続きます。
ジョニーのファンである私は、ジョニーは上手いのだと思っている。
でも、それは、贔屓目だったりするのだろうか?
ジョニーの顔立ちに魅了されてしまっているからなのか?

確かに、この顔からは目が離せない・・・
彼のカメレオンのように役をものにする力はどこからくるのか?
「パイレーツ」以降も、ジョニー曰く
「作品選びは変わっていない。
直感的な物差しで、脚本を初めて読んだとき、
最初の10ページか15ページまでに、何かしら、
惹かれる要素があるかどうかにかかっている」
そう、直感なんだね。
無理矢理じゃないんだ。
要するに天性ってことか・・・
「フェイク」で競演したアル・パチーノは
「ジョニーは役者として、強烈な本能を持っている
彼はキャラクターの頭の中に入って、そろぞれのシーンの要求に合わせて
そのレベルを変えられる
それは、本当にめったにない才能なんだ」
と語るし・・・
「ニューヨークタイムズ」紙は、やはり「フェイク」公開後に
「デップのとてつもない才能は、もはや疑いようがない。
この作品によって、彼のキャリアは臨界点に達した。
さまざまなオフビートな役の寄せ集めは、
一人の大スターの奇跡となったのだ。」
なんて書いている・・・
97年に監督した「The Brave」を酷評されたジョニー。
しかしながら、役者としての彼は最大の賛辞を同じ年に手にしたなんて・・・
私には、まったく同じに見えるけど。
「ドニーブラスコ」と「ラファエル」は全然違う人物で背景で
そして、制作過程も違うけどね。
ジョニーが、原作に惹かれ、
彼の俳優としてだけではなく、ジョニーの全てのアンテナを使って
役に入り込んでしまっていく様を見せつけられたことに変わりはない。
でも、そんな外野のことをジョニーはどう思ったのかな?
ロチェスターに会ったときに、
自分に起こったトラブルと重ね合わせてしまったのは、わかる気もする。
褒めたり落としたりの周囲の喧騒を気にしないではなかったろうに、
ジョニーは自分をつら抜いてきた気がする。
だからこそ、破滅の一途をたどってしまった
そんなロチェスターを理解できるのかもしれない。
傷つきやすいくせに挑発的なロチェスターは
まさにジョニーなのだろう・・・

家庭を持ち、平安を得ても
「人生こればっかりは、何が起こるかわからないから、
ただ、前に進むしかないよ。
<人生なんて当たって砕けろさ>ステキな言葉だな」
と言うジョニー。
「意固地なぐらい期待されている作品以外を選んで演じてきたキャリア初期。
そのせいで、自分自身と役柄の間に埋もれてしまった90年代前半。
そこから這い上がり、成長しようとした90年後半。
ジョニーは、進み続けた10年以上をかけて
世間に対する、ジョニーデップの見方を成長させた。
フリークスやアウトサイダーだけを演じてきたのに、
今はビクトリーロードに・・・」
これは、「CUT」の中村さんの表現。
なるほどね。
ジョニーの言葉に重みを感じるのは、
なんか、苦労してるんだよね・・・
でも、それを跳ね返してきた自分に誇りを持ってるんだ。
だから、「パイレーツ」にも出るし
「リバティーン」にも出ることに恐怖を感じたりしない。
そんな彼の信念を彼の作品を通して見ているのかもしれない。
どれだけたくさんのジョニーの作品に触れても
決して飽きることがないのかも・・・
でも、本当のジョニーの姿は近くにあるようで、いつも遠い・・・
そう、ジョン・クリストファー・デップⅡには触れることができないからね。
だから、私は、俳優ジョニーデップに会う。
ディープなジョニーに会いたいときは
「ロチェ様に会いたくなる」のだ。

ジョニーのファンである私は、ジョニーは上手いのだと思っている。
でも、それは、贔屓目だったりするのだろうか?
ジョニーの顔立ちに魅了されてしまっているからなのか?

確かに、この顔からは目が離せない・・・
彼のカメレオンのように役をものにする力はどこからくるのか?
「パイレーツ」以降も、ジョニー曰く
「作品選びは変わっていない。
直感的な物差しで、脚本を初めて読んだとき、
最初の10ページか15ページまでに、何かしら、
惹かれる要素があるかどうかにかかっている」
そう、直感なんだね。
無理矢理じゃないんだ。
要するに天性ってことか・・・
「フェイク」で競演したアル・パチーノは
「ジョニーは役者として、強烈な本能を持っている
彼はキャラクターの頭の中に入って、そろぞれのシーンの要求に合わせて
そのレベルを変えられる
それは、本当にめったにない才能なんだ」
と語るし・・・
「ニューヨークタイムズ」紙は、やはり「フェイク」公開後に
「デップのとてつもない才能は、もはや疑いようがない。
この作品によって、彼のキャリアは臨界点に達した。
さまざまなオフビートな役の寄せ集めは、
一人の大スターの奇跡となったのだ。」
なんて書いている・・・
97年に監督した「The Brave」を酷評されたジョニー。
しかしながら、役者としての彼は最大の賛辞を同じ年に手にしたなんて・・・
私には、まったく同じに見えるけど。
「ドニーブラスコ」と「ラファエル」は全然違う人物で背景で
そして、制作過程も違うけどね。
ジョニーが、原作に惹かれ、
彼の俳優としてだけではなく、ジョニーの全てのアンテナを使って
役に入り込んでしまっていく様を見せつけられたことに変わりはない。
でも、そんな外野のことをジョニーはどう思ったのかな?
ロチェスターに会ったときに、
自分に起こったトラブルと重ね合わせてしまったのは、わかる気もする。
褒めたり落としたりの周囲の喧騒を気にしないではなかったろうに、
ジョニーは自分をつら抜いてきた気がする。
だからこそ、破滅の一途をたどってしまった
そんなロチェスターを理解できるのかもしれない。
傷つきやすいくせに挑発的なロチェスターは
まさにジョニーなのだろう・・・

家庭を持ち、平安を得ても
「人生こればっかりは、何が起こるかわからないから、
ただ、前に進むしかないよ。
<人生なんて当たって砕けろさ>ステキな言葉だな」
と言うジョニー。
「意固地なぐらい期待されている作品以外を選んで演じてきたキャリア初期。
そのせいで、自分自身と役柄の間に埋もれてしまった90年代前半。
そこから這い上がり、成長しようとした90年後半。
ジョニーは、進み続けた10年以上をかけて
世間に対する、ジョニーデップの見方を成長させた。
フリークスやアウトサイダーだけを演じてきたのに、
今はビクトリーロードに・・・」
これは、「CUT」の中村さんの表現。
なるほどね。
ジョニーの言葉に重みを感じるのは、
なんか、苦労してるんだよね・・・
でも、それを跳ね返してきた自分に誇りを持ってるんだ。
だから、「パイレーツ」にも出るし
「リバティーン」にも出ることに恐怖を感じたりしない。
そんな彼の信念を彼の作品を通して見ているのかもしれない。
どれだけたくさんのジョニーの作品に触れても
決して飽きることがないのかも・・・
でも、本当のジョニーの姿は近くにあるようで、いつも遠い・・・
そう、ジョン・クリストファー・デップⅡには触れることができないからね。
だから、私は、俳優ジョニーデップに会う。
ディープなジョニーに会いたいときは
「ロチェ様に会いたくなる」のだ。