モカとティータイム

生まれて2ヶ月で我が家に迎え入れたモカの成長記録と
スローライフな日常を楽しく綴って行きたいと思います。

切手にフォーカス(5)

2023-05-21 06:07:00 | 日記
久々の切手掲載です

少し長い解説文なので
興味のない方はスルーしてください

「20世紀デザイン切手シリーズ」

第2集
1910年(明治43年)
1913年(大正2年)の題材9種類を
1シート10枚構成で発行


(説明は、同時添付された「解説文」から)

①文部省唱歌始まる



当時の教科書表紙飾り模様と題字
及び「唱歌双六」(部分)

(教科書:明治44年発行
「尋常小学唱歌第一学年用」)

(「唱歌双六」:大正11年1月1日発行
「子供之友」の付録

〈解説〉

1910年(明治43年)7月14日文部省編集の
「尋常小学読本唱歌」が発行された。
「春がきた」「われは海の子」など
馴染み深い楽曲27曲を収録している。

当時の国語の教科書である
「尋常小学読本」から26の韻文教材を
歌詞に選び、作曲も
日本人の手によるもの

②白瀬隊南極探検


白瀬矗(のぶ)中尉の肖像とオーロラ

〈解説〉

白瀬矗(のぶ)中尉を隊長とする27名の
南極探検隊は1910年(明治43年)11月28日
東京の芝浦から「開南丸」で出発し
南極を目指した。

1911年(明治44年)2月に南極圏に進んだが
氷山に阻まれ、一旦は退去
11月19日に再び南極圏を目指した。

1912年(明治45年)1月28日
南緯80度5分への南進を果たし
一帯を大和雪原と命名した。

③④初の国産飛行機、飛行船


初の国産飛行機「会式一号」と
初の国産飛行船「山田式第一号」

飛行船:明治43年9月9日の航空試験の様子

〈解説〉

初の国産飛行機「会式一号」

1911年(明治44年)4月
臨時軍用気球研究会の陸軍委員
徳川好敏太尉が国産飛行機の設計に着手し
10月13日、徳川太尉の操縦により
初の公式飛行に成功。

その後旋回を含む数回の試験飛行や
訓練飛行に成功。
国産軍用機の第一号となった。
なお、同年5月には所沢において
「奈良原式二号」が民間機初の
飛行をしている。

初の国産飛行船:山田式一号

1910年(明治43年)9月9日
円筒型繋留気球の発明者•山田猪三郎氏が
製作した「山田式一号」飛行船が
日本初の野外目的飛行に成功した。
9月20日には、東京上空を1時間程かけて
一周した。

これにちなんで制定されたのが
毎年9月20日の「空の日」

⑤野口英世博士の活躍


晩年の博士の肖像と愛用の顕微鏡

〈解説〉

1876年(明治9年)福島県猪苗代に生まれた
野口英世博士は
ロックフェラー医学研究所に入所し
研究を続け、ノーベル賞候補となった。

1913年(大正2年)には梅毒患者の脳内に
スピロヘータの存在を証明。

1919年(大正8年)には黄熱病原体を発表

1928年(昭和3年)5月、黄熱病研究のため
訪れていた西アフリカ・アクラで
逝去した。

⑥ニホンオオカミ絶滅


「博物館獣譜」に掲載されたオオカミの図
(東京国立博物館所蔵 博物学者
田中芳男氏編纂)

〈解説〉

ニホンオオカミは本州、四国、九州に
広く分布していた。日本固有の亜種。

1905年(明治38年)に奈良県吉野村
鷲家口(わしかぐち)で捕獲された
若い雄が最後の標本といわれ、現在
大英博物館に所蔵されている。

以後、確実な生息情報がなくなった
ことから、この頃絶滅したと
考えられている。

⑦五輪に初参加


ストックホルム大会の
入場行進と五輪マーク

(選手は陸上の三島弥彦選手
プラカードは陸上の金栗四三選手
中央は嘉納治五郎団長)

〈解説〉

1912年(明治45年)スウェーデン
ストックホルムで開催された
オリンピックに、マラソンの金栗四三
陸上短距離の三島弥彦の2選手が
日本から初参加。

三島選手は100m、200mで予選を
通過できず、400m決勝は棄権。

マラソンの金栗選手も25km地点で棄権し
両選手ともメダルには届かなかった。

⑧宝塚唱歌隊誕生


第1回公演「胡蝶」の舞台イメージ
(写真提供:宝塚歌劇団)

〈解説〉

1913年(大正2年)7月、箕面有馬電気軌道
(現在の阪急電鉄宝塚本線)の終点、宝塚に
16名の女子生徒からなる「宝塚唱歌隊」
が結成された。

12月には4名を加えて
「宝塚少女歌劇養成会」と改称
1914年(大正3年)4月1日には
「ドンブラコ」「浮かれ達磨」「胡蝶」
の3本立てで、宝塚少女歌劇の
初公演が行われた。

⑨「カチューシャの唄」
松井須磨子•島村抱月


「カチューシャの唄」楽譜表紙絵と
松井須磨子•島村抱月の肖像

(楽譜は当時、作曲者の中山晋平が
発行したもので、表紙の題字とイラストは
竹久夢二画。

須磨子の肖像は須磨子著「牡丹刷毛」
(大正3年発行)に掲載された写真で
「復活」の舞台姿。

抱月の肖像は相馬御風紀念館所蔵のもの)

〈解説〉
1913年(大正2年)に、島村抱月と
松井須磨子らは芸術座を創設。

芸術的な成果を目標としながらも
新劇の大衆化を意図し、劇中に主題歌を
入れる方法を試みた。

翌1914年(大正3年)3月、帝国劇場で
トルストイ作•抱月脚色、須磨子主演
「復活」を上演。

劇中で須磨子が歌った
「カチューシャの唄」(作詞:島村抱月•
相馬御風、作曲:中山晋平)のレコードは売り上げ2万枚強となり
大正時代の大流行歌となった。

⑩ミルクキャラメル発売


ミラクキャラメル初期のチラシに
書かれたイラスト
(大正3年のチラシ広告に描かれたもの
資料提供:森永製菓)

〈解説〉

1913年(大正2年)ミルクキャラメルが
発売された。

当時はバラ売りで一粒5厘
大人向けのタバコの代用品として作られ
1粒ずつワックスペーパーに包まれた
菓子が珍しく、また衛生的であるとして
好調な売行きを示した。

キャラメルは約300年前ポルトガル人
により日本に伝えられたといわれる。

以上
「20世紀デザイン切手シリーズ」
第2集の紹介でした



昨日ははのんびり
花いっぱいの緑道散歩

オルレアの群生

ヤマボウシ

イボタの花

そして、紫陽花も咲き始めていました

花に癒された緑道散歩でした

それでは、また




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