今回は、海外における出生率(合計特殊出生率)に関する話題です。
先進国間の協議の場として設置されているOECD(経済協力開発機構)に加盟する34か国の中でも、最も出生率が高い(2013)のはイスラエルの3.030で、次いでメキシコの2.185、トルコの2.041と続いています。一方、最も低いのは韓国で1.187、次いでポルトガルの1.280、ギリシャの1.290ということです。
また、主要国(G7)では、フランスが最も高く2.010、次いでイギリスの1.920、アメリカの1.870、カナダの1.610、イタリア・日本の1.430、ドイツの1.380の順に並んでおり、数値には意外なほど大きな差がついていることが判ります。
面白いことに、古い枠組みで言えば米・英・仏の旧連合国の健闘が光る一方で、日・独・伊(加えて韓)の旧枢軸国では少子化の進展が顕著に表れています。
日本、ドイツ、イタリアの3国は文化的な土壌や政治制度はそれぞれ大きく異なりますが、第2次大戦で壊滅的な打撃を受け、復興の時期をともにした国々が同じ悩みを抱えているというのも、思えば不思議な因縁です。
中でも、日本やドイツについては、(どちらかと言えば)建前を重んじる根暗な国民性のイメージから少子化についても「さもありなんと」思うのですが、母系社会で家族思い、陽気で恋愛に積極的なイタリアの国民性を考えれば、こうした出生率の状況に「意外」な印象を受けるのは私だけではないのではないでしょうか。
そのような疑問に応えるかのように、生活総合情報サイトの「All About」では、子育て・家族問題に詳しいライターの川崎環(かわさき・たまき)氏が、「恋愛の国イタリアが超・低出生率のワケ」と題する興味深いレポートを掲載しています。
日本と同様、南北に長いイタリアですが、その出生率の低さは比較的田舎の南部よりも、都市部であるミラノ・ヴェネツィア・フィレンツェ・トリノなどがある北部で顕著だと川崎氏は説明します。
一般にどこの国でも都市部の出生率が低いのは経験則上明らかで、例えば東京都の出生率は1.15(2014)と全国平均1.42を0.3ポイントほど下回っています。しかし、イタリアのそれは別格で、実際、シチリア島などを含む南部の出生率が1.30から1.40で推移しているのに対し、北部では0.70から0.80と一人っ子すら生まれていない状況にあるということです。
なぜ、このような状態が生まれているのか?
川崎氏によれば、もともとイタリアを含む南欧地域では、スウェーデンなどの北欧に比べて人々が晩婚の傾向にあると言われているそうです。
例えば、親の家を離れて独立する平均年齢は、スウェーデンの男性で20.0歳、女性で18.6歳なのに対し、イタリアでは男性が26.7歳、女性は23.6歳となかなか家を出ていかない。そういう意味でイタリアは、いわば「パラサイト王国」と言えるということです。
氏はその原因を、イタリアの福祉政策の貧弱さにあると見ています。失業補償や所得保障が手薄であるため若者が経済的に自立しにくく、親に長く財政的に依存せざるを得ないのだということです。
またイタリアの都市部では、歴史的景観を維持するためもあって住宅の賃貸料が非常に高く、物件数も少ないという特徴があると川崎氏は述べています。
住宅事情が悪いので、賃貸よりも分譲という形で住宅を取得しなければ親と別居することができない。家を買う取得費用が捻出できなければ、なかなか親元から離れられない構図があるという指摘です。
そうした状況もあり、イタリアの若者は「親が許してくれないと結婚できない」様々な事情を抱えていると川崎氏は説明しています。結局、親からの自立は親の援助なしでは成り立たず、そのチャンスは「親が納得する相手との結婚」ということになりがちで、いきおい晩婚になるケースが多いということです。
このように考えていくと、こと結婚事情に関しては、パラサイトと晩婚化、生活費(住宅費)の高さなど、イタリアは日本と共通する問題を抱えていると川崎氏は見ています。
一見自由に、思いのままファッショナブルに生きているように見えるイタリアの若者たちにも、日本の若者たちと同様、意外に厳しい現実が突きつけられているということでしょうか。
日本とイタリア。遠く離れた両国ですが、子供たちに甘い親たちと、それを前提としたある意味「貧弱」な社会制度は共通しています。そうしたまったりとした環境の下で、若者の自立は(「茹でガエル」のように)どんどんと先送りにされていると言えるのかもしれません。
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