球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

続:リハビリテーション

2017-09-12 | たぶん難解な話
隘路の話と狭い空間の森羅万象の話には続きを求めることができる。

まず隘路の話だ。この隘路によって、さまざまな制限から解放される。というか、座標変換みたいなもので、自分の声を聞くときの言語が今のような形をとる、というのが実情だ。
外の声を聞くときと内の声を聞くときで言語が少し違うのは、特に変わった話ではない。自分との対話を映像化したものといったらなんと言っても夢だが、夢を言語化しようと思ったら皆たちまちに絶望に襲われるだろう。それを起きながら文字化していくとこうなる...これが隘路の話だった。

・少し主旨が逸れてしまったメモ(まだ考えがまとまらず、謝った結論に行こうとしている)
正門は強固な門と大火力の大砲、歩兵の山のためになかなか決定打を食らわすことが出来ない。この状態で本拠地を叩くなら、小舟で裏口を目指そうじゃないか。
隘路などと呼ばれた細い道も、自分一人ならば...

・狭い空間の森羅万象
自分の世界を図式化してみろという命令に答えると、みんな何かしらの図を描くことが出来る。そういうときに、人間は統計的に閉空間を描くことが非常に多いのだそうで、これは人種や時代によらないものであることが1980年代後半の研究で示されている。
つまり閉空間はかなり普遍的な枠組みであり、その閉空間の構築に個性が出ることになる。幽霊、コンピュータのデータの残像、すき焼き、コットンパフ、右足の爪、体脂肪計の金属板...

こういうことを何年も365日書いていたら、やはり病院に連行されてしまうのだろうか。どうだろうね。

コメント
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