毎年のことであるが人権標語、ポスターの応募(募集)があっている。
明日までだがまだ応募していない。リーダ会議でも何名の応募があっててまだ何名が出ていない・・・
と話(説明)があったりした。
人権について日常から考えて行動することは大切なことと思う。
相手を思いやり自分も自分らしく生きていけることも大切だとも思う。
組織としてその取り組みへの参加状況がひとつの意識のバロメータとなることも理解する。
チョッと歪んだ考えなのかなと自分でも反省する部分もあるが、それを(標語募集など)催促するものではないように感じてしまっている自分がいる。
その思いは出していない者の言い訳なのかもしれないとも感じるが催促されるものかなともやはり感じてしまう。
昨日の朝、自宅でいくつか標語を考えてメールで会社の自分に送った。
それでも1日気にはなりつつも登録までは至っていない。
何かが自分の心のカベになっている。
最近は孫依存性の傾向にあるがいろんなニュースが飛び込む中で「子供への虐待や死」に関する記事に悲しみや憤りを強く感じる。
・・・色々と心の吐露を書き始めると難しくなるのでやめる事とするがそんなことも負の連鎖なのかもしれないと感じたりしている。
そのような連鎖があるとすればそれを断ち切るためにどうしたらいいか。
人は一人では生きていけない。自分は一人で生きているわけではない。
今あることに感謝することが大事なように感じる。
博務が少し前に髪を切った。
その時の写真を娘がアップしたので使ってみたが、毎回カーチャンが髪を切ってくれること。これも博務にとっては心に刻む大切なひとつの思い出となるのだろう。