のあいだにあるので「間の宿」と呼ばれた。昔の遊郭の町として知られていて、写真のように妓楼の作りの建物がまだ残っている。

昔の道標。「柳谷わたし場、あたご 山さきわたし場」とある。ここから対岸の山崎宿への渡し船があって、淀川右岸の西国街道と接続していた。柳谷は柳谷観音、あたごは愛宕神社のこと。

京阪橋本駅。雨がぱらついてきたし、足がもう限界なので今日はここまでとして、京阪に乗って帰る。本日の歩行距離はマップでは25キロとなっているが、この疲労度からするとそんなもんじゃないだろう。途中あちこち寄り道してるし、30キロくらいは歩いたんとちゃうかなあ。所要時間休憩含み7時間。スノウ、いまだ京へ辿り着かず。

コメント
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