gooには、ほぼ毎日ログしてニュースとか占いをみています。
ブログも更新がままならないことを気にはしていますが、どのように毎日を書いて(残して)良いものやら決断つかずに、ずるずると60日以上未更新。そんな中で足を運んでくれてる方々、ありがとうございます。
今朝みたから「1」のログ 初めてでしょう。
自分でオドロキと表記して、なんなんですが、何も更新しないブログにはなかなか人は来ないですよね。
日常ですから、色んなことがあっています。嬉しいこと、楽しいこと、チョッと切なかったり、悲しいことも。
母は元気にしてくれています。
以前から毎週週末は出来るだけ帰るようにしていましたが、5月のGW前後から母の様子が変わり、一人生活は厳しいよね。と思いつつ、6月を過ぎてから、このまま一人暮らしじゃ、母はもたないと思いました。
会社を予定より早めに辞めることも選択肢ではありましたが、奥さんが月曜日から木曜日まで帰省していいよ。と言ってくれたことから、7月よりほぼ毎日、僕か奥さんが実家にいる状態が出来ました。
ひとりでテレビ観て過ごす日々と、誰かと会話がある生活はやはり違うんでしょうね。
6月にはデーサービス(週2回)にも行くのは嫌だ、面倒くさいとか、言い始めていましたが、7月から8月になると、デーサービスをもう一日増やせないかと言ってくれました。
ケアマネの方に相談して9月から週3回、さぼらずに行ってくれています。
家にいるときは、ほぼほぼソファーに寝てからのTV視聴。
夏場は昼間は暑いからね、と外には出ず(もちろん出せませんが)
最近は、寒くて出たくないと申しております。(まだ10月だし、確かに朝晩は冷えるけどこれで動けないなら冬眠しないと・・・)
それでも3日間はデーサービスでリハビリ的なことや、塗り絵に計算ドリルなど頭を使うことをやっているので随分違うかなと感じます。
台所には立たなくなりましたね。僕たちがいない時は食事の準備を自分でしていますが、冷蔵庫にあるものでテキトーに食べてる感じです。
そもそも食が細くなりました。年齢からして仕方のないことかもしれませんが、ごはんと味噌汁があればいい。くらいに肉も魚も野菜も食べない。昔の人?だからか、箸をつけたら食べなきゃいけないような感覚があって、食べ残してもいいから、ちょこっとずつでも食べて。と言いますが、なかなか性分は変わらないものです。
(そんな母ですが、おやつのたこ焼きとかアイスとか、菓子パンは好きみたいで食べます。だから夕飯食べれない?のかも)
そんなこんなで母は足が以前みたいに歩けなくて、「つまらん体になった」とよく口にします。
内臓が強いようで座って普通に会話すれば、どうもない人のように思います。わかりません。
認知?も出ていて、曜日感覚もそうだし、今自分がなにしてるかも忘れちゃうような感じです。薬も言わないと飲み忘れています。
認知症ができるだけ進まないように、繰り返し繰り返し同じことをこちらからも言いながら会話をしています。
いつもの会話になりましたが、僕が滞在して大分に戻る時に、次は明日来るの?とか、お正月に来る?とか言います。最初はビックリしましたが、慣れた。というより、これが母の今の状態なんだと感じています。
老いると赤ちゃんに戻る・・・とか聞きますが、出来ていたことが出来なくなる。ことは辛いことだと思うけど、忘れられる(忘れちゃう)ことで苦痛ではなくなるのかもしれないなと。母を見てて感じます。(たぶん、母は僕が想像する以上に、そんな状態が辛い気持ちなんだろうとは思い、感じます)
と、母のことを書き綴りましたが、そんな生活を始めて4ヶ月になります。
老老介護に老老別居(笑)
それでもチャンと毎週帰省してくれる奥さんに心から感謝しています。
仕事も残り20日ばかりかな。11月上・中旬には有給休暇に入る予定です。
実家にいるとき、時間はたくさんあるのですが、母の前でPC触りたくないし、自分の部屋はないし・・・でなかなか更新出来ません。
あしたは0人でないことを願いつつ、8月から9月の思い出も、追加でぼちぼちアップさせていただきます。
父が亡くなって約30年になります。父が生前好きだった、松の盆栽やシャクナゲなどは駄目になりましたが、「岩こけ」の鉢植えは何の手もつけてないのに花壇でそのまま放置プレーで置いてありました(誰も動かさないし、触らなかった30年(笑))
水をあげてブラシで表面を滑らせてあげると、なんとなく元気を取り戻しつつあります。
放置していたことを父は草葉の陰から嘆いていたかも知れませんが、母が父の分まで長生きしてくれたことで社会人になって46年経って実家に帰ることになりそうなので、今回特別席を用意して並べております。
五葉の松とか、かっこいい形状の松が色々あったことは記憶しております。そんな趣味に僕も近づけたら嬉しいかなと思う今日この頃です。