MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2375 「育休中のリスキリング支援」への違和感

2023年03月05日 | 社会・経済

 国会答弁の中で岸田首相が、育休中にリスキリングできるように支援するという主旨の発言をしたことに対し、テレビや新聞といったマスメディアや有識者など、多方面からの厳しい目が向けられました。

 事の発端は、1月27日の参院代表質問において自民党の大家敏志議員が、産休・育休の取りづらさの背景に「昇進昇給で同期から遅れを取ること」があると述べたこと。「育休・産休の期間に、リスキリングによって一定のスキルを身につけたり、学位を取ったりする方々を(国が)支援できれば逆にキャリアアップが可能になることも考えられる」と提案したことに始まります。

 これに対し岸田首相は「育児中など様々な状況にあっても、主体的に学び直しに取り組む方々を、しっかりと後押ししてまいります」と答弁。政府として、親御さんたちが職務能力向上に努めたり資格を得たりすることに向きな姿勢を示したわけですが、その答弁自体がこれほど世間で問題となるとは、岸田首相自身、思ってもみなかったことでしょう。

 答弁内容はあくまで「直しに取り組む人を支援する」ということで、「育休中は時間があるのだろうからリスキリングしたらどうか」と提案しているわけではありません。しかし、(結果として)この答弁が育児の当事者である人たち(特に若い女性たち)の心に厳しく刺さったのは、その発言のどこかに(基本的な部分での)どうしようもない違和感を感じる人が多かったからと言えるかもしれません。

 それでは、(判らない人には全然わからない)その違和感の原因はどこにあるのか。3月3日の総合ニュースサイト「withnews」に『「心に手を突っ込まれる」気味悪さ〝リスキリング〟首相発言への疑問』と題する論考記事が掲載されていたので、参考までに小欄にその一部を残しておきたいと思います。

 1月27日の産休・育休中のリスキリングへの支援に関する岸田首相の答弁に対し、SNS上には「職場復帰に向け自分を高めるのは良いことだ」といった賛成の声が上がった。しかしその一方で、「それ自体、育児したことがない者の発想だ」「当事者のことが見えていない」など否定的な意見も飛び交い、大きな議論を呼ぶことになったと記事は記しています。

 親が子供を養育する場合に、明確な対価が支払われることは極めてまれなこと。赤ちゃんのおしめを素早く取り換えたりミルクを上手く作ることができるようになっても、一般に勤め先の給料が上がるわけではない。米国の哲学者エヴァ・フェダー・キティは、こうした(育児のような)脆弱な他者をケアする行為を「依存労働」と名付け、その原理は、施しに見合った報酬を誰かと交換し合う賃労働などとは(本質的に)異なるものとして位置づけられていると記事はしています。

 依存関係においては、被保護者から見返りを得るのは不可能な場合が多い。依存労働は、(それでも)より弱い立場にある人々の生存に不可欠な最低限のニーズを満たすために行われるものであり、キティは、この営みが「社会的協働」つまり「お互い様」の精神に支えられているもので、政策立案の指針にもなりうると説いているということです。

 ケアが守るものは、社会的なつながりと人間の尊厳であり、いずれを奪われても、私たちは命をつなぐことができない。幼少期には、誰しもが生きるために保護者の手を借りざるを得ない…ゆえに依存労働の担保は、社会全体で負うべき「道徳的な義務」であり、その責任をケアの主体だけに押しつけてはいけないというのが記事の指摘するところです。

 翻って、「産休・育休取得者にリスキリングを」という、政治家の主張に人々が違和感を覚えた理由、それは件の発言に、生存のためのケア(つまり出産や育児)に対する、基本的な敬意が感じられなかったからではないかと記事は綴っています。

 そこにはまた、一人ひとりの親御さんの努力を、経済的な観念で査定しようという(政治的な)意図が垣間見える。そのように考えると、SNS上を中心に巻き起こった批判についても、理解しやすくなるというのが記事の見解です。

 リスキリングという言葉が伴う響きは(明らかに)「硬質」で、私たちを否応なく(市場主義的な意味での)学び直しへと駆り立てると記事は言います。そして、これを「権力を持つ側」が振りかざせば、市民を労働へと絡め取り、変化し続ける環境に適応できない者を容赦なく切り捨てるための刃にもなるということです。

 確かに、「子育てに専念しているだけでは置いて行かれる」「仕事を休んでいるんだったら、その間(より高い給料を得るために)勉強したらどうだ」という論理は、発想そのものが経済の論理に基づくもの。そこには、「子育て」という行為への敬意が全く感じられないという記事の指摘は的を射たものかもしれません。

 人間の価値はその労働生産性にあるという価値観を「当たり前」と受け止める人が増えている中、「政治に携わる人々にはその暴力性にこそ自覚的になって欲しいと思われてならない」と結ばれた記事の指摘を、私も興味深く読んだところです。

 



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