長くなった「ひとこと感想」その6。
上映日に『メランコリア』と2本立てで観たときは、私はどちらかというと冗長な、スペインへの「巡礼」のPVみたいな作品?だと思ったらしい。メモにはそんな短い感想に続いて、「エンディング・ロールに『祖父フランコ・エステベスに捧ぐ』とあるのを見て、なんとなく納得・・・」とだけ。
ところが、その後時間が経つにつれて、この映画のいくつかのシーンを時々思い出している自分に気がついた。
わかり合えないまま疎遠になっていた息子の突然の訃報に、遺体引き取りのため出向いた父親が、その夜宿屋で一人になって呆然とする、その横顔・・・。
息子が事故死したのが「巡礼」のスタート直後だったと知り、そのまま彼の装備を受け継いで、自分が巡礼の旅を続けようと決意。息子の遺灰を道程のあちこちで少しずつ撒くときの表情・・・。
父親は旅の途中、荒野で、或いは立ち寄った街の人混みの中で、息子の姿を見かけた気がして驚く。その間にも旅の仲間は1人ずつ増えて、それぞれの事情も少しずつ明らかになっていく。
そして、大西洋を前にして立つラスト・シーン・・・
私がこの映画を観に行った理由は2つあった。1つは、単に「歩いて旅をする」風景が見たかったから。(基本的に「旅」の映画、ロード・ムービーは好きなのだ。)もう1つは「エミリオ・エステベス」が監督で、実父のマーティン・シーンが主演、それも2人は「父親」と「息子」を演じていると知ったから。
実はこの映画で私が一番驚いたのは、今のエミリオ・エステベスの風貌だったかもしれない。
昔、同世代の俳優さんたちと一緒に数々の作品に出演していた頃の彼は、エネルギー・レベルが高くて、ちょっと落ち着きの無さを感じるくらい活動的な、(でも吹けば飛ぶような?)小柄で細身の男の子に見えた。私は別にファンでもなんでもなかったけれど、弟のチャーリー・シーンとも違う個性を感じさせて、「父親にあまり似ていない」息子に見えた彼が、なんとなく気にかかったのだと思う。
それがこの映画ではほとんど別人。「自分に自信があって、相応の余裕と魅力を感じさせる」大のオトナになっていた(当たり前だけど)。父親のマーティンからはあまり感じられない、ラテン系?の雰囲気があって、2人が並んで立つような場面では、父親よりもデンとしていてエラソウ?に見えた(笑)。
でも・・・その2つの横顔は、驚くほど似ていた。
そんな2人を見て、私は多分「歳月」というものを、その値打ちというか「力」のようなものを、つくづく感じたのだと思う。
家族の死はどんな場合でも悲劇そのものだ。亡くなったのが自分より若い世代の場合は尚更だろう。まして、自分自身が老いを感じつつある年齢になって、突然我が子の死に見舞われる、それも「理解し合えないまま」永遠に別れてしまう・・・というのは、本当に残酷な運命だと思う。
でも・・・それでも人は、その人なりのやり方で、「和解」のときを迎えることが出来るんだな・・・と。
昔、『フィールド・オブ・ドリームス』を初めて観たとき、あのラストでなぜ自分は涙がとまらなくなるのだろう・・・と、不思議だった。あの映画は、息子がトウモロコシ畑の真ん中に野球場を作ることで、亡くなった父親と和解する話だった。
この『星の旅人たち』は父親側からの物語だけれど、私の眼には演じている(生きている)実の父親と息子の話にも(勝手に)重なって見えてしまうところがあって、私の中の(自覚できる以上に)深い部分でも、 いろいろ感じるところがあったのかもしれないな・・・と、今になって思う。
久しぶりにムーマさんの感想文読めて嬉しいです
まさに、義父と亡夫の話のようで
絶対に見てみたい一本だなと思いました。
時間のある時にじっくり観ます
ご無沙汰しててすみません。
お陰さまで、やっとまた書けるようになりました(^o^)。
この『星の旅人たち』は、原題が“The Way”とか。
題名通り、ただただ道を歩いて行くんですが
スペインの田舎?の風景がとても綺麗だし
全然小難しい話じゃないので
ぼんやり気晴らしに観ていても大丈夫と思います。
機会があったら、どうぞご覧になって下さい。
来て下さって、読んで下さって
本当にありがとうございました(^o^)。