「ひとこと感想」その31。
実話だとは聞いていたけれど、それでも観てるといろんな意味で「目(耳も)を疑う」シーンが続出(^^;。山場となるカーネギー・ホールのリサイタルは1944年のことだから、戦争の真っ最中に、ニューヨークでは(セレブとはいえ)こんなコトもやってたんだ・・・と。(『カサブランカ』観たときと似た驚き)
フローレンスを演じるメリル・ストリープの歌が始まったときには、「これを2時間聴くことになったらどうしよう・・・」本気で心配になったけれど、そこは当然作り手の匙加減で、「歌唱」シーンの長さはピッタリ、(私の耳が悲鳴を上げる寸前?)物語場面に繋がっていく。
メリルの歌の「下手さ」加減も絶妙(わはは大拍手~)。歌の上手い女優さん(若い頃オペラ歌手志望だったこともあるとか)とは知っていたけれど、ここまで(「演技力」を絡めた意味で)「上手い」のだとは思ってなかった(ゴメンナサイ)。フローレンスという「音楽を本当に愛して」いて「音楽のためならどんな支援もしたい」と願っている、「善意のカタマリ」のような大富豪女性の人間性が、物語場面だけでなく「歌唱」からも、観ている私に伝わってきた。
でも、キャストの鍵(というのかなあ)になっていたのは、夫役のヒュー・グラントだったかも。こういう秘書かマネージャーのような、ヒモ?に間違われそーな、敏腕プロデュサーのような「英国貴族」の末裔?を演じて、これほど上品で感じよく映るヒトって、そうはいない気がする。(一緒に暮らしてる女性がいても)フローレンスを「妻として」大切に想っている気持ちも、本物だという風に、私の目には映った。
伴奏者に選ばれた新進ピアニストといい、フローレンスをおだてるだけ?のように見える音楽家たちといい、元々は「お金のため」であったとしても、だんだん彼女の人間性に惹かれて協力したいと思うようになっていく。そういう意味では、底意地の悪さとか「悪意」を感じさせる人は、結局一人も出てこなかった気がする。それでも・・・
フローレンスが本当はどういう半生を過ごしてきたのか、映画の終盤になって判ってきたせいもあって、観た後時間が経つほど、ふと思い出して物思うことが多かった。「夢のような」明るさ、豪華さ、ユーモア満載のコメディーのように見えて、その実深いモノも感じさせる、よく出来た映画だったと思う。
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