新・きものの基

絹や木綿、麻など素材から染織の歴史、技法、デザイン、そしてきものと暮らしの多様な関係までを紹介します!

富岡製糸場⑤

2008-03-09 19:00:33 | 富岡製糸場

富岡製糸場⑤ブリューナ(1)

 

日本の生糸の品質が年々粗悪になっているという不評から、イタリア公使に続き、明治2年イギリス公使と共にブリューナは生糸産地の現状を把握するため、武州、上州、信州、甲州などを10日間かけて視察し、本国に報告書を送ると共に、明治政府にヨーロッパの製糸器機を日本人向けに改良したものを導入し、新技術の導入のためヨーロッパ人を一定数雇用することなどの改善策を提言している。イギリス公使一向にフランス人のブリューナが加えられたのは、当時日本で生糸の検査においては最も目の鋭い人物と定評が高かったからです。そんなことからブリューナに官営製糸場の初代指導者(首長)として白羽の矢が立てられました。

ブリューナは、各地を視察し、最終富岡に建設地を決め、建設予定地の検地、くい打ちが終わると同時に、当時日本で製糸法として一般的だった座繰りの腕のいい女性4人を雇用して、30日間ほど作業を行わせ、自らの目で細か日本の製糸法を観察しています。ブリューナは、この目的を聞かれ、こう答えたとあります。 「是デ今度彼方ニ注文スル所ノ機械ヲ成ルタケ日本ノ風ニシテ在来ノ業ヲ変ジナイ様ニ欧羅巴風ニ移スト云フノ便宜」日本の工法の優れた部分を取り入れようと構想していて、この試験を参考にフランスに器械を発注、従来の欧州式を改良させて、日本人の体形に合うように高さを変え、富岡製糸場独特の「富岡式」といわれる製糸器機を開発して、導入。優れたヨーロッパの方式を押し付けず、このような発想を持ったブリューナと出会い、手工業からいわば産業革命、製糸の近代化をなしえたことは、日本にとって非常に幸運なことだったと思います。

*写真は、ブリューナが住んでいたブリューナ館

■月刊アレコレTOPへ

群馬県に移り住み、座繰りにこだわっている東宣江さんの「日本の養蚕」好評連載中。


 


最新の画像もっと見る