日本には六国史と言われる正史がありますが、このいずれも藤原氏を中心とした編集で、特に日本書紀の前半に至っては事実を書いているとは到底思われない記述や、他の物(書物やおとぎ話など)からの引用だとする内容も含まれます。
勿論、この時代に起こった事を知る上で、重要な物の一つには違いありませんが、この記述の所為で多くの大切な事実や、当時の各豪族間の関係などがわからないようになっています。
以降の物は当然この日本書紀の続きとして書かれていますので、整合性が保たれています。
そして、当時この日本書紀の編纂に協力した他の豪族も整合性が保たれるような記述の風土記や家伝を作っていますし、その頃の日本の事を書いた中国の<三国志の中の魏志>(通称、魏志倭人伝)を虚実だと牽制するような内容も見られます。
舎人親王が撰者にあげられていますが、最近の研究で皆さんが気づき始めているとおり、監修し直接指導しているのは当時の右大臣だった、藤原不比等でしょう。
それ以来事実上、天皇家と藤原家は一体となって日本の国を動かしていくことになるので、この書物の内容については正史として現在でも扱われています。
時代が下り、多くの人達は日本の歴史をこの記述通りだと信じています。
だけど、この葬り去られたようになっている各豪族の末裔たちはいなくなったわけではありません。
長年、中央国家より圧力をかけ続けられる中でも、その誇り高き伝承を守ってきています。
第2次世界大戦の終戦後、やっとそういう話が出来るよう社会になり、1975年に籠神社の社家、海部氏が海部氏系図を世に出しました。
この総理大臣をだした、名門の海部氏でも系図(
wiki)を、表に出せなかった時代がこの時まで続いていたと云うことです。
現在、伝承や口伝を持つ人達から沢山の資料が世に出続けています。
こうしたことで、早く当時の本当の歴史を国が認めざる終えない状況になることを願ってやみません。