MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#1962 「大きな政府」を目指す前に

2021年09月11日 | 国際・政治


 NHKの報道(「国民負担率過去最大見込み 新型コロナで所得減少」(2021.3.7)によれば、国民の所得に占める税金や社会保険料などの負担割合を示す「国民負担率」が、令和2年度は全年度より1.7ポイント増えて46.1%となり、これまでで最も高い水準となっているようです。

 記事によれば、これは新型コロナウイルスの感染拡大の影響によるもので、国民の所得が減少したこと(で負担割合が高まったこと)などが主な要因とされています。

 さらに、新型コロナ対策として今年度、3回の補正予算を編成し財政赤字が膨らんだため、国民負担率に国の財政赤字を加えた「潜在的な国民負担率」も16.8ポイント増えて66.5%と過去最大となるということであり、将来にわたって大きな負担が続くことも見て取れます。

 国税や地方税、社会保険料などで所得の約半分、場合によってはそれ以上が政府などに持っていかれるとすれば、確かに負担感は募ります。メディアや野党からは「税金が高い」との声も高まっていますが、(意外に感じられるかもしれませんが)国際的に見れば日本は国民の負担が少ない「小さな国」として知られています。

 2019年若しくは直近の負担状況を対GDP比で比較すると、OECD加盟各国で最も高負担なのはデンマークの46.3%、次いでフランスの45.4%。さらにベルギー・スウェーデンの42.9%と続いています。OECD平均では33.8%となり。おおよそGDPの1/3が国全体を支えるために徴収されているのが実態のようです。

 一方、日本の負担率は計算上32.0%と平均をやや下回る水準です。(医療や福祉は自己責任の)米国の24.5%、(福祉が置き去りにされている)韓国の27.4%などと比べれば高いものの、ヨーロッパの高福祉の国々からみればまだ「可愛いもの」と言えるかもしれません。

 さて、新型コロナウイルス禍がもたらした社会・経済環境の変化は、こうした状況にも大きな影響を与える気配です。

 米国バイデン政権は、コロナ禍に傷ついた経済の回復や格差の是正に向け(「第2のニューディール」と呼ばれるような)空前の財政出動を打ち出しており、「大きな政府」に向け急速に舵を切りつつあります。コロナ禍のもとGDPの2倍を超える大きな債務残高を抱える日本も、いつまでも国債に頼っているわけにもいかないでしょう。

 こうした状況を踏まえ、6月27日の日本経済新聞の経済コラム「大機小機」では、「「大きな政府」日本の事情」と題する一文において、(日本の方針転換に関する)興味深い視点を提供しています。

 1980年ごろから続く「小さな政府」への世界の流れは、大きな転換点を迎えつつあると筆者はこのコラムの冒頭に綴っています。
 新型コロナウイルス禍を機に政府の役割は飛躍的に高まった。バイデン米政権は米国救済計画に加え、雇用計画、家族計画といった大型財政政策を立て続けに打ち出して「大きな政府」へと明確に舵を切っているということです。

 もともと日米に比べ「大きな政府」だったヨーロッパ諸国は、英国の欧州連合(EU)離脱でその色彩を一段と明確にした。政府は今後、気候変動対策を軸に経済社会への関与をさらに強めていくだろうというのが筆者の見解です。

 それでは、日本も(同様に)「大きな政府」に向かうのかと考えてみると、事情はかなり違ってくる。その根本には、国民の政府実態への認識の問題があると筆者は指摘しています。

 財政赤字の大きさから日本政府は「大きすぎる」と思っている人も少なくないようだが、実態は全く異なる。財政支出のGDP比は確かに極端に低いとはいえないが、これは世界に冠たる高齢社会であるが故に社会保障支出が多いからにすぎず、一人一人を見れば(決して)手厚い保障とはなっていない。多いと言われる公務員の数も、国際比較でみれば圧倒的に少ないということです。

 データが示すとおり、(世界的に見れば)日本は極めて「小さな政府」と言える。例えば、新型コロナウイルス禍への対応の失敗にも、(デジタル化の遅れといった要素はあっても)最終的には自治体や保健所などの人員や権限の不足に起因するところが少なくなかったというのが筆者の認識です。

 こうした状況を踏まえ、専門家の間では、中高等教育や職業訓練、非正規雇用に対するセーフティーネットなどの面で「政府の関与を強化すべき」との意見が多いと筆者は言います。教育に費やす政府支出も先進国では低水準で推移しており、科学研究費の削減にノーベル賞受賞者らが警鐘を鳴らしているのも周知のとおりだということです。

 しかしその一方で、消費税増税への根強い反発やその強さなどを考えれば、国民の間に政府の役割強化への合意が存在するとは(とても)思えないというのがこのコラムで筆者の指摘するところです。

 (今のまま)日本が「大きな政府」に向かうとすれば、それは「財政規律喪失」の結果である可能性が高い。実際、超低金利に安住して巨額の予備費が設けられるなど、財政規律は一段と緩んでいるように思われると筆者は現状に懸念を表しています。

 そしてもしもこの先、米国も含めた世界各国が「大きな政府」に向かうとしすれば、日本としてその影響をさらに注視しなければならないのは「海外金利の上昇リスク」ではないかと筆者は見ています。

 既に米国ではインフレ再燃、長期金利の上昇懸念が浮上しており、短期金利はともかく、長期金利が海外で大きく上がれば日本経済も安泰とは限らない。このままの状態で金利が上がれば、1200兆円を超える莫大な債務を抱える日本の財政は、確かにひとたまりもないでしょう。

 日本が安易に政策転換できるほど、現状は甘くはない。世界経済の状況を振り返れば、(日本が「大きな政府」に向かう以前に)強制的に財政再建を迫られる可能性をまず考えておくべきだとするこのコラムの指摘を、私も厳しく受け止めたところです。



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