5月某日。京街道を歩く、の2回目である。前回は大阪の起点の北浜から守口の鳥飼大橋までで終わりにした。
地下鉄に乗って大日駅まで行き、鳥飼大橋から再スタートである。今日は午後から雨予報40パーとなっている。今日は途中から京阪と平行するルートになっているので、降りだしたら中断して京阪で帰ることにする。
淀川左岸の堤防を延々歩いて守口宿の次の枚方宿に向かう。堤防の川側は淀川河川敷公園、市街地側は住宅地が広がっている。この日も外出の自粛を呼びかける市の広報車が走り回っていた。公園ではさすがに野球やサッカーなどやってる人たちはいないが、堤防をジョギングやウォーキング、サイクリングをしてる人は普段通りにけっこういた。
もう2時間近く堤防を歩いている。風景が変わらないのはきつい。出口の集落に向かう堤防を下りるポイントが見えてきた。
光善寺。出口の集落は光善寺を中心に形成された寺内町である。ここを過ぎると枚方宿になる。
京阪の枚方公園駅前。もう枚方宿の町中に入っている。ここにはひらかたパークという大きな遊園地があって、はいだしょうこさん関連では、2009年に園内でファミリーコンサートをやっているよ。
左の建物は元は鍵屋という船宿で、枚方宿の歴史を伝える鍵屋資料館として公開されている。今はあれの影響で閉めているので、残念ながら見学はできない。
趣のある街道筋が続く。ここを過ぎると、京阪枚方駅前の繁華街。
淀川の支流の天野川の土手(画像正面)に突き当たるところまでが枚方宿。枚方宿は東西で1.5㎞あり、東海道でも大きな宿場だったそうだ。天野川は名前の通り、天の川のことであり、七夕伝説があるところである。
京阪の牧野を過ぎ、樟葉に向かっているところ。歩行距離はとおに20キロは越えている。足が痛くなってきたわ。
京阪樟葉駅前を通り、樟葉台場跡に着いた。戊辰戦争の頃の台場跡である。台場というのは砲台を設置した要塞のこと。言わば城の一種だな。京街道はこの台場の中を通るように付け替えられており、関所としての役割もあったそうである。
休憩。
石清水八幡宮の近くまできた。京都府八幡市に入って橋本宿に着く。八幡の参詣で栄えた町である。ここは正式な宿場ではなく宿場と宿場のあいだにあるので「間の宿」と呼ばれた。昔の遊郭の町として知られていて、写真のように妓楼の作りの建物がまだ残っている。
昔の道標。「柳谷わたし場、あたご 山さきわたし場」とある。ここから対岸の山崎宿への渡し船があって、淀川右岸の西国街道と接続していた。柳谷は柳谷観音、あたごは愛宕神社のこと。
京阪橋本駅。雨がぱらついてきたし、足がもう限界なので今日はここまでとして、京阪に乗って帰る。本日の歩行距離はマップでは25キロとなっているが、この疲労度からするとそんなもんじゃないだろう。途中あちこち寄り道してるし、30キロくらいは歩いたんとちゃうかなあ。所要時間休憩含み7時間。スノウ、いまだ京へ辿り着かず。
地下鉄に乗って大日駅まで行き、鳥飼大橋から再スタートである。今日は午後から雨予報40パーとなっている。今日は途中から京阪と平行するルートになっているので、降りだしたら中断して京阪で帰ることにする。
淀川左岸の堤防を延々歩いて守口宿の次の枚方宿に向かう。堤防の川側は淀川河川敷公園、市街地側は住宅地が広がっている。この日も外出の自粛を呼びかける市の広報車が走り回っていた。公園ではさすがに野球やサッカーなどやってる人たちはいないが、堤防をジョギングやウォーキング、サイクリングをしてる人は普段通りにけっこういた。
もう2時間近く堤防を歩いている。風景が変わらないのはきつい。出口の集落に向かう堤防を下りるポイントが見えてきた。
光善寺。出口の集落は光善寺を中心に形成された寺内町である。ここを過ぎると枚方宿になる。
京阪の枚方公園駅前。もう枚方宿の町中に入っている。ここにはひらかたパークという大きな遊園地があって、はいだしょうこさん関連では、2009年に園内でファミリーコンサートをやっているよ。
左の建物は元は鍵屋という船宿で、枚方宿の歴史を伝える鍵屋資料館として公開されている。今はあれの影響で閉めているので、残念ながら見学はできない。
趣のある街道筋が続く。ここを過ぎると、京阪枚方駅前の繁華街。
淀川の支流の天野川の土手(画像正面)に突き当たるところまでが枚方宿。枚方宿は東西で1.5㎞あり、東海道でも大きな宿場だったそうだ。天野川は名前の通り、天の川のことであり、七夕伝説があるところである。
京阪の牧野を過ぎ、樟葉に向かっているところ。歩行距離はとおに20キロは越えている。足が痛くなってきたわ。
京阪樟葉駅前を通り、樟葉台場跡に着いた。戊辰戦争の頃の台場跡である。台場というのは砲台を設置した要塞のこと。言わば城の一種だな。京街道はこの台場の中を通るように付け替えられており、関所としての役割もあったそうである。
休憩。
石清水八幡宮の近くまできた。京都府八幡市に入って橋本宿に着く。八幡の参詣で栄えた町である。ここは正式な宿場ではなく宿場と宿場のあいだにあるので「間の宿」と呼ばれた。昔の遊郭の町として知られていて、写真のように妓楼の作りの建物がまだ残っている。
昔の道標。「柳谷わたし場、あたご 山さきわたし場」とある。ここから対岸の山崎宿への渡し船があって、淀川右岸の西国街道と接続していた。柳谷は柳谷観音、あたごは愛宕神社のこと。
京阪橋本駅。雨がぱらついてきたし、足がもう限界なので今日はここまでとして、京阪に乗って帰る。本日の歩行距離はマップでは25キロとなっているが、この疲労度からするとそんなもんじゃないだろう。途中あちこち寄り道してるし、30キロくらいは歩いたんとちゃうかなあ。所要時間休憩含み7時間。スノウ、いまだ京へ辿り着かず。