MoiMoi。のココデハナイ ドコカ。               

「この世界には私が撮らなければ誰も見たことがないものがあるのだと信じています」by ダイアン・アーバス。   

cp+始まったけれど、、、。

2023-02-24 | wandering photographerのひとりごと。

写真好きだがカメラに興味が無いと言うかよく分からない。つまりメカ音痴。

なのでCP+行っても大して面白いと思った事がないので、今年はパス。

何年か前、CP+行き販売店で皮のネックストラップを500円で購入。

あとでヨドバシで調べたら4000円もするものだったので、めちゃ得したなと思ったぐらい。(翌年にも行ったが、その手の物は売ってなかった)

とにかくメカ苦手な人間なのでフィルム時代も日芸写真学科出身の従兄弟に、何買ったらいいかと尋ねたらnikon全盛期にCANONF-1が良いと言われ買い、フィルム時代はCANON一辺倒。

デジタルに関しては、橋本さんから『MoiMoi。さん(僕の事です)はSONYがいいんじゃないかな?』と言われコンデジからずーっとSONY派。

コンデジ買った当時、CANON一眼は液晶画面がチルト出来る商品なかなか出さなかったのもCANON離れの理由。

CANONは写真はファインダーを覗いて撮るもんだと言う、ステレオタイプ(固定観念)があったんじゃないかと勝手に思っているけど結果的にミラーレスなど考えるとSONYにして大正解だったと今のところ思っている。

どっちにしてもミラーレスのような小型高性能のデジカメが出現しなかったらコンデジレベルのデジタルカメラで今でも撮っている事でしょ!。

初めてのミラーレスはSONY NEXT5T。買って1年と1ヶ月でレンズぶっ壊れ修理に出したら買った方がお得と言われヨドバシ横浜にいた顔見知りのソニー派遣のIさんに相談したらα6000をヨドバシ価格より大幅に値引きしてくれたのでゲット。

これも後で考えたら、めちゃラッキー。

α6000買っていなかったら、今のように仰山写真撮ってないと思う。つまりお散歩カメラ程度にしか写真撮ってないと思う。

NEXT5Tはあげちゃったので、現在使用しているミラーレスは、α7Ⅳとα7IIIがメインで、お散歩カメラとしてα6000。

α6000はバウンス出来るストロボ内蔵と言うのがめちゃ便利。

α7Ⅳはフィルム時代やってたピント合わせが瞬時に出来るのでめちゃ気にいっている。これに85㎜(f1,8) α7IIIに20㎜(f1,8)を随時装着して撮影している。ミラーレスはゴミが入りやすいので、レンズ交換したくないのも理由だけど。

 

 

 

 

 

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子供の時、父親の会社に一緒に行った事がある。

2023-02-16 | コラム

小学生低学年の時、父親の友達だった森繁久彌さんが日本テレビの番組に出演(おそらく父親が出演依頼したものだと思う)するので一緒に行った事があるが当時、親が自分の勤めている会社に子供を連れて行くなんて珍しかったんじゃないかな。

この時、部屋で森繁さんに「趣味は何かな?」と聞かれ「何でも趣味です」と言ったら会話終了してしまったが、今考えてみても間違った答えでは無かったように思われる。

日本テレビのすぐそばにあった寿司屋にもよく食べに行ったので結構何度も行っているのかもしれない。

当時まだテレビ塔もあった。永六輔さんが日本テレビの下に家があったみたいな事をラジオで言っていたけど、それは覚えない。

父親がクレージーキャッツの犬塚弘さんは感じがいい人だったよみたいな事を言っていたのを覚えている。

父親は芸能ではなく報道局だったが当時は局員も少なく、人気番組「光子の窓」のプロデューサ、井原(高忠)さんや「11pm」のプロデューサー後藤(達彦)さんの名前などは家でも聞いた事がある。

松崎 真さんと言う、後に笑点で座布団運び役で話題になった俳優さんと仲良かったみたいで、どこかの駅で父親を見かけ「磯田局長ー」と大きな声で呼ばれた事を楽しそうに話していたのを覚えている。

とにかく友達が多い人で、いろんな会社の社長などとも交流あったらしい。

この性格を僕はまったく受け継いでいなかったので、どっちかと言うと1人でいる方が好きだったが、横浜引っ越してきてから性格変わったみたいで人と会うのが苦手では無くなったかも。

なんて事を思い出している今日この頃。

(写真は父親のお通夜に久ヶ原の家に来てくれた森繁久彌さん。葬式は日本テレビの社葬だったので写真も日本テレビの人が撮ってくれたので色々残っている)

 

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12年に1度の大lucky year!。

2023-02-06 |  THAT's 文(雑文)

16年前のこの時期引っ越し場所を探している最中だと思い昔のこのブログを読んでみると大倉山、菊名近辺歩き回っている。

22000歩以上も歩いたなど書いている。

とにかく気に入った場所に住みたかったが、これと言ってイメージ無く東横沿線新丸子駅から菊名まで徘徊したがビビっと来なかった。
最終的に不動産屋さんの細田さんが探してきたのが横浜の今のマンションだが、東京に近い川崎近辺で探していたのでここまで来るとは考えてなかった。

でも段差もなく、机なども角が丸くいろんな面で条件一致。

さっさと引っ越さないと久ヶ原の家の取り壊しの時期が迫っていたので結構焦っていたかも。
たぶん引っ越した翌日には取り壊されたと思う。

6月6日に横浜に引っ越してきたけど、この年の前半は精神的にも肉体的にもそーとーキツかった。

時々思い出し音楽業界のダチ(東京時代はダチは仕事仲間しかいなかった)などに当時の事を話すとまーみなさん、ひでーとんでも無い事に巻きこまれたなと驚いている。

ただ流れに任せて逆らわなかった事が逆によかったんだと思う。あとで知った事だがあの年は僕にとって12年に一度の大ラッキー年だと判明。

次の12年目には何も無かったが、、、。

写真は僕が生まれ育った久ヶ原の家の跡に建てられた家。

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