すべて良しって、どんな境遇の人が編み出した言葉なんだろうか。
こと人付き合いに関してなら、案外当てはまることではあるけれど、
2010年に大分このスペースを更新できなかったことを今日更新することで補償できるかっていうとできないだろうね。
今日の話題は二つ。
1.今年の締めくくり
2.姪の相手
◇
1.今年の締めくくり
今年は色々なことがあった。少数の人と色々な経験をした。ただそれを少数の人としか共有できなかった。
それが悔やまれなくはない。でもそれが2010年という年の特徴だった。色々な苦労がちょこちょこと結実もした
20代最良の年でもあったことは自分ではよく知っている。
…いつの頃だったか、30歳までの目標を色々と立てた。しかし、いざ30歳になってしまうと、
現実的に必要に迫られた目標以外は果たすことが出来ていないことに気がついた。
言い換えると、
"~ができないようだと、俺に未来はない"とはっきり自覚していることに関してはよく努力できたが、
"~が出来た方がよいな"くらいの気持ちでなんとなく立てた目標に関してはさっぱり努力する時間を作れなかったといえる。
来年の抱負を明日書く予定だが、すべてにおいて地に足のついたものを考えないと…
(さっぱり実行しないから)
2.姪の相手
今日はそろそろ11ヶ月になる姪(兄夫婦の娘)と初顔合わせがあった。
今朝起きてきたら周りの皆が僕をおじちゃん呼ばわりしだしたのでいったいなんだろうと思ったら
姪が目の前にいた。続柄で"叔父"になったので周りの言っていることは正しい。違和感はある。
それはさておき肝心の姪だが… とにかくこっちを凝視してくる。負けじと見返す。
※良くはわからないのだが、僕のことを味方か敵かと判断している…のだそうだ。
どのように接してよいか良くわからないので、微笑みを浮かべつつ控え目に接していると
向こうが何やら興味を持ったらしく、僕のメガネに手を伸ばしてくる。
なんだろうと思って手渡すと泣き出す。母親(兄嫁、でも年下)に抱っこされる。
やはり赤子ってのはどのようにコミュニケーションを取っていいのかよくわからない相手である。
兄夫婦はそんな姪っ子に付きっきりになっていて、明らかに去年までとは多少違う顔を見せていた。
なぜ赤子相手には"まんま(飯)"とか、そういう赤ちゃん言葉をみな使うのだろう?
自分はその必要性がわからないから、ふつうにミカンの皮をむいて"みかんだよ、あーん"とかやっていた。
彼女はやはり食べたり食べなかったりした。
三つ子の魂百までと言われている。こういった自分の対応一つで姪の人生が多少なりとも
潤ったり軋んだりするのかも知れなかった。兄夫婦がどのような方針で育てるのか分からないが、
知性ある娘に育って欲しいと思った。
さて、そろそろ年越し蕎麦が出来る頃かな。
…そうそう、第九の4楽章は大分ゆっくりだった。
よいお年をお過ごしください。
こと人付き合いに関してなら、案外当てはまることではあるけれど、
2010年に大分このスペースを更新できなかったことを今日更新することで補償できるかっていうとできないだろうね。
今日の話題は二つ。
1.今年の締めくくり
2.姪の相手
◇
1.今年の締めくくり
今年は色々なことがあった。少数の人と色々な経験をした。ただそれを少数の人としか共有できなかった。
それが悔やまれなくはない。でもそれが2010年という年の特徴だった。色々な苦労がちょこちょこと結実もした
20代最良の年でもあったことは自分ではよく知っている。
…いつの頃だったか、30歳までの目標を色々と立てた。しかし、いざ30歳になってしまうと、
現実的に必要に迫られた目標以外は果たすことが出来ていないことに気がついた。
言い換えると、
"~ができないようだと、俺に未来はない"とはっきり自覚していることに関してはよく努力できたが、
"~が出来た方がよいな"くらいの気持ちでなんとなく立てた目標に関してはさっぱり努力する時間を作れなかったといえる。
来年の抱負を明日書く予定だが、すべてにおいて地に足のついたものを考えないと…
(さっぱり実行しないから)
2.姪の相手
今日はそろそろ11ヶ月になる姪(兄夫婦の娘)と初顔合わせがあった。
今朝起きてきたら周りの皆が僕をおじちゃん呼ばわりしだしたのでいったいなんだろうと思ったら
姪が目の前にいた。続柄で"叔父"になったので周りの言っていることは正しい。違和感はある。
それはさておき肝心の姪だが… とにかくこっちを凝視してくる。負けじと見返す。
※良くはわからないのだが、僕のことを味方か敵かと判断している…のだそうだ。
どのように接してよいか良くわからないので、微笑みを浮かべつつ控え目に接していると
向こうが何やら興味を持ったらしく、僕のメガネに手を伸ばしてくる。
なんだろうと思って手渡すと泣き出す。母親(兄嫁、でも年下)に抱っこされる。
やはり赤子ってのはどのようにコミュニケーションを取っていいのかよくわからない相手である。
兄夫婦はそんな姪っ子に付きっきりになっていて、明らかに去年までとは多少違う顔を見せていた。
なぜ赤子相手には"まんま(飯)"とか、そういう赤ちゃん言葉をみな使うのだろう?
自分はその必要性がわからないから、ふつうにミカンの皮をむいて"みかんだよ、あーん"とかやっていた。
彼女はやはり食べたり食べなかったりした。
三つ子の魂百までと言われている。こういった自分の対応一つで姪の人生が多少なりとも
潤ったり軋んだりするのかも知れなかった。兄夫婦がどのような方針で育てるのか分からないが、
知性ある娘に育って欲しいと思った。
さて、そろそろ年越し蕎麦が出来る頃かな。
…そうそう、第九の4楽章は大分ゆっくりだった。
よいお年をお過ごしください。