球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

知る街と知らぬ街~羽を伸ばすミミ子とハナ子

2018-05-15 | 趣味(旅行・娯楽・読書・食)

アイノラを眼前に。

最近、旅行に行ってきた。
帰ってきてから、もの思いに耽る時間が出来ている。
旅先でのひそかな感動をどうやって保とうかと考えているためだ。

気づいたことが一つある。
旅先では、街の匂いを嗅ぎ、街の音に耳を澄ませることから観光が始まる。
"観光"="sightseeing"、どちらもいかにも目を使っているような語幹だが。
それは一つの真実だが、気持ちの安らぎ、風景に自分を溶け込ませるために必要なのは
冷たい空気、街の匂い、穏やかな環境音だった。
どんなに風光明媚といわれる観光地であっても、目に見えるものだけに感動を求めてはいけない、と思う。

新たな街に足を踏み入れるたびに、
僕たちはその匂いを嗅ぎ、物音に耳を傾ける。
人の声が遠くで聞こえ、少しエンジン音の異なる車が走り、
そこに自分の足音を融かしていくことで、異国にいる感慨を得る。

旅先ではそういう感覚を何度も味わって、それが幸せであったと思う。



さて、日本に戻ってきてどうであろうか。
改めて気付かされるのは、仕事を中心とした毎日にかまけていると、全く耳と鼻を使わなくなるということ。
理由は分からない。多分、自分の住む町に何も新しい発見がないと思い込んでしまっているからだろう。
歩きスマホをしている連中は殆ど視覚しか使っていないだろうし、とはいえ自分も大して変わらない。

だから、こちらでも少し旅行中の清廉な気分を思い出すために、
あえて街の音を聴き、街の匂いを嗅ぐ。


それによって、旅行中の感動が蘇った…というほど話は簡単ではなく、いくつか条件は劣っている。
環境音として聞こえてきた周囲の話し声が、こちらでは単なる音でなく、
意味のある言葉として聞こえてくる。だから鬱陶しい。そして、外国と比べ、あまりにも音量の大きい駅のアナウンス。
あまりにも音量の大きい誰かの演説。(匂いは、鼻が悪いため結局よくわからない。)

これがストレスで、日本人は、毎日の中で次第に耳を使わないようになるのかもしれなかった。
少なくとも、東京都は、ある日ふと耳を澄ませようと思い立つにはうるさすぎる街である。
そして、それは改善されないだろうということも想像はつく。

それでも、俺のミミ子とハナ子は、いつもの窮屈さから
解放されて、嬉しがっているような気もした。


コメント
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