クーラーにスプレーをかけてフィルターを掃除。スプレーしたのは半年振り。
汗を冷やすようにクーラーを動かしながら、
つい先程タイトルのような題名のNHKの番組を見終えたところ。
かつては常勝であったものが勝てなくなった。
人によって考え方は様々で、別にメダルに固執しなくても、という考えはある。
よってこのテーマを大声で言うと嫌悪する人もいると思うが、メダル云々は別にして
変化点に注目するのは生きていく上での基本。
人の努力の多くは変化点に費やされている。
でもって"どう立て直すか"なんて番組表に書こうものなら
"成果が出ないものをどう出させるか"という普遍的なテーマであり、
これは大変興味深い。まして国家規模でそれをやろうというならば…
と喜び勇んで番組を観たものの、コメンテータが現れ、
・"常勝"の旗を振れるエースが不在になり
・柔道の力任せ化が進んできた(相撲と似た感じか)
という2つの問題提起だけして、予算をどのように増強し
どのようなトレーニングをどのように行っていくというような
細かい話は一切なく、後は"五輪鑑賞におけるSNSの有用性"という
クソどうでもいい(すみません)テーマに移ってしまった。
あんまりだぜNHK。
◇
今日、部屋の整理をしながら、なんとなくニコニコ動画でかまいたちの夜のサントラの動画を見た。
音楽だけでなく、ゲーム中の若干のテキストがついているので懐かしい気持ちになれる。
その中で、主人公が銃を持った人に飛びかかって敢え無く射殺されてしまうバッドエンドがあるが、
(僕はその時の音楽"失くしたものは"の雰囲気が大好き)
その際に主人公の彼女(女友達:このストーリーでは好意が強調されない)が
主人公のために泣くシーンがあり、その際の文章がふるっている。
音楽のよさも加わってとても悲しくせつない雰囲気が出ている。
※せつないって言葉はちょっと便利すぎるけど。
"目を閉じ、睡魔に身を任せる寸前、
ぽたぽたと何かが頬に落ちてくるのを感じた。
暖かい、春の雨のようだった…"
最後の行、いいですよね。ここだけじゃわかんないかな。
最近(仕事柄)起こったことを簡潔に書きすぎて、
こういうことが上手く書けなくなっているなぁと思った。
殆ど日記サイトみたいな(内容の有用性で勝負できない)もので
人に何回も読んでもらったり、自分で何度でも読み返したくなるようなものって、
"誰がどうしたから誰がどうなった"とか、そういう文法、そういう言葉ではない。
色濃く自分の情緒を詰め込んだ、言葉選び(比喩)と気持ちが
上手いこと符合してくれたものだと僕は考えている。
その言葉選びに憧れを持ってもらえるようなもの。
※日記サイトとしては最終到達点になるんじゃないかな。
"彼女が僕のために泣いてくれていたことがわかった。
その涙には彼女の偽りのない想い、体温が感ぜられ、
これから死んでいく僕にとって、これほどの救いはなかった"
ではダメで、やはり
"暖かい春の雨"でなくちゃいけない。
そういうことを、今後の世の中では、誰が担っていく役目なのだろうか、ということを考えた。
というか、これまでだってきっと作家の人が担ってきたことではある。
しかし、メールやtwitterで詩的な文章を書いている奴なんていない。
技術の進歩によって殆どの人が"書く"ことに携わりながら、殆ど誰もできないこと。
そして、世の中で目にする言葉のなかで、
そういう質の低い言葉を目にする機会が否応なしに増えたこと。
やはり僕にとってはちょっと生きにくい。
本当は前半の内容で終わるはずだったんだけど、
後半の思いも結構強くて思わず書き切ってしまった。
汗を冷やすようにクーラーを動かしながら、
つい先程タイトルのような題名のNHKの番組を見終えたところ。
かつては常勝であったものが勝てなくなった。
人によって考え方は様々で、別にメダルに固執しなくても、という考えはある。
よってこのテーマを大声で言うと嫌悪する人もいると思うが、メダル云々は別にして
変化点に注目するのは生きていく上での基本。
人の努力の多くは変化点に費やされている。
でもって"どう立て直すか"なんて番組表に書こうものなら
"成果が出ないものをどう出させるか"という普遍的なテーマであり、
これは大変興味深い。まして国家規模でそれをやろうというならば…
と喜び勇んで番組を観たものの、コメンテータが現れ、
・"常勝"の旗を振れるエースが不在になり
・柔道の力任せ化が進んできた(相撲と似た感じか)
という2つの問題提起だけして、予算をどのように増強し
どのようなトレーニングをどのように行っていくというような
細かい話は一切なく、後は"五輪鑑賞におけるSNSの有用性"という
クソどうでもいい(すみません)テーマに移ってしまった。
あんまりだぜNHK。
◇
今日、部屋の整理をしながら、なんとなくニコニコ動画でかまいたちの夜のサントラの動画を見た。
音楽だけでなく、ゲーム中の若干のテキストがついているので懐かしい気持ちになれる。
その中で、主人公が銃を持った人に飛びかかって敢え無く射殺されてしまうバッドエンドがあるが、
(僕はその時の音楽"失くしたものは"の雰囲気が大好き)
その際に主人公の彼女(女友達:このストーリーでは好意が強調されない)が
主人公のために泣くシーンがあり、その際の文章がふるっている。
音楽のよさも加わってとても悲しくせつない雰囲気が出ている。
※せつないって言葉はちょっと便利すぎるけど。
"目を閉じ、睡魔に身を任せる寸前、
ぽたぽたと何かが頬に落ちてくるのを感じた。
暖かい、春の雨のようだった…"
最後の行、いいですよね。ここだけじゃわかんないかな。
最近(仕事柄)起こったことを簡潔に書きすぎて、
こういうことが上手く書けなくなっているなぁと思った。
殆ど日記サイトみたいな(内容の有用性で勝負できない)もので
人に何回も読んでもらったり、自分で何度でも読み返したくなるようなものって、
"誰がどうしたから誰がどうなった"とか、そういう文法、そういう言葉ではない。
色濃く自分の情緒を詰め込んだ、言葉選び(比喩)と気持ちが
上手いこと符合してくれたものだと僕は考えている。
その言葉選びに憧れを持ってもらえるようなもの。
※日記サイトとしては最終到達点になるんじゃないかな。
"彼女が僕のために泣いてくれていたことがわかった。
その涙には彼女の偽りのない想い、体温が感ぜられ、
これから死んでいく僕にとって、これほどの救いはなかった"
ではダメで、やはり
"暖かい春の雨"でなくちゃいけない。
そういうことを、今後の世の中では、誰が担っていく役目なのだろうか、ということを考えた。
というか、これまでだってきっと作家の人が担ってきたことではある。
しかし、メールやtwitterで詩的な文章を書いている奴なんていない。
技術の進歩によって殆どの人が"書く"ことに携わりながら、殆ど誰もできないこと。
そして、世の中で目にする言葉のなかで、
そういう質の低い言葉を目にする機会が否応なしに増えたこと。
やはり僕にとってはちょっと生きにくい。
本当は前半の内容で終わるはずだったんだけど、
後半の思いも結構強くて思わず書き切ってしまった。