球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

何が休息のバロメーターなのか

2018-11-26 | たぶん難解な話
ここでは連投して言葉の泉が最低限復活したことをもって休息が出来たことという風に結論付けようとしているが、仮に長い休みを“休息”を目的として取得したときに、何を以てその正否を測るのか?というのは難しい命題である。特に、強いストレスを感じてはいるが、病名がつくには足りない場合。

自分で決めたことが果たされればそれを成功と見なすのは一つの手段で、その観点で言えば、今回の休息は最終日に駆け付けokみたいな成功例となる。
しかし、明日のことを考えて、早くも胃が痛みだしている。自分で決めたゴールというのは、医学的には正しくないということを示唆しているようでもある。独りよがりの楽器トレーニングみたいなものってことかね...

自分に対する強い肯定感を持ちたい。




こんなことを書いていると、昔は忸怩たる思いをこの場で重厚なオブラートをかけて拡散していたのに対し、今書いている内容は久米田(絶望先生の人)や光原伸(アウターゾーンの人)の作品あとがきに近い感じで、意外と淡々と書けてしまい、また、書いた後に消そうと思わずに淡々と残しておけるのは、俺が年を取ったからだろうか。







コメント
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