球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

夢の葬式

2012-10-02 | たぶん難解な話


21世紀が産んだ天然のプラネタリウム。人工なんだけど、限りなく天然だった。
振り返ればまるで夢のようだったが、欲しいものがなんでも手に入るとかそういう世界ではなくて、
僕はただ繋がれた場所も分からないようなブランコに腰掛けながら、
何が見えるか分からない、めくるめく星空をただ見ているだけ。でも居心地がとっても良い。
毎年毎年雨が降って見えやしないミルキーウェイさえ見つけられる気がする。目の錯覚に期待する。
防音室のように狭いプラネタリウムで、いっぱい笑ったりした。人にやさしくもなれた。
穏やかな気持ちで、コーヒーを傾け、ビールを傾け、朝も夜も、
晴れた日も、雨の日も、最寄駅のガラスさえ砕けた風の日も、
ブランコに腰掛けて次々に新たな星座が出てくる空を嬉々として見ていた。

そんな星空が夢になっていく。
開けられていく瞼が、夢を終わりにしてしまう。これまでの世界がふとしたことで消えてしまう…そんな。
例えば夢が星空だったなら、夢が覚めるとき、星空はどうなるんだろう。
ペンで塗りつぶしたように消えていくのか、高いところから低いところに向かって闇が差していくのか、
ふと目の前が真っ暗になってしまうのか… あれこれ考えている間に、
夢からさめた子供を連れて行っているかのような、凡庸な笛吹きが僕の前を通り過ぎた。
あぁ、これが現実なのだ。

そして僕も夢の中で意識が薄れていく。初めてのことだったけど、
何が起こったのかだけは瞬時に理解して、ただひたすら悲しくて、右手を伸ばす。
悔しくて、ブランコの側に転がっていた小石なんか拾えない。
だって、悔しかったんだ…

そのようにして、一つの星空が折り畳まれ、歪な形をした日記帳の栞になった。
その栞はあまりに軽く、また、日記帳の40週の位置からピタリとも動かなくなった。
日記帳の40週の位置から動かない、立派な、でも小さすぎる栞。
僕が誰かの夢になってしまうまで、動くことはないだろう。
コメント
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