「ジニ係数」とは、「所得や資産がどれくらい平等に分けられているか」を可視化するため、イタリアの統計学者コッラド・ジニによって考案された数字とのこと。(細かな計算式は省きますが)ジニ係数が0であれば、その集団の所得が完全に均一で全く格差がない状態。ジニ係数が1であれば、集団全体の所得をたった1人が独占している状態を指し、その集団の所得格差を数字的に表す指標として使われています。因みに、このジニ係数には「警戒ライン」というものが存在していて、一般的には0.4を越えると暴動や社会騒乱が増加すると言われているようです。
さて、国連が発表している「世界経済状況・予測2022(World Economic Situation Prospect 2022)」によると、新型コロナウイルス感染症などによる経済への逆風が強まる中、先進各国でも格差の拡大が顕著である由。2022年の各国のジニ係数を見ると、先進国ではアイスランド(0.25)、ノルウェー(0.26)、デンマーク(0.27)、フィンランド(0.27)、スウェーデン(0.29)などの高負担・高福祉で知られる北欧各国が、世界的にも平等性の高いグループに属していることがわかります。
一方、所得格差の大きなグループには、(先進国では)ジニ係数警戒ライン上にある0.40の米国や0.37のイギリスが並び、日本(0.34)、イタリア・韓国(0.32)、ドイツ・フランス(0.3)なども、比較的所得格差の大きな国と捉えてよさそうです。数字を見る限り、米国やイギリスなどのアングロ・サクソンの国々で(ある意味とびぬけて)所得格差が高い(→所得の再配分が進んでいない)ように見えますが、そこには何か特別な理由があるのでしょうか?
そんな疑問を抱いていた折、日本経済新聞のコラム「やさしい経済学」に連載中の東京理科大学准教授松本朋子氏が、12月27日の「所得再分配を支える世論(7)」において興味深い指摘をしていたので、参考までにその内容を小欄に残しておきたいと思います。
所得格差の拡大は、社会の安定や民主主義の維持に大きな負の影響を及ぼすことから、再配分による所得の平準化が暮らしの向上や生活の安寧に重要な意味を持つことは(理屈としては)理解している人が多い。しかしそれも、ある程度、衣食が足りていればのこと。例えば、明日の糧にも困るような経済状況に置かれた時でも、人は他者に優しく、支えようと思えるのか。
たとえ支えることが正しいと理解していても、先行きが不安な状況で全員を支える余裕がないと感じれば、支える相手を選ぶべきだと考え始めるかもしれない。人は感情の動物であり、特に自分が苦しい状況にあれば、支える相手を「自分たちの仲間」と見なせるかどうかでその意欲に差が生じるかもしれないと、松本氏はコラムに記しています。
氏によれば、こうした問題は20世紀後半、西欧に比べ、米国がなぜ所得再分配に消極的なのかという問いから議論されてきたということです。米国には多様な人種が共存し、しかも人種間の所得格差が大きいという特徴がある。研究者たちはこうした特徴に注目し仮説を提起したと氏は話しています。それは、人は自分が属する集団内での格差が広がると再分配を支持する一方、自分とは異なる集団の貧困には冷淡になり、再分配を支持しにくくなる…というものです。
この議論はさらに進み、米国が移民国家であることから、「所得再分配と移民の共存は難しい」という仮説が生まれてきたと氏は説明しています。近年では移民を積極的に受け入れた西欧でも、この視点が注目されているとのこと。トランプ新大統領の再登板により不法移民への風当たりが強まると予想される米国では、所得再配分へのハードルはさらに高まることも考えられます。
移民と再分配政策の関係については現在も分析結果が定まっていないが、これは(他人事ではなく)今後の日本にも大いに関係のある課題だと、松本氏はこの論考の最後に指摘しています。
過去10年間、日本では外国人労働者が急増している。少子高齢化が進む日本において、即戦力として労働人口を支えている外国人労働者に、(日本人と同様の)福祉を提供するのは当然のことだと氏は言います。また、外国人労働者を含めた所得再分配は、外国人の増加によって一部で懸念されている治安悪化の防止にもつながるだろうということです。
しかし、(感情論として)日本社会は本当に外国人労働者を「仲間」として受け入れることができるのか。この問いは近い将来、日本が向き合うべき課題になるかもしれないと話す松本氏の指摘を、私も大変興味深く読んだところです。
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