ライフスタイル自由人

日暮れて途遠?一日を楽しく何でも挑戦し頑張つてます。

トウモロコシ収穫前にアライグマから食べられる

2012-06-29 18:07:52 | 日記

昨年もトウモロコシがこのように幹を倒し良く実ったころに被害にあいました。昨年はサルによる被害と思っていたが地区農家の話ではアライグマの被害と言われたがアライグマなど見たことない動物で信じなかったが、今年も同じような被害

(食べ方、幹を倒し実の皮を剥いでいる)を受けてます。最近サル対策が徹底していたのでサルは現れなのでアライグマの被害と確信しました。アライク゛マは雑食で特にトウモロコシ、メロン、スイカは好物との事で地区の畑ではほとんど被害に

にあってます。アライク゛マはもともと北アメリカ原産で、日本にぺットして移入されだが幼少期は可愛らしい風貌で人に懐くが,成獣になると気性が荒く誰でも噛みつくので捨てられたり,手が器用で簡単に脱走しまた繁殖力も有り天敵、競争種

もいないために増えるだけ、増えれば農作物だけてなく雑食のために家庭内の食品も被害を受けてます。乳牛の乳首も被害が出ているとか、市内のど真ん中だからと安心できません、なぜなら繁華街の残飯を狙ってます。              

                 

アライグマは可愛らしい風貌から餌を与えたい気持ちは理解できますが高い繁殖性や天敵がいないために増えるだけです、農作物の被害だけでなく人の健康ヘの影響、狂犬病や回虫症の媒介の危険性がありますので見かけたら           

触ったりして餌を与えないで下さい。       

         

          

 


レッドカサブランカ雨で室内に引っ越し

2012-06-26 20:53:16 | 日記

                

毎日雨で花も室内に引っ越してます。今年初めてレツト゛カサブランが綺麗に立派な大輪の花を咲かせて甘い香りが各部屋にたた゛よっています。写真は初めての一眼レフで撮影   

しました。左画シヤツター優先で右が全自動での撮影ですが、三脚を使ったのに左の写真はかなりぼけている、まだ画質補正の知識と技術が全く未熟ですので毎日が練習です。


思い出が詰まっているカメラ

2012-06-23 21:50:11 | 日記

私か゛使った歴代のカメラです。右のヤシカ35G、1960年代(昭和33年頃の写真機)魅力的なクラシックカメラです、会社に入社してカメラ部に入り良く車で写真撮影会に参加しました、昭和40年に結婚し子供二人の

成長の記録を沢山残している写真機です。右から二番目が1985年代のニコン35AD2で中央の後ろの望遠レンズが付いているのがペンダックスで米国に行った平成6年頃で十数万したカメラです、中央が1997年代         

オリンパスのカメラ、左の二台が平成17年頃のカシオデシタルカメラで書類作成に貢献したカメラです。全て思い出が詰まっているカメラで処分できません、大蔵大臣に怒らています。

今回初めてキヤノン一眼レンズカメラが大蔵大臣より購入の許可が出ましたので購入しました。今までは何も考えないでシャッターを押していましたが、今回初めての一眼レンズカメラを使用するのでカメラの機能.仕組みを充分   

に理解していません。今毎日説明書、参考書、ネットで趣味悠々を検索して撮影の練習中、もともと芸術的センスに欠けてますので、ひたすら撮影の練習しカメラの機能に負けないようにブログの取材に出かけます。

 


柳で虫刺されの痛みを抑える効果抜群

2012-06-20 22:09:35 | 日記

                                

虫刺されの季節になりました。庭に サザンカ.ツバキなどを植えておられる家庭では子供達はチャドクガの幼虫が葉の裏についてます、近くを通るだけで発疹が出ます注意が必要です。私は自家製の

薬をピンで二個作ってます。一個はトビシャク花を焼酎(20度以上)に漬け込み、漬け込んで数日後には発疹したところに液を塗ると効果がでます。 二個目は柳の若い枝から作る虫刺され薬を98歳の                    

おばさんから作り方を聞かれた75歳の貴婦人が作られていたので作り方を教えて頂きました。その作り方はいたって簡単です、柳の枝を1センチの長さで切りエタノール液に(アルコール.殺菌.消毒)漬け込むと                

虫刺されの、塗り薬として効果があるとのことで作ってみました。また水虫の薬として竹酢液お使いの方は匂いがきついのがお困りでしたら、柳をエタノール液に漬け込んだ液が水虫にも効果あるとのことす匂いもありません試しては              

いかがでしようか。。         

 


日向国での知られざる南北朝時代の戦い

2012-06-16 15:22:05 | 日記

1336年から1392年までの半世紀余りの時代の宮方と武家方の戦いで全く知られてない

柏原地区での戦いが展開されていた。宮方が伊東佑広、益戸四郎行政、肝属兼重、萩原  

兼政。武家方に伊東佑持他、土持宇左衛門太郎親他、太田助頼他、矢野義基、中でも島津

総州家内で内紛が勃発、島津家(当初宮方、途中から武家方)と肝付家との戦いは醜い争い

を展開してます。建武3年に柏原地区で日下部盛連と肝付兼重与党とで合戦を行つている、

柏原は南朝の一拠点であった。なおこの柏原地区は島津元久から平田親宗買うけし田代

宗次郎に売却されています。柏原神社は土持氏の氏神様が存在していたので南北朝の戦い

は熾烈な戦いだったと思われます。

1315年(鎌倉時代)大分県宇佐神宮からは日向国に派遣された土持家が建立した神社  

です。土持家は武家方で南朝方の肝付兼重とこの地で戦っているので柏原神社で必勝祈願

をしたことでしょう。

平安時代に柏原別府が開拓された地域で、開拓前は葦で覆われていた沼地でした。     

この地の地層は泥炭地層(馬の糞、乾燥して燃料として使っていた)で開発には難事業   

だったと思われます。今でも道路建設、公共施設の基礎工事にはかなりの工事費かかる   

所です。今では平安時代の開拓者の苦労が実って豊かな農地になってます。日向カボチヤ

は全国に知らています。またキュウリは宮崎県の栽培が全国トップクラスの生産地になつて

おり柏原地区も担ってます。また新しい作物(マンゴ、洋ラン)と新しい農業経営で成功され 

ている方が多くなりました。宮崎市郊外で実り豊かな田園風景が残ってます。