MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯388 PTA活動が嫌われる理由(ワケ)

2015年08月04日 | うんちく・小ネタ


 「PTA(Parent-Teacher Association)」は、英語の頭文字を並べたこの種の組織の中では日本でもっともポピュラーな、ある意味既に日本語化した存在と言えるかもしれません。

 PTAは一般に、学校の教育活動を支援することを目的に、学校単位で組織される保護者と教職員による組織と捉えられているようです。しかし、学校教育法その他の法律にPTAに関する記載はなく、社会に広く定着しているこの団体が実は法律に何ら基づかない全く任意の団体であることは、意外に知られていないかもしれません。

 文部科学省の見解では、PTAは社会教育法の第三章に記載されている「社会教育関係団体」(のひとつ)に当たるということですから、法律的に見れば「父母と先生の会」というよりも、建前としては、学校関係者相互による生涯教育団体という位置づけにあるようです。

 ググってみると、そもそもPTAは、第二次大戦直後の混乱期にアメリカから派遣された教育使節団の報告書に基づき、学校教育民主化の一環としてGHQの指示により全国の学校への設置が推奨されたものだということです。そして、GHQ(特に米国政府)の意向を受けた文部省(当時)が、事務次官名で全国の都道府県知事あて設置を通達したのがその始まりとされています。

 こうして、大戦後の様々な事情の中から生まれたPTAですが、その後の復興期や高度成長期における学校教育への人々の期待を背景に、それぞれの学校の限られた教育リソース(教員や施設・設備や予算)を保護者がバックアップするための支援機関として、日本の教育に大きな役割を果たしてきたのもまた事実でしょう。

 しかし、学校や親たちを巡る環境がそうした時代とは大きな変化を見せている現在、PTAへの在り方やその意義、そして運営方法について見直しを求める声も、(特に保護者サイドから)大きくなっているようです。

 編集者で教育現場に関する著作も有するライターの大塚玲子(おおつか・れいこ)氏は、5月22日の「東洋経済オンライン」(2015年05月22日)において、昨今の親たちにPTAが嫌われている理由を具体的に大きく3つ挙げています。

 その一つ目は、「平等な負担が目的化しているから」というものです。委員や役員決めをする際、保護者の間に漂う「押し付け合い」の嫌な空気。PTAが嫌われる最大の要因は、この陰湿なシチュエーションにあると大塚氏は言います。

 誰にでも、「個人的な事情」というものが存在するはず。それなのに、本来の目的はどこかに忘れられ、活動自体は「前年どおり」とする一方で、皆で平等に負担することのみが目的化してしまっていることがよくあるという指摘です。
 
 大塚氏は、「平等な負担」を目的化させないためには、「やりたくない人がやらないで済むシステム」をつくることが必要不可欠だと述べています。最近では、個々の仕事について人を募集する「ボランティア方式」を採用するPTAも増えているということですが、いずれにしても、やりたい人がいないときでも無理やり「誰か」を選ぶ形をやめさえすれば、PTA活動の負担感は随分薄らぐのではないかというのが氏の見解です。

 PTAが嫌われる理由の二つ目は、「想像を絶するグダグダな進行」(笑)にあると大塚氏は指摘しています。

 運営の効率が悪くて、とても耐えられない。分担したほうが効率がよい作業でもいちいち集まって一斉に取り組まなければならない。会議を始めても、すぐ話が横道にそれ、おしゃべりで長引いてしまう。紙やメールで済む連絡を関係者を集めて全文読み上げる…等々、PTAの運営に関するこうした指摘は枚挙にいとまがありません。

 組織で行う作業に慣れない人や時間に余裕がある人にとってはあまり苦にならないことでも、仕事や介護に追われる忙しい人にとってはなかなかの拷問だと大塚氏は言います。いわゆるイクメンの一般化や女性の社会進出、ひとり親家庭の増大などが進み、保護者の置かれた環境は一時代とは大きく変化しています。そうした中、会議や事業の進め方にも、「前例踏襲主義」を排した(ある種の割りきった)合理性が求められるのは当然と言えるでしょう。

 進め方以前の問題として「そもそも仕事が多すぎる」という指摘も無いではありませんが、そこは学校サイドの協力を得て、少なくとも運営の非効率さについては「変えるべきところは変える」という保護者サイドの合意が必要だということでしょうか。

 さて、PTAが嫌われる理由として大塚氏が最後に挙げているのが、PTAの持つ「ウェットな人間関係」が嫌だから…というものです。

 そもそも、現代は人間関係そのものが忌避されている時代だと大塚氏は考えています。特にPTAは、趣味も生活環境も年代も異なる共通点の少ない人たちが集まりであり、当然、最初から「かかわりたくない」と思う人が多いはずだという指摘です。

 そうした状況へのアドバイスとして大塚氏は、PTAは、仕事とは違って利害関係もなく、またどうしても(ずっと)関わり合わなければいけない人間関係などでない。(いつ辞めてもいいという)楽な気持ちで実際に参加してみると、「意外と楽しい」と感じる人が多いのがPTAの特徴でもあるということです。

 同じ地域に住んで、同じ学校に子どもを通わせる保護者として共通の意見や話題があるもので、そうした部分に目を向けて付き合ってみれば、思ったよりも「壁はない」ことに気づくかもしれないと、大塚氏はここで指摘しています。

 さて、PTA創設のそもそもの目的のひとつに、学校(教員)や保護者たちの「民主化教育」があったことは先ほど述べました。また、学校の教育リソースが少なかった時代にあっては、学校側も本来職員や行政が負担すべき業務や資金の一部をPTAに(言い方は悪いですが)押しつけてきという側面もあったかもしれません。

 PTAの運営がうんざりする程「公平」や「平等」を重要視しているのにも、それはそれで理由があったということでしょう。また、保護者に対し、教育事業(や通学指導などの周辺事業)への協力に加えPTA会費などによる費用負担が半ば義務化されているのも、そのような歴史があってのことだと考えられます。

 しかし、PTAを巡る環境は大きく変わり、そうした時代はもはや「過去のもの」として割り切る必要があるのかもしれません。場合によっては、学校側の意識改革を求める必要もあるでしょう。本来義務でも何でもないのですから、無理をすることはないのです。

 現在のニーズと能力に合わせて根本から考え直す良い機会が訪れていると考え、まずは保護者と学校が膝を交え、PTAの(そして学校の)在り方を話し合ってみる必要がありそうです。





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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2015-08-05 15:24:35
戦後のGHQの政策の一環で、左翼的思想を背景とした教師と違って戦前の皇国思想などを継続して持つ保護者の監視と転向が、隠された目的だったのでしょうね。
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