眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

ジェルソミーナの記憶 ・・・・・ 『道』

2011-02-14 10:53:48 | 映画・本
長すぎる「ひとこと感想」その7。

中学生の頃、家族みんなで『道』のテレビ放映を観たことがある。

その時は、私にはそれほどいい映画には思えなかった。若い頃に映画館で観て「もうほんとに感動して、あのメロディーをずっと口笛で吹きながら家に帰った」という父も、独り言のように「なんであんなに感動したんだろう・・・」。その落差があまりに大きくて、私はオカシイような、気の毒なような、でも「面白くなかったのは私だけじゃないんだな~」とホッとするような、微妙な?気分を味わったのを覚えている。

ところが今回、私はもう最初から最後まで、じっとスクリーンを見つめていた。物語は大半覚えている。どういう風に話が進み、登場人物たちがそれぞれどうなっていくのかも判っている。それなのに眼が離せなかった。

ジェルソミーナ、ザンパノ、そして綱渡り芸人の青年(テレビで観た時は「キ印」と呼ばれていたと思う)・・・それぞれの瞳の中には、私がこれまでに実人生で見てきた人々の、さまざまな表情が宿って見えた。

若い頃は、ジェルソミーナの無垢な感じは、ただ黙って見ているには痛々し過ぎて、私はイヤだったのかもしれない。可哀想で、それなのに天使扱い?されてるみたいで、私は「作り手」の存在をまだ意識してはいなかったけれど、どこかでその漠然とした「神の眼」のようなものにも、腹を立てていたような気がする。

多分私は、ジェルソミーナの中に「子どもの無垢」を見ていたのだ。だからザンパノの彼女の扱い方に腹が立ち、それがどれほど彼女を傷つけるかを、自分自身の身に起きているかのように、ヒリヒリと感じてもいたのだろう。

今見ると、(たとえ号泣したとしても)ザンパノにはジェルソミーナの中の「何か」は、決して解らないのだ・・・という気がする。そして、それでいいのだ・・・というような思いが満ちてくる。

観ている間、私はただ、作品のストーリーも、登場人物の表情や言葉の数々も、観ている自分の過去の記憶も、すべて混ざり合った中にぽっかり浮かんでいるようだった。

やがて映画が終り、明るくなった場内で、ふと思った。

父はやっぱりちょっと気の毒だった。こういう映画こそ、「暗闇」で、ただモノクロのスクリーンを見つめるだけ・・・という環境が必要だったのだ。長年の謎の一つにしては、なんて簡単な解答だったんだろう。私は、やっぱりちょっと可笑しくなった。



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2 コメント

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昔話 (お茶屋)
2011-02-14 21:54:38
ジェルソミーナに似てるな~と思っていた友だちに、「ジェルソミーナに似ている」と言われたことを思い出します。
大切なのは似ているかどうかではなくて、どんなところが似ていると思ったかなんですよね。そういうの話し合えばよかったなー。

>・・・という環境が必要だったのだ。

ですよねー。
私にとっては『駅馬車』『アラビアのロレンス』がそうでした。テレビで観る機会があっても、必ず途中でイヤになっていました。
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「暗闇」はいいな~(笑) (ムーマ)
2011-02-15 10:01:48
お友だちもお茶屋さんも「ジェルソミーナ」を知っていて、友だち同士で話題にしてる・・・っていうのがなんかいいですね。(今思うと、どうしてもっと話さなかったんだろ・・・っていうの、私もあります。)

>私にとっては『駅馬車』『アラビアのロレンス』が・・・

『ロレンス』はほんとそうですね~。テレビには空間や風は映りにくいというか。
『駅馬車』は(きっとそうだろうと思って)もう観ないままになってます。(シネコンの「午前十時」シリーズでやってくれないかなあ。)
でも「途中でイヤ」仲間がいたと思うと、なんかウレシイ(笑)。
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