SNSを展開するLINEが今年の6月、全国の高校1年生から3年生の男女1,000人を対象に、「2023年に流行しそうな言葉」についてのアンケート調査を実施した結果が発表されていました。
Top3にランキングされた言葉を見ると、栄えある1位は「それな」の5.1%、2位は「草」の3%、3位が「知らんけど」の2.1%とのこと。若者とチャットを交換する機会のない(イマドキの)世相に疎いおじさんたちには、少しハードルの高い結果となったようです。
因みに、「それな」とはSNSや会話などで、相手の発言や意見に対し「まさに!」と相づちを打つときに使われる言葉とのこと。「そうだよね」「その通り」のニュアンスですが、「わかるわかる」といった、相手へのホスピタリティを滲ませる便利な言葉として使われているようです。
また、2位の「草」は、「笑える」「ウケる」などの感情を伝えるワードで、そのまま「くさ」と読み「マジで草(マジで笑える)」「電車混みすぎて草(電車が混みすぎて笑える)」のように使われるとのこと。起源は、ネット上で「笑い」を意味する「www」から来ており、「w」が並んでいる様子が草原のように見えることから、「草」という言葉が生まれたとされています。
一方、3位の「知らんけど」は、以前から関西で頻繁に使われていた言葉です。何かを話した後に「知らんけど…」とつなげ、「責任は持てないけど」「実はよく知らないけど」とエクスキューズを示すもので、断定を嫌う若者たちには重宝される言葉だということです。因みに、相手に「知らんのかい!」と突っ込ませることで、会話を盛り上げることも期待できるとネット上にはありました。
さて、それにしても、流行り廃りの早いネット社会において(こうして泡のように)生まれては消えていく若者言葉にも、案外息の長いものがあるようです。「マジ」や「ヤバい」などはその代表格。会社での会話などを聞いていても、いい年をした30代の大人たちまでが、「えーっ、マジー?」とか「それ、ヤバっ!」とか普通に話しているのを耳にします。
そもそも、既に耳慣れたこうした言葉たちは一体どこから来たのか。学習出版の小学館が運営する情報サイト「HugKum」に、同社で長年辞書編集に携わってきたエッセイストの神永曉(かみなが・さとる)氏が、『「マジ」は江戸時代から使われていた!「えっ!それマジ?」』と題する一文を寄せていたので、参考までにその一部を紹介しておきたいと思います。
「マジ、やばい」などと言うときの「マジ」という言葉。実は江戸時代からあった語だということを知っている人は少ないだろうと、神永氏はこのコラムに記しています。
「マジ」は通常「まじめ(真面目)」の略と考えられているが、「まじめ」も「マジ」も、使われ始めたのは同じ江戸時代の頃のこと。江戸時代中期に書かれた洒落本(←江戸の遊里を、会話を主体に描いた本)『にゃんの事だ』(1781年刊)には、既に「気の毒そふなかほ付にてまじになり」(真剣になってしまった)と使われているということです。
因みにこの小説は、江戸本所にあった岡場所を舞台にしたもの。この岡場所は猫茶屋とも呼ばれそこの遊女はネコと称していたため、「にゃん」のこと…と題されたと氏は説明しています。
氏によれば、「マジ」のもとになった「まじめ」の語源はよくわかっていないが、「まじめ」も「マジ」もともに江戸時代からある言葉で、「まじめ」が生まれて比較的早い時期に省略形の「マジ」も使われるようになったはずとのこと。(もしかしたら)もともと「マジ」という語があり、それに「細め」「控えめ」などと同じ、度合いや傾向を示す接尾語「め」がついて、「まじめ」になったという可能性もあるということです。
現在使われている「マジ」は、江戸時代の用法とはいささか異なるため、それが継続的に使われたとは言えないかもしれない。しかし、(言葉の成り立ちや用法から見て)根っこの部分は同じだと考えてよさそうだというのが氏の推測するところです。
さて、こうして話を聞いてみると、江戸時代に使われていた言葉が、現在も若者たちの間で身近に存在しているケースは他にもいろいろあるようです。
調べてみると、例えば「ヤバい」は江戸時代の滑稽本・十返舎一九の「東海道中膝栗毛」にも「やばなこと」という表現が見られるとのこと。昔は牢屋を守る看守のことを「厄場(やば)」と呼んでおり、転じて、状況が悪くなって厄場(やば)の世話になりそうな悪い状況のことを「やばい」と呼ぶようになったという説があるとされています。
また、江戸時代の矢場(射的場)では闇売春が盛んに行われていたため、役人から目をつけられたら危ないという意味で、「ヤバい」と言われるようになったという説もあるようです。
因みに、現代では「気持ち悪い」の略語として、「生理的に受け付けない」といった意味で使われることが多い「キモイ」ですが、江戸時代には「窮屈な」とか「狭くて不快だ」という意味で日常的に使われていたということです。
歴史は繰り返す…と言うか、こうして見てくると、言葉というのは案外身近なところで時代に合った形で使い回されているものなのかもしれません。「それな」とか「知らんけど」とか、200年も後世の若者たちが何も知らずに使っているとしたら、(それはそれで)楽しいことかもしれないなと私も改めて感じたところです。
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