世界の大手総合旅行ブランド「エクスペディア」が、毎年行っている「有給休暇の国際比較調査」。4月18日に発表された今年の調査結果では、コロナ禍の下、日本で働く人の有給休暇の取得率が6年ぶりに改善し、過去11年の調査の中で最も高い60%に達したとされています。
これを世代別に見ると、18歳から34歳の若者の取得率が67%まで上がった一方で、(それより上の)35歳以上の世代ではいまだ60%を下回っているということです。支給される休暇日数は若者の方が少ないものの、それ以上の世代に比べ、彼らは積極的に有給休暇を取得していることがデータからは見て取れます。
ただ、そうした若い世代ですら、依然としてアメリカの80%やイギリスの84%などと比べると、(有給休暇取の得率が)低いと言わざるを得ません。因みに1位はタイは111%、2位は台湾の107%で、いずれも100%を超えています。コロナ下の調査ということもあり、(こうした数字からは)前年の繰り越し分なども含め、多くの雇用者が支給日数を超える休暇を取得している状況が伺えます。
新型コロナの緊急事態宣言で在宅勤務やテレワークが浸透する中、それでも多くの人が4割もの休暇を残している日本。同調査で「コロナ禍の下での有給休暇の取りやすさ」について聞いたところ、約3割の人が「取りやすくなった」と答えた一方で、半数以上が「変わらない」と回答しているということです。
ステイホームでやることがないとはいえ、日本人はなぜこれほどまでに休暇を取りたがらないのか。5月16日の「東洋経済ONLINE」に、同志社大学教授の太田 肇(おおた・はじめ)氏が「日本人の有休消化率はなぜこれほど悪いのか」と題する論考を寄せているので、参考までにここで紹介しておきたいと思います。
日本の労働者の年休取得率が欧米に比べて低いことや、残業が恒常的に行われていることについては、いくつかの原因が指摘されている。例えば欧米諸国では、取得しなかった休暇を会社が買い取るよう法律で義務づけているところも多いし、企業が時期を指定して休暇を取得させる国もある。また日本では雇用調整が難しいので、代わりに残業で労働投入量を調整せざるをえないという事情もあると太田氏はこの論考に綴っています。
しかし、問題の本質はそういった制度の部分ばかりにあるのではではないと氏は言います。労働政策研究・研修機構が2010年に行った調査(「年次有給休暇の取得に関する調査」)で有給休暇を残す理由について聞いたところ、「休むと職場の他の人に迷惑になるから」「職場の周囲の人が取らないので年休が取りにくいから」「上司がいい顔をしないから」という回答が上位に挙がっている。また、所定労働時間を超えて働く理由については、10.3%の人が「上司や仲間が残業しているので、先に帰りづらいから」と回答しているということです。
いったいなぜ、日本人の働き方はこうなるのか。そもそも経済学の常識では、人間は金銭的利益が最大限になるよう効率的に行動するものであり、残った有給休暇を買い取ってもらえないなら、権利としてすべて余さず取得するはずだと太田氏はしています。
時間外労働をしても大して割り増しがないどころか、サービス残業扱いでタダ働きなら残業などしなくて当然のはず。ところが多くの日本人は強制されなくても休暇を残し、当たり前のように残業をする。
多くの日本人は休暇を残し、少ない手当か無給で残業することで会社に自らの労働を献上する。この状況を経済合理性から見れば、純粋な愛社精神や勤勉さの表れなどではなく、見返りに(金銭の代わりに)会社や上司・同僚から「承認」を得ようとしていると考えるのが妥当だというのが氏の見解です。
実際、いくら仕事ができても、休暇をめいっぱい取得したり、まったく残業をしなかったりする人は奇異な目で見られ、陰口をたたかれたりすることすらある。勿論、人事評価に響く可能性もあると氏は言います。
これは裏を返せば、それだけ共同体のメンバーにとって、共同体のなかで承認されること(あるいは承認を失わないこと)が重要だということ。超過的な貢献や忠誠心をアピールしづらいテレワークや裁量労働制、ワーケーションなどが思うように普及しないのも納得がいくということです。
特に、「承認欲求」については自力だけでは充足することができず、相手の自由意思に依存するという受動的な性質があると氏は説明しています。
テレワークで出社しないと不安になるという理由には、そうした承認欲求の性質も関わっていると考えられる。いくら仕事ができても、それを評価するのは上司であり、テレワークの場合は、仕事ぶりが周囲から見えにくいので不安は膨らむ。さらに、仕事の分担が不明確で一人ひとりの成果を捕捉しにくい日本企業では、評価者の感情や利害関係が評価に入り込みやすいという状況も影響しているだろうということです。
一般に、個人的なつながりが深いほど「特別扱い」しやすいことは、「内集団ひいき」や「ネポティズム」などとして広く知られている。物理的な近接性も感情や利害関係を左右する大きな要因で、互いに近接しているほど相手に対する情報も、また承認の機会も多いというのがこの論考で氏の指摘するところです。
とりわけ、評価に当たり、よく(人となりを)知っているか、一緒に苦労をしてきたか、同じ釜の飯を食ってきたかなどが大きく影響する日本の会社組織において、「共に過ごす時間」というのは(良くも悪しくも)それだけ重要な意味やインパクトを持っているということでしょう。
そしてこのことこそが、(日本人が)普段接している人から認められるか否かに無関心でいられない理由だと話す太田氏の指摘を、私も大変興味深く読んだところです。
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