MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#1907 仕事の「当たり前」を疑う

2021年07月18日 | 社会・経済


 日本経済新聞社と転職サービスのパーソルキャリア社が今年3月に行った調査(個人約1万6千人、法人383社を対象)において、新型コロナウイルス禍を契機として働き方や働く場所についての認識が(労使ともに)大きく変化している様子が明らかになったと6月6日の日経新聞が伝えています。

 コロナ禍で企業が新たに導入・拡大した対策では、「ウェブ会議システムの整備」が79.4%と最も多く、「テレワークの導入・拡大」も68.1%に達していて、47.3%はコロナ禍の収束後も継続すると答えている。テレワークの導入を機に転勤や単身赴任の廃止や中止を決定・検討している企業も1割前後あったほか、本社の移転・縮小を検討している企業もが全体の11.5%(東京都の企業に限れば21.5%)に上ったということです。

 また、働き手の意識の変化について、個人に「転職時に柔軟な働き方の整備を重視するか」を聞いたところ、「重視する」「まあ重視する」と答えた人は20代で76.8%に達し、50代でも62.6%が(こうした)自身の意識の変化を自覚していたとされています。

 実際、この1年間の新型コロナの感染拡大は、出勤の自粛やテレワークの普及によって、働く側にも、働かせる側にもその意識に大きな変化をもたらしていることを、肌で感じる機会も多くなりました。
 始業時間になってもオフィスのデスクが歯抜けに空いているのはもはや普通の風景になり、皆がそれぞれのペースで淡々と業務をこなしている。会議の数もぐっと減り、打ち合わせはチャットでチャチャっと、資料を使った意見交換や報告などZoomの使い方にもずいぶんと慣れてきた感じです。

 一方、一旦そうなると感じるのは、今までの仕事の仕方は一体何だったのかということ。朝9時に皆が出勤して朝礼をしたり、夜遅くまでグズグズと残業を続けたりしていた日々は既に過去のものとなり、自分がいかに無駄な時間を過ごしていたかとか、いかに意味のない慣例に縛られていたかなどが白日のもとに晒される事態となっています。

 勿論、こうした状況は私の周辺だけでなく、日本中、あるいは世界中で起こっていることなのかもしれません。6月19日の総合経済サイト「東洋経済ONLINE」では、株式会社圓窓代表取締役の澤円(さわ・まどか)氏が、「意味がないのに横行しているムダな仕事トップ3」と題する興味深い論考を寄せています。

 コロナ禍が始まって以来、これまでやってきたからやっていたにすぎない無意味な仕事が次々と炙り出されてきたと澤氏はこの論考で述べています。
 例えばその第一に挙げられるのは、「毎朝9時に出社する」ということだと氏は言います。

 多くの会社は、工場や店舗や工事現場を基準にして自分たちの出社時間を朝8時半や9時に定めてきた。これは「現場でトラブルがあったときに連絡がつかなければ問題になる」といった(もっともらしい)大義名分によることが多いが、これだけスマートフォンが普及した時代に(来るかどうかもわからない)現場からの連絡を、オフィスで待ち受ける必要があるのか疑わしいというのが氏の認識です。

 業務の効率だけを考えれば、全社員が同じ時刻に出社する必然性は全くない。なのに、なぜ皆を朝9時に揃わせるかと言えば、結局のところ、「不公平になる」とか「現場は早く出ているのだから」とかいった、仕事とは関係のない理由によるものだということです。

 朝9時に一斉に出社することで電車も道路も混雑しエレベーターには長蛇の列。こんなことでは社員の生産性は上がるはずがない。それでも、こうした習慣がなかなか廃れなかった背景には、「現場は早くから動いていて悪いから、それに合わせよう」という日本人特有の気質や同調圧力があったからではないかと氏は指摘しています。

 氏が次に挙げる「無意味な仕事」の二つ目は、「「報告」「連絡」ばかりの会議をしている」ことです。
 「日本企業にはムダな会議が多い」とは昔から言われていることなのに、いつになっても改善の気配は見えてこなかった。それは、「会議でしたほうがいいこと」を理解していないからだと氏は話しています。

 例えばビジネスパーソンにとってはおなじみの「報・連・相」について、「報告」に使うレポート作成や「連絡」を対面で行ったりすることで時間を浪費している傾向があるというのが日本の組織の現状に関する氏の見解です。

 本来、「報告」と「連絡」は過去から現在までにすでに起きたことについての話なので、ITツールを用いて自動化し、効率的にデータ化できるはず。データは「見ればわかる」もの。それをわざわざ時間を使って、人を集めて報告させることにまったく意味はないと氏は言います。

 会議のたびに出席者は移動しなければならず、ここにも無駄が生まれてきた。(コロナ以降だいぶ考え方に変化が現れているが)、その背景には「目上の人に直接会わずに報告や連絡をするのは失礼だ」という(日本古来の儒教的な)意識が広く強く共有されていることがあるのだろうということです。

 そして氏は、無意味な仕事の三つ目の例として、「毎日、会社に行くこと」を挙げています。
 みんながいる会社に行きさえすれば、(部署やチームに組み込まれることで)仕事をしたことになる。そう多くの人が思い込んでいたかもしれないが、仕事とは本来、なんらかの価値を創造することのはずだと氏は説明しています。

 そうした仕事の本質を理解せずに、ただ会社に行って与えられた作業をこなすことを仕事だと勘違いしていた人たちは、コロナ禍で「出勤」できない状態を強いられたとき、「いままで自分は何もしていなかった」ことを身をもって実感したのではないか。
 会社という「場」に依存することで「出勤」と「仕事」とを混同し本当は仕事をしていなかった人が、今回のコロナ禍であぶり出されてしまったというのが氏の指摘するところです。

 そう考えれば、この1年余りの環境の変化によって、仕事のあり方が根本的に変質していることを肌身で感じている人は、とても増えているのではないかと氏は推測しています。
 すでに私たちは、「既存の価値観を疑う」ことからはじめる時代に生きている。新型コロナウイルスの出現は、私たち一人ひとりの変化を、さらに社会全体の変化を否応なく加速させているということです。

 そうした中、(時代に合わせて)あなた自身を変えていくには、まず常識を疑うことから始めるべきだと氏はこの論考に綴っています。
 私たちはこれまで以上に「あたりまえ」を疑い、新たな価値をつくっていかなければならない。朝9時に出社すること、報告だけの会議に出ること、毎日会社に行くこと、これらのすべてを「疑う」ことから始める必要があるということです。

 幸い、世の中の新陳代謝は進み、昭和の高度成長を支えてきた古い世代も企業の第一線から退出しつつあります。デジタル技術や通信機器などの進歩も、きっと強く後押ししてくれることでしょう。
 しかし、どんなに「変化」を求めても、「あたりまえ」に縛られた途端に思考は停止し、その先に広がる自由でクリエイティブな平原に足を踏み入れることができなくなってしまうと氏はしています。

 であればこそ、今まず行うべきは、「疑う」こと。そうすれば、あなたの人生はぐんぐん輝きを増していくはずだと話すこの論考における澤氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。



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