続・弾語り・番外編 ⑤
「水泥棒」
次は又、新橋に戻って来た
ここはオーナーが鈴木邦彦と友達で音楽姿勢に力を入れている所だった
甥に芸大の学生がおり、ここではドラムセットを置いてありその学生と
自分がエレキを持ち二人でバンド感を出しライブ的に行う。
こう云うのも好きだった「城」の時の常連客を呼ぶと4人で新橋へわざわざおいでくださった
嬉しかった・・。
弾語りでは自分のファン的な客の数は自分のステータスとなる。武器
しかしここ「水泥棒」のママは20代後半くらいで若くオーナーの愛人だった
ある面厳しく、自分の演奏に細かく注文を入れてくる。
ある時、飛んでが一つ多いとタンバリンを叩いていてクレームを出して来た
よせばいいのにそれに逆らった為、ここを初めて降ろされた
・
小さく送別会だと言ってオーナーが隅でそれを行い少し飲んだ
腹のなかは面白くないけれど顔で合わして笑っていた
東京砂漠・・・
次は何処へ出向となるのか・・・
そこではピアノがあり、こちらが休みの時は入れ替わりで、先生が弾語りを行なっていた
昼はアイスの会社の常務だ
その方と息が統合し昼は普通の仕事・夜は弾語りの二足のわらじ生活が又
始まる事となる。
昼はその方のアイスのコーンの配達だった。
そこで腕立て伏せをしているとその中央冷蔵庫の部長に「君は何になりたいんだ! →
運転手になろうと思って→ 運ちゃんになんかなるな ! それは怠け者の仕事だ・・・
そうだなぁ 君はガッチリしてるし
う~ん・・・そうだ郊外へ行き新興住宅地でプロパンの店を持ちなさい」
佐々木勉先生に芸能人には成るな・ホッカイドウでいろと言われ目標を失いかけていた自分は
「そうだ、経営者になろう・・プロパンの・・」単純だった
そこから人生計画が大転換を起こす。
今は趣味で・ある意味生活の為の音楽でいい
そう思いながら歌っていた
◇
Wワークは昔のテレビのスーパーマンの様に昼は記者・夜はスーパーマンとして瞬時に服装を
変える
前掛けをして酒の配達姿からトラックの中でコッソリベッチンのブランドスーツに着替え
颯爽と弾語りとして箱へ現れる
睡眠時間は3時間半くらいとなる。
金はもういいと思うほど満足だった
今にして思えばよく続けられたと思う
水商売の様な見られ方がすごく嫌だったので2/3の期間はWワークをしていた
東京は新宿・渋谷・池袋・神田・六本木・新橋近郊は武蔵小金井・川崎など
弾語り時代が続いた・・・
今にして思えば貴重な経験だった
・・・
(あと二回で終わり)