治療オイリュトミストのKさんがドイツから来日した。
今の私があるのは、彼女との出会いがあったからといってもいい。
「自分の人生はひとつの舞台で、自分はその主人公であると言う意識を忘れないようにしなさい。」
「どれだけ自分をだめにすればそれに気がつくの?」
「親や兄弟とはいえ、自分の人生に取って代わることは出来ないんだから。」
「自分を大事にしない人は結局助けようとしても共倒れになるだけ。」
ドイツ暮らしの長い彼女は私の今までの状況を聞きながら歯に衣着せぬ厳しい言葉を次々と投げかけた。
私は生まれながらに絶望しているような子供だったから、周囲の強い要求に流されて不服でも言いなりになって生きてきた。
仕事を選ぶときも父の遺言に近かったし、母の要求を受け入れた形だったので、彼女の言うことはとてもよくわかった。
私は自分を主人公に使用とする気持ちは更々なかったのだ。
それは苦しくても当たり前の生き方だった。息苦しさも限界だったのかもしれない。心臓に負担をかけ、じん帯を切り、日常生活もままならないほど身動き取れなくなっていたのだから。
Kさんは2つの課題をくれた
ひとつは 私は私である
もうひとつは 私は世界に開かれる そしてそれを受け入れる
この動きを1年間。再び彼女が来日するまで毎日続けることが宿題だった。
わらをもすがる思いで休むことなく毎日無心で動いた。
目には見えない働き。その力を信じて、kさんの言葉を信じて進むしかなかったから。
そして1年後。彼女は私を見てそのことがすぐにわかったようだった。
去年のあなたは最悪の状態だった。それなのにそのことに気づくこともできていなかったんだから。と笑い、集団オイリュトミーに杖もつかずに参加出来たその努力と変化の大きさを喜んでくれて、みんなの前で報告してくれたのだった。
もちろん、それだけで問題が解決するような夢見たいな話があるわけでもなく、家族のこと、自分自身の人生をこれからがんばるための下地が少し出来ただけという感じで・・・。
毎年彼女は講座にやってきて、私はその後改めて報告するような大きな変化もなく何年もが過ぎていた。彼女はみんなの中から私のほうを見ることがあった。気にかけてくれても声をかけてくれないのは私の努力の継続を信じてくれているからだ、と思って私も何も言わなかった。
そして昨日、まるでそのときが来たかのように彼女と事務所で2人になった。
私は妹の死、母の病気、自分の状況を報告した。
彼女はねぎらいとともに笑顔を見せて
「本当によかったわね。逃げずに自分の人生を進むことが出来たあなたは今、外側じゃなく内面から輝きを放っていると言うことわかっている?
こうやって、変化の報告を聞くのが何よりも私にとってはうれしいのよ」
といってくれた。彼女の慰労が何よりもうれしい。
お礼を言って握手を求めた。ハグしたい気持ちだったけれど、それはなぜかまだまだ先にあるような気がして。
彼女は私よりもはるかに小さい手ではあったけれど、熱く燃えるような熱気を持っていた。私とそれだけ真剣に向かい合ってくれたのだと言うことがわかるようだった。
そして
「乗り越えてきたあなたにだから出来ることを、まだ迷いの中にいる人の役に立てるようにするにはどうしたらいいのか。亡くなった人とどう向かい合ったらいいのか。」
を考えることが次までの宿題になった。
やはり私はその方向にすすむということなのだろうか・・・・
「あなたは力があるし、本当に強い人だから」
という言葉が耳に繰り返す。
今の私があるのは、彼女との出会いがあったからといってもいい。
「自分の人生はひとつの舞台で、自分はその主人公であると言う意識を忘れないようにしなさい。」
「どれだけ自分をだめにすればそれに気がつくの?」
「親や兄弟とはいえ、自分の人生に取って代わることは出来ないんだから。」
「自分を大事にしない人は結局助けようとしても共倒れになるだけ。」
ドイツ暮らしの長い彼女は私の今までの状況を聞きながら歯に衣着せぬ厳しい言葉を次々と投げかけた。
私は生まれながらに絶望しているような子供だったから、周囲の強い要求に流されて不服でも言いなりになって生きてきた。
仕事を選ぶときも父の遺言に近かったし、母の要求を受け入れた形だったので、彼女の言うことはとてもよくわかった。
私は自分を主人公に使用とする気持ちは更々なかったのだ。
それは苦しくても当たり前の生き方だった。息苦しさも限界だったのかもしれない。心臓に負担をかけ、じん帯を切り、日常生活もままならないほど身動き取れなくなっていたのだから。
Kさんは2つの課題をくれた
ひとつは 私は私である
もうひとつは 私は世界に開かれる そしてそれを受け入れる
この動きを1年間。再び彼女が来日するまで毎日続けることが宿題だった。
わらをもすがる思いで休むことなく毎日無心で動いた。
目には見えない働き。その力を信じて、kさんの言葉を信じて進むしかなかったから。
そして1年後。彼女は私を見てそのことがすぐにわかったようだった。
去年のあなたは最悪の状態だった。それなのにそのことに気づくこともできていなかったんだから。と笑い、集団オイリュトミーに杖もつかずに参加出来たその努力と変化の大きさを喜んでくれて、みんなの前で報告してくれたのだった。
もちろん、それだけで問題が解決するような夢見たいな話があるわけでもなく、家族のこと、自分自身の人生をこれからがんばるための下地が少し出来ただけという感じで・・・。
毎年彼女は講座にやってきて、私はその後改めて報告するような大きな変化もなく何年もが過ぎていた。彼女はみんなの中から私のほうを見ることがあった。気にかけてくれても声をかけてくれないのは私の努力の継続を信じてくれているからだ、と思って私も何も言わなかった。
そして昨日、まるでそのときが来たかのように彼女と事務所で2人になった。
私は妹の死、母の病気、自分の状況を報告した。
彼女はねぎらいとともに笑顔を見せて
「本当によかったわね。逃げずに自分の人生を進むことが出来たあなたは今、外側じゃなく内面から輝きを放っていると言うことわかっている?
こうやって、変化の報告を聞くのが何よりも私にとってはうれしいのよ」
といってくれた。彼女の慰労が何よりもうれしい。
お礼を言って握手を求めた。ハグしたい気持ちだったけれど、それはなぜかまだまだ先にあるような気がして。
彼女は私よりもはるかに小さい手ではあったけれど、熱く燃えるような熱気を持っていた。私とそれだけ真剣に向かい合ってくれたのだと言うことがわかるようだった。
そして
「乗り越えてきたあなたにだから出来ることを、まだ迷いの中にいる人の役に立てるようにするにはどうしたらいいのか。亡くなった人とどう向かい合ったらいいのか。」
を考えることが次までの宿題になった。
やはり私はその方向にすすむということなのだろうか・・・・
「あなたは力があるし、本当に強い人だから」
という言葉が耳に繰り返す。