40年近くお付き合いしている親友から電話があり、
「主人、亡くなったの」 「えっ」 いきなりだったので絶句です。
病気をしているとか、入院をしているとかいう話は、まったく無かったので大変驚きました。
具合が悪くなってから一週間もたたない内の昇天でした。
相当つらい筈なのに、死に至るまでの経過を気丈にも淡々と語ってくれました。
聞いている私の方が涙涙でした。
「葬儀の事は、これから決めるから、又連絡するね」
そして翌翌日、お通夜と告別式の日取りを告げた後、
「最後まで見送ってくれるよね」 「勿論」
「お願いがあるんだけど、告別式の受付をしてほしいの」 快諾しました。
彼女との最初の出会いは、私がデザインスクールに通うため、広島から東京に出てきて、
スクールの春休み、夏休みにアルバイトをした先の職場です。
両親に「水商売のアルバイトをしていると判ったらすぐ連れ戻す」とキツク言われていたので、
堅い仕事を捜し、準公務員の会社に応募して、採用されました。
彼女と同じ部署だったので、お昼休みは一緒にランチをしたり、話をしたりしていました。
その頃、洗濯用の粉石鹸が品切れで、どのお店に行っても手に入らなかった時代がありました。
(年齢がバレテしまう)
だからお風呂用の固形石鹸で洗濯をしている話をしたところ、翌日
「これ、家にあったから使って」と持って来てくれました。
その時「じゃぁ、明日持って来てあげるね」と言われていたら、それ程印象に残らなかったと思う。
何も言わないで持って来てくれた事は、インパクトありました。
もう1件「明日、あなたのお弁当も作って来るから、持って来ないでね」
私は当然お母様が作っているのだとばかり思っていたので、
「お母さんに面倒かけて悪いじゃない」と言うと「いえ、私が作るの。いつも自分で作っているのよ」
私は実家に居る時、お弁当は何時も母が作ってくれていたので、チョットびっくりでした。
無言実行だし、思いやりはあるし、その上自立している人なんだな
と感じ入って、それ以来の長い長いお付き合いです。
お互い別の道に進み、忙しくて2・3年会えない時があっても、
逢えば昨日も逢ったような感じで話せる相手です。
告別式の当日は、一時間前に来てほしいとの事で、千葉まで出かけました。
「ほとんどの方がお通夜にお見えになったので、告別式は少ないと思う」
と、いう事で受け付けは私一人ですることになり、
初めての事なので、係の女性にいろいろ説明して頂きましたが、
ふと、気になる事があり「香典袋にお金が入ってなかった場合どうしたら良いのですか?」
「そうですね、皆さん慌てていらっしゃるので、時々ありますね。その場合は、
我々に言ってください。ご本人様に私共の方からお伝えします」
粛粛と式が進み、御棺の中にお花をいっぱい詰めて、
お花畑で眠っているような御主人様とお別れです。
親友のお姉様方2人が「焼場は親戚だけだよね」と話していらしたので、
当然、私は出棺までと思い、お見送りの他の方達と一緒に、庭にたたずんでいました。
すると、係の女性が「喪主様が、一緒に行って欲しいと言っていますのでお車に乗って下さい」
親戚で無いのは、私一人でしたが、寄り添っているだけで良いのかも知れないと、
勝手に解釈して用意されていた車に乗り込みました。
火葬場で、待っている間に豪華なお食事も出て、
親友の隣に席を設けて頂いていたので、久し振りにいろんなお話をする事ができました。
ここの所、お互い忙しくて一年以上逢ってなかったので、
御主人様が、ゆっくり話でもと逢わせてくださったのかなと思います。
ご冥福をお祈りいたします(合掌)