1月25日の総合経済情報サイト「DIAMOND ONLINE」が、長年アマゾン本社の経営中枢でCEOジェフ・ベゾスを支えてきたコリン・ブライアー氏と、ビル・カー氏の共著「アマゾンの最強の働き方─Working Backwards」の内容を紹介しています。
興味深いのは、ベゾスがパワーポイントの使用禁止を決めた理由について書かれた部分。マイクロソフト社によるおなじみのビジネスソフト「パワーポイント」による一見明快なビジュアルが、経営上必要な理解をかえって妨げているという記述です。
ジェフ・ベゾスと彼らは、(出張中の機内で)イェール大学教授で情報の可視化に関する分野の第一人者であるエドワード・タフテ氏の「パワーポイントの認知スタイル─内なる誤謬からの脱却」という論文を読み、意見を交わした。それは、この論文が、私たちが当時経験していた問題を一文で言い切っていたからだということです。
タフテ氏はこの論文に、「議論し分析しようとする対象が、因果関係を伴い、変数が多く、比較対照を要し、エビデンスを重視するものであり、かつ問題解決を求めるものであればあるほど、それを短い箇条書きの羅列で表現することによる弊害は大きくなる」と記していた。それはまさに当時のチーム会議の議題の多くに当てはまっていたということです。
経営上の多くの議題は複雑で、相互に関連し、膨大な情報を吟味する必要があり、個々の決定事項がのちのちさらに大きな影響を及ぼす可能性があった。そうした際に問題を分析するには、パワーポイントでこしらえた資料はふさわしくないというのが、(その時)ペゾス氏らが出した結論です。
ストーリーが単線的に進行するスライドを使って、いくつものアイデアを関連づけて議論しようとすることには無理がある。細切れの文章ではアイデアの奥行きを表現しきれず、視覚的効果は表面を飾り立てるばかりで、むしろ集中力を妨げる方向に作用するというのがその理由です。
パワーポイントは物事を単純明快にするどころか、重要な意味があるはずの行間をめぐる議論の機会を奪ってしまうと、ブライアー氏らはこの著書に記しています。補足情報を書き添えたり口頭で説明したりしても、私たちは会議の目的をパワーポイントのプレゼンで達成することはできない。単純化されたフローチャートでは描き切れないニュアンスや関係性に、いら立ちは募るばかりだったということです。
さらに、経験豊富なアマゾンの経営幹部たちは、忙しいこともあって、すぐに核心に迫ろうとした。(お偉方へのプレゼンでは「よくある話」ですが)スライドの順序などお構いなしに発表者に質問を浴びせ、さっさと重要な話に移るように急かしてくると氏らはこの著書に綴っています。
しかも、そうした質問の中には、論点を明確にしてプレゼンを先に進める効果がなく、むしろ議論を本題から逸らす原因になるものもあった。先を急ぐ質問に対しては、あとのスライドで予定していた説明によって回答しなければならない場合などもあり、発表者が同じ説明を繰り返す羽目になることも多かったということです。
こうした状況を踏まえ、この著書では、アマゾン社が最終的に選択した一つの解決策を示しています。
重要なプレゼンテーションでは、パワーポイントのスライドよりも、文章、数字、グラフ、画像を組み合わせた紙の資料のほうが効率的な場合が多い。それは、詳しい情報を読み込むことで、文脈を理解し、比較し、順序立て、新たな視点から事実関係を見直すことができるからだということです。
スクリーンを介した発表はデータに乏しく、記憶に残りにくい。それだけでなく、聞き手を受け身にさせて無知の状態にとどめ、発表者に対する信頼感も低下させてしまう。そこでアマゾンのトップたちは、『今後は、プレゼンではパワーポイントではなくワードを使用すること」を決断したということです。
本書によれば、ジェフ・ペゾスは新しい方針を導入するにあたり、「20ページのパワーポイントより、4ページの良質なメモを作成するほうが難しい。ナラティブで書く場合、本当に重要なことや物事の関連性を考えざるを得ないからだ。それが理解できていないと文章を書くことはできない」と話したとされています。
本質や関係性を本当に理解していなければ、自信をもってワードのレポートに仕上げることは難しいもの。そういう意味で言えば、パワーポイントを用いたプレゼンはあくまでひとつのパフォーマンスにすぎず、だからこそ(意思決定のツールとしてではなく)アイデアをもっともらしく見せるための手段として活用すべきものだということでしょう。
気が付けば、ものを説明する際のツールとして、もはや欠くことのできない存在となっているパワーポイント。しかし、「より早く」「より分かりやすく」と上司にせかされ、ディテールを削り取った単純明快な説明が省いてしまった関係性の中に、問題の本質となるような極めて重要な要素が含まれている場合もきっとあることでしょう。
そもそも、一つ一つの言葉や言い回しの中に込められた繊細な感性は、(ある意味)日本人の強みでもあったはず。パワーポイントの一般化によって失われてしまったものの大きさに(時には)思いを馳せてみる必要があるのではないかと、記事を読んで私も改めて考えさせられたところです。
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