今から2年ほど前の話です。
奈良市内から車で法隆寺に行こうとしたのですが、慣れない関西で土地勘もなく、どこをどうしたものかと道に迷って、結局高速道路に乗って気がついたらここは一体何処だ…という状況になっていました。
その時、トンネル状のアンダーパスを抜けると、突然、本当に何の前触れもなく、にょっきり目の前に現れた巨大な「それ」に、家人と二人、本当に驚きました。
そこまでは、都会の何処にでも見られるようなニュータウンの景色が普通に続いていたのに、「それ」の姿が見えたとたん周辺の空間が日常から隔絶されて、まるで「それ」に支配された異界となっているかのように私たちには感じられたからです。
「太陽の塔」は日常的な空間を切り取ってしまう。今でもそれだけのパワーを持っているようです。
大阪の万国博覧会の時、小学生だった私は真夏の太陽の下、陽炎が揺れるお祭り広場で初めて「それ」に出会いました。ニュースや写真を見ていたので当然そこに「それ」があることはよく分かっていたはずなのに、実物を目にすると、何故そこにそんなものが必要なのか、少年の心では全く理解できませんでした。
「あるべきでないモノがそこにある…」。世紀の祭典に沸く多くの日本人が、一方で、ある種の違和感と不安感を持って「それ」を見上げたはずです。
後に東京都庁の設計者となる建築家の丹下健三が設計した「お祭り広場」。近代技術の粋を凝らしたその大屋根を貫いて立ち上がり周囲を睥睨するその姿は、開場にしつらえられた「近未来」の建築群の中にあってあきれるほどの異彩を放っていました。
岡本太郎は、その生涯において「芸術は爆発だ!」「芸術はきれいであってはいけない。うまくあってはいけない。 心地よくあってはいけない」と繰り返し叫んでいます。
ほとんどの日本人が経済成長や近代化に魅了されていたあの時代に、岡本の目には確かに「違うもの」が見えていたのかもしれません。爆発させなければならないエネルギーが岡本の感性の中に芽生え、その爆発に揺さぶられた何千万人もの人の心がそこにはありました。
「何だこれは!」…テレビカメラをにらみつけて放つこの台詞には、彼のパッションの全てが込められているような気がします。
岡本太郎は、「自分の価値観を持って生きるってことは嫌われても当たり前なんだ。」と言い切ります。強い心は、強いが故に時に理解されない。それを自明のこととして敢然と受け入れた岡本は、その変人ぶりを超えた本物の「芸術家」でありました。
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