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「この世界には私が撮らなければ誰も見たことがないものがあるのだと信じています」by ダイアン・アーバス。   

大学時代思い出すのはバイトだけかも。

2023-07-08 | コラム

人生で1番退屈だったのは高校時代。2番目に退屈だったのは大学時代かも。文学部は片親(父親は10代の時急死)なので就職不利と言う母親の考えで、受けさせてもらえず、しょうがなくまったく興味無い経済学部受験。

國學院大は受験科目が少なかったので受けただけで、それ以外に理由はない。

出席したのは文化人類学と英語(テスト毎回満点)と当時、テレビによく出て来た樋口清之先生の授業ぐらい。経済はほぼ欠席。なので今でもクラスメートで名前と顔が一致するのは3人しかいない。3年間でほぼすべて単位取ったので4年の時、RCAレコードで半年バイトのプロモーター。これが人生最後のバイト。

最初のバイトは1年の時新宿のpitinn clubの前歩いていたらウェイター募集の張り紙あったのですぐ応募。履歴書が必要だと言われすぐそばにあるアドホックで買って現場で書いた。

これが初めてのバイト(高校時代はバイト禁止)だが目的はギブソンの175が欲しかったから。でも高かったので、その後、いくつか違うバイトし結局fenderのTelecaster Thinline (結果的にこれにして正解だったが)を五反田のTOC内にあった楽器店で購入。この時初めて領収書に「上様」と書くというのを知った。

pitinnのバイト料めちゃ安かったので、さほど長くはいなかったが辞めてからもしょっちゅう顔出し、タダでライブ聞かせてもらった。(皿洗いとか手伝ったのかもしれない)

左隣にイレブンと言うpitinnと同じ経営者が経営していた茶店があり、そこに可愛い女の子がバイトで入って来て、目の前の道路隔てた所に並んで座り彼女のアイシャドウが綺麗だったので褒めたのを覚えている。

あんまり部屋が暑くて辞めたバイト。クラスメートの親戚がやってるタクシードライバー相手のレストランでの皿洗いも、これも嫌ですぐ辞めた。結構続いたのはNHKの小道具係。

テレフィットと言う会社に登録して渋谷のNHKセンターに泊まり込みでスタジオに小物持って行ったりしていた。さほど忙しくなかったのでお料理番組や大河ドラマの収録をスタジオで見学したりしていた。

クラスメート(誰だが記憶無い)の紹介で高輪プリンスホテルの皿洗い。

駐車場が無料だったので車で行ったりしていた。

ほぼ毎日暇だったが、一度だけ結婚式の会館での皿洗い2人で担当だったがドタキャンされ1人で担当。ひっきりなしに皿など洗いもんがくるもんだからたまったもんじゃない。

おばちゃんたちも手伝ってくれたが、めちゃ大変だった。この時、バイトでピアノ弾いてる、たぶん音大の女子大生と少し話したりした。

高輪プリンス内のトリアノンと言う、高級レストランでの皿洗いが一番多かったが、ここは洗い物を機械に通すだけなので楽。ウェイターさんがコーヒー持ってきてくれたりした。

ガラスの小さな灰皿がかっこよかったので一つ拝借。結構長く、家にあった。

この頃にはギター買ってるが基本集団がダメなので家で1人で弾いていた。

この性格は子供の頃から変わってなく、小学生の時、友達がいないんじゃないかと心配した母親が担任に相談した事もあった。

集団嫌いはなぜ出席したのか記憶無いが一度だけ30代の時、高校のクラス会に出かけて行った。この時、なぜか高校時代話した事無い、当時不良だった連中が話しかけて来たのが面白かった。

それと一年の時の担任神田(こうだ)先生に二次会の時、エレベーター前で、みんなと離れて1人で立っていたら、「磯田は昔から、そーだったな」と言われた。

この先生は劇団など主催していて演出していたので観察力が鋭かったのかもしれない。

脱線してしまったが、とにかく高校は先生は良かったが生徒がバカだった。(一番仲良かった通称クラークは賢かったが)

大学は授業出ずバイト優先。でもちゃんと4年で卒業した後、kittyレコード入社。

でも集団が苦手で入社した時から他の仕事考えていた。

しかし母親の実家も渋谷の國學院のそば。バイトしていたRCAレコードも宮益坂上の仁丹ビルの前。就職したkittyレコードは宮益坂下った明治通り沿いのビルの上。

渋谷に縁あるのは間違いない。

※写真は一生懸命バイトして買った、今でも大事にしているfenderのTelecaster Thinline

 

 

 

 



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