昭和30年仕事初めの記念写真、当時の従業員数は208名、昭和20年後半から昭和40年代に入社された宮崎トヨタ自動車OB会を平成24年7月24日(火)ニューウェルシティ宮崎で開催いたしました。
十数年ぶりの再開で現況と思いで話が尽きずなかなか受付されないOBの皆さん,高齢者で(80歳)以上が大半で幹事さんも大変でした。
昭和20代から昭和40年代のOB会員の時代はお客様が第一で就業時間は関係なく良く働いた時代でした、昭和30年代は不況で月給削減、月給袋の再利用、鉛筆が短くなったら竹を利用して
芯がなくなるまで鉛筆を使った時代でした。部品の納品はバス、汽車で発送しいたので、部品をリヤカーに満載して宮崎駅に行った時代でした。サービス班には車大工さんがいましたよね。思い出
話が続いてます。
昭和35年クラウン同好会の結成された当時のお話、クラウンは国産乗用車の代名詞になった乗用車でした。今の宮崎トヨタの基盤は当時の経営理念(人間を尊重の社風をつくり)お客様第一主義にして
県内に販売、サービス部門の拡充し(車を売るより、サービスを売れ)が鉄則であつたと思います、昭和23年頃から巡回サービスが開始された、当時としては誰も考えもしないサービスでした、物資の少なく売り手
市場で買い手がお土産を持参して買っていた時代でしたからね。当時のサービス班は白衣の(今ではお医者の制服)衣服を身に着けていて、まさにエリーと集団でした。トヨタは世界のトップメーカーとして6月末で
世界生産累計が2億台を達成したと発表されています、OB会員の皆様は退職はしましたがトヨタの一員として誇りを持っています。右上の写真は次回の幹事役の皆さんです。
大変盛り上がりました、みんな大変喜んで予定時間を1時間オーバーしましたが、OB会の皆様の益々のご活躍とご健勝を祈念して万歳三唱して閉会しました、次回も笑顔で再会出来ることを期待してます。幹事役の皆さんご苦労
様でした。一部のOB会員は一階のロビーで1時間以上別れを惜しんで思い出話や、政治、経済、宮崎県の未来について懇談していました。