長くなった「ひとこと感想」その5。
いつもに増して個人的な感想になってます。(Coccoさんや塚本監督のファンの方はスルーして下さった方がいいかも。)
Coccoさんについては、以前観た『大丈夫であるように -Cocco 終らない旅-』(監督:是枝裕和)というドキュメンタリー映画での、この人しか知らない。その時に感じたモノと、今回この映画で感じたモノとは、驚くほどよく似ている。(この人と一緒に創造活動をしようと思った瞬間から、作り手はこの人の魔力に抗えなくなる・・・のかな?)
私の眼にはCoccoさんというのは、たとえばセイレーンみたいな存在、人間以外の生き物のように見える。ミューズという言葉もあるけど、そんな穏やかなモノじゃあなくて、「インスパイア」から「乗っ取られ」まで、一直線・・・という感じ。
それくらい、魅力的な人材(という言葉では足りないけれど、いい言葉が見つからない)なのは、映画を観ていて、とてもとてもヨクワカル(つまり監督さんも一生懸命「いい仕事」をしているんだと思う)ので・・・なんだか何も書くことがなくなる。
ただ・・・個人的には、私はこの人が苦手だし、面と向かい合うことがあっても、好きにはならないだろうと思う。
沖縄に生まれ、本土(日本)がどれほどの暴虐を沖縄に対してしたか、しているか、怒りがこの人の中にどれほど降り積もり、高い圧力でもって充満したか・・・それが私にとって痛み(罪悪感)を伴うことだから「苦手」なのかもしれない。でも「好きになれないだろう」というのは、この人の個性に対する私のごく個人的な感覚だ。(私は「セイレーン」に対しては、本能的な恐怖と、言葉がキツクなり過ぎるけれどある種の嫌悪?を感じる。)
「苦手」で「好きになれない」からこそ、この人が飛び抜けたパフォーマー(これもいい言葉が浮かばない。強いて言うなら、広い意味での「アーティスト」?)であることはよくわかる。私は映画を観ている間、ずっとこの人から眼が離せなかった。お蔭で物語も演出も、出演していた監督さんも、みんなどこかへ飛んでしまった。
「観ている」間は、とても深い内容なので、私はいろいろ思ったこともあるはずなのに、半年後の今記憶に残っているのは、ゆらりゆらりと歩く、踊る、彼女の姿だけの気がする。(そしてあのラストで、ヒロインにとっての最高の夢が現れたのだ・・・と。)
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