話して~♪

私の話も、あなたの話も

初回のセッションまで 1

2007-02-19 21:38:57 | 心の世界
10月6日

私はかなり我慢の限界に来ていて、このままこの状況が続くならどうにかなってしまいたい・・(実際何をするわけでもないですけどね)と言うところまで追い詰められていた。

前の年の11月11日、妹が拒食症で餓死した。救えない無力感と、アプローチし続ける私たちの高いテンション(緊張状態)に疲弊し、母、妹、私の3つ巴の地獄に落ちていた3年間。

それが終わった。葬儀のほか、さまざまな後片付けを夢中で済ませ、これから1年間は喪に服そう。と思った49日に母が脳内出血で入院。

一人暮らしもままならなくなり、同居生活が始まった。



妹の病気は気質的なこともあるが、母がもっとも大きな原因だった。父を早くに亡くし、依存的で自我の弱い母はまるで私たち姉妹の子供と言ってもよかったのだ。私は自我の目覚めた3歳には母を捨てた。家出したのだ。

そのときのことをよく覚えている。

この人の子ではだめだ。伯母の子にしてもらおうと思った。

もちろん、すぐに襟首つかんで連れ戻されてしまうのだが、それ以降母には心を開くこともなく週末は伯母の家に泊まり、時には友達の家を泊まり歩いてやり過ごし、18になったとき家を出た。

母にされていやだったことを上げれば本を何冊も書ける。でもそれはすべて母が愛されることばかりを望み、愛することを知らないことが原因だったのだ。



出血の後遺症で、身の回りのすべてをお世話し、回復のための援助をしなくてはならない日々が始まった。

これは私が3歳から逃げ回っていたツケなのだ。母を幸せにして感謝とともに逝かせられるよう努力しよう。と思っての同居であったはずなのに、私の中には子供時代の傷、怒り、悲しみの整理をすることなくふたをした状態ではじめた生活なので、それは無理が続かないものになってしまっていた。