眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

2006年に観た映画 (オフシアター外国映画編)

2007-02-01 21:14:06 | 映画1年分の「ひとこと感想」2006~
昨年は映画を観るのを「最優先」にして暮らしたような、元々映画の好きな私としても珍しい1年だった。映画館で46本、それ以外の会場で上映されたものが81本、計127本を「スクリーン」で観た事になる。「それ以外の会場で・・・」というのは市や県の主催によるものや美術館ホールの定期的な特別企画を除くと、いわゆる自主上映グループによるものが多かった。私が昨年、映画館での2倍近くもそちらを観たこと自体、「珍しい」経験だったと思う。

実は私の住む高知では、毎年の初めに、朝日新聞社主催で「オフシアター・ベストテン選考会」なる催しがあり、映画館以外での上映作品の中から10位までを、映画の好きな人たちが選んで、日本映画と外国映画の各1位プラス地元ではまだ上映されていない面白そうな作品1本、計3本を無料上映してもらえることになっている。何年も前からの企画らしいけれど、私は一昨年たまたま初めて参加して、翌年は当時15歳の息子を誘い、お互い「とにかく作品をある程度の本数観ていないと、もどかしい思いをする」ことで意見が一致。「2006年は出来るだけ観に行って、選考会に出よーねー。」となったのだ。

その「2006年度オフシアター・ベストテン選考会」が、いよいよ今週末開かれる。(目下風邪で寝込んでいる息子も、それまでには元気になるだろう。)自分がベストテンに入れたい作品を、予め貰っている上映された作品のリスト片手に考えている時、ふと「映画館で観たものも合わせて、記憶に留めておきたい作品だけでも、ひと言感想を書いておこうかな・・・。」という気持ちになった。簡単な走り書き程度のメモは別にあり、わざわざブログに載せる必要を今まで感じたことが無かったのに、選考会で知り合った映画ファンの人たちのHPを見たりしているうちに、自分でも一度書いてみたくなったのかもしれない。

「それに、こんなにたくさん映画を観ることなんて、もしかしたらこの先無いかもしれないし・・・。」

何でもないようなささやかなコトが、後から考えたら実はその1回きりの出来事だった・・・というような経験を過去に何度もしたのだろうか、私はこの程度のことでも、「これが最後かもしれない」と反射的に思ってしまうところがあるらしい。(大袈裟なことを言っているように、人は思うかもしれないけれど、私にとっては理屈抜きのものだ。)


という訳で、取りあえず書き始めてみる。




【オフシアターで観た外国映画から】

『亀も空を飛ぶ』  断崖に立つ少女の顔が忘れられない。  http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/758fed5a51498f0e704b3f6b3ed54888

『ヴェラ・ドレイク』  主人公の無知を責められない自分に気がついた。私は「無知」より「善意」に対してのほうが疑問を感じやすいのだということにも。

『ラヴェンダーの咲く庭で』  こういう70代と思しき女性の初恋?を、想像したことが無かった。同年齢の男性の、或いは「初めて」じゃない恋ならいくらも想像出来るのに。過去の戦争抜きには語れない話だから余計に、辛いものがあったのだと思う。

『愛をつづる詩』  原題『YES』が印象的。でもサリー・ポッター監督は、もしかしたら苦手かも。

『灯台守の恋』  ちょっと古風な感じのラヴ・ストーリー。(なのに、個人的には記憶に残る作品になるかもしれない。)  http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/5be05e4efcae0a24b15dee398b0ca9a4

『アワーミュージック』  ゴダールという監督の作品を、そんなに私は観ていない。それでもこれはこの人としてはわかりやすい(と感じられる)作品なのだろうと思った。ただ・・・この人の良さは、こういうリアルさ?とは違うトコロににあるんじゃないのかな、とも。今回のような希望の持てる結末は、決して嫌いじゃないんだけれど。

『モディリアーニ 真実の愛』  高校の美術の時間に観てもいいような作品。ドラッグだの酒だので観ている方も溺れそうだけれど、モデルになった恋人もピカソその他も実物を思わせるくらいなので。最後のシーン、ピカソと少年の後姿は大小二人のコドモといった感じ。微笑ましくて良かった。

『ほえる犬は噛まない』  とりとめが無いというか、印象が希薄。ぺ・ドゥナは好きなんだけど。ただ、マンションから子どもが投げられた・・・というようなニュースも実際あった頃で、私は(犬でも、或いは動物だから余計に?)ああいうシーンは苦手だ。

『ある子ども』  主人公の「(精神的な)寄る辺なさ」に胸が痛んだ。ダルデンヌ兄弟の作品は毎回、私にとってはとてもわかりやすく感じられ、しかもいつもこういう痛みを残す。けれどそれが「嫌な痛み」じゃないのは、描写の仕方が丁寧で、「可哀想」とは別物に感じられるからだろうか。こういう繊細な作品が、主催者側の方のブログで「今話題の『引きこもり』や『ニート』を正面から描いた・・・」といった言い方で宣伝されているのに珍しくも本気で腹が立ち、書かれた方と直接メールの遣り取りまでしたのを思い出す。(相手の方は最初、「アラシ」かと思われたとか。無理もない。自分でも自分の行動に驚いた。)

『ブレイキング・ニュース』  いかにも今の香港の、「アクションだけじゃない」アクション・ムービー。テンポが良く、面白かった。

『シン・シティ』  原作のアメコミを知らなかったので、盛大な血しぶきに驚いたものの、映像のメタリックな冷たさに救われて、なんとか最後までたどり着いた。ともあれM・ロークに、久々にそれもイイ役柄で再会出来たのは嬉しい。ほんとは苦手な部類の作品。(好きな人は好きなんだろうなー。)

『世界』  いくらなんでも長すぎると思った。(素材としては嫌いじゃないのに、なんだか編集途中を見ている気がしてくるくらい。)

『歓びを歌に乗せて』  「芸術が人に与えるもの」を本気で考えさせるところがあって、単なる「音楽映画の佳作」とはレヴェルが違う気がした。ケイ・ポラック監督18年ぶりの作品とか。(T・マリックみたいな人って結構いるのかしら・・・などとメモに書いてある。)コドモのままのような主人公も含めて、群像劇としても見ごたえがあり、北欧の映画っていいなーと改めて思った。

『天空の草原のナンサ』  同じ監督の『らくだの涙』も同じ年に観たけれど、とにかく「今でも地球は広い」と実感させてくれた作品。ナンサの両親の子どもに対する愛情がひしひしと伝わってくる一方で、次の瞬間には「(生き物の)子どもは(他の生き物からみると)格好の餌」という自然界の現実も知らされる。色々な意味で、私の全くと言っていいほど知らない世界を見せてもらっている気がした。(それに何より、子どもたちと犬が物凄く可愛い!)

『理想の女』  とにかく、悪女風?年増美女に求婚する中年男性の言葉の数々が「カッコいい!!」という点で、息子と意見が一致した作品。(あそこまでいくと、本気でハンサムに見えてくるから不思議。)

『綴り字のシーズン』  ちょっと変わった雰囲気の映画。R・ギアがユダヤ教神秘主義とかの専門家だったり、「綴り字」がパラパラと空中を泳いだり・・・。でも、おとなしく素朴な感じの女の子が、初めて控えめな自己主張をしてみせる最後のシーンは爽やかだった。

『美しき運命の傷痕』  冒頭、小鳥の巣が映り、その意味するところが映画のテーマに直結しているようで考えさせられたけど、結局のところよくわからない。個人的には、車椅子の母親の「顔」に圧倒された。(意志の全く揺らがない、近づきようも変えようも無い?人の顔。)死人も出るほどの人間関係なのに、不幸なはずの3人の娘たちも最後は案外深刻そうでもなく、私にとって「王女メディア」の皮肉なコメディー版?を観たような不思議な明るさが残ったのは、そんな母親の最後の言葉によるものだと思う。あそこまで断言されると、娘としては呆れ果てた挙句、笑って(自分の中から)母親を放り出すしかないような気がしたのかもしれない。

『白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々』  ヒロインを「清冽」と形容した人たちがいた。そういう言葉が即座に浮かぶ人に敬意を表したくなるほど、まさに「清冽」としか言いようの無い生き方が描かれている。  http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/1f0c7d43f797f65592d0c290766546c7

『ラストデイズ』  程よい湿度と心地よい?退屈さ。主人公が、演じる俳優自作の歌「デス・トゥー・バース」を歌うシーンは忘れられない。

『白くまになりたかった子ども』『マクダル パイナップルパン王子』  2本続けて観たけれど、文字通りの好対照。私はナンセンスが好きな方だと思うけれど、今回は後者の「ナンセンス」より前者の「オーソドックス?」に惹かれた。何気ない効果音一つさえ本当に注意深く扱っている神経と、ラフに見える描線にかけた手間暇の方が新鮮に見えたのだ。

『イノセント・ボイス 12歳の戦争』  実話がモデルと知らなければ、「あまりに良く出来た(作り物の)ストーリー」と感じたかもしれない。12歳で徴兵されるということだけでもショッキングなのに、それ以外でも、とにかく予想する中の最悪の選択肢で話は進んでいく。それなのに、観ていてそこまでの重苦しさ、辛さを感じられないのは、作品によるのか自分の側の要因なのかも、実はよくわからない。ただ、生きるのに必死であるほど人は後ろを振り返らないのだろう・・・とは思った。

『悪魔の発明』『ほら男爵の冒険』  大真面目で作られたこういう「実写」の映像は、眺めていると何だか慰められるものがあって不思議。

『ネオ・ファンタジア』『ベルヴィル・ランデブー』  どちらも、いかにも「ヨーロッパ」を感じさせるアニメーション。丁度夏休み中だったので、日本やハリウッドのアニメと同時期に見て、色々考えさせられた。

『拘束のドローイング9』  マシュー・バーニーは初めて観た。この人の「イメージの奔流」?とでもいうような映像は、もしかしたら嫌いでもないのかもしれない。ただ、この作品に関しては、映像より何より「ビョークが苦手!」の一語に尽きる。(同じ日に上映していた「クレマスター」のどれかを観たほうが良かったのかも。)

『魔笛』『フィガロの結婚』  生でオペラを観た事が無いと言ったら、「あれこそ、芸そのものよ。一度観たら、絶対あなたは好きだと思う。」と相手に断言されたことがある。今回取りあえずスクリーンで観て、友人の言った意味を了解した。(可愛いパパゲーノが今も目に浮かぶ。)

『グッドナイト&グッドラック』  モノクロ画面が美しく、「当時」を緻密に再現しようという努力を感じた。私にとっては、とにかくCBSの経営者側と番組の作り手側との「議論」の迫力が圧倒的。ナアナアの入り込む余地が無い、正面からの議論をこういう所でやっていたなんて・・・と、何だか感動してしまった。(息子二人が別々に、『12人の怒れる男』の方がいいと言ったのも面白かった。)

『ウォーク・ザ・ライン』  それまでJ・キャッシュというミュージシャンを知らなかった。フィクションの映画としてよく出来ていると思ったけれど、その後偶然『ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム』の過去の映像で、ディランと歌っている本人を見た際、全く違和感無く『ウォーク・ザ・ライン』というこの作品と繋がって見えたのには驚いた。(誰か、何かを捜し求めている風情が、それくらい正直に「顔」に現れている人だったのだ。聡明なジェーンが、結局彼の求愛を振り切れなかった気持ちが、何だか透けて見えるような気がしたくらい。)もちろん、こんなことは作品自体とは全く関係の無いことだけれど。というか、それくらい作品が生身の人間を描き出していたということなのかも。

『うつせみ』  娯楽作品として面白く出来ていると思ったけれど、最後のナレーションが余計で、どうしてああいうひと言を付けたのか理解に苦しむ。(一緒に観た下の息子は「ぶち壊しだ!」。)

『ホテル・ルワンダ』  観られないだろうと諦めていたら、各自主上映グループの方たちが協力して、「高い」フィルムを借り上映出来ることになったもの。(入場者数も多くて、何だか私まで嬉しかった。)観る前には「ルワンダ」の位置を初めて中学生用の地図で知り、観た後はそのアフリカの地図を前に、映画で見たさまざまな場面を思い出しながら、私の知らないアフリカの現実(マスコミに載るものとそうでないもの)に、いつもながらのため息を吐いた。映画自体は、エンターテインメントとしてもとても面白く出来ていて、「高知に来ない」のはともかく最初「日本で上映される予定が無かった」ことに、改めて驚く。

『ブロークン・フラワーズ』  ふにゃら~なロード・ムービー?で、その力の抜け方その他、いちいち可笑しくてクスクス笑いっぱなし。でも最後は苦いものが(相当?)残る感じ。主人公に悪気が無いので余計に。

『ココシリ』  少なくとも私にとっては、文字通りの「凄い」映画だった。  http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/f449f252adb879d13be5f55638d70933

『ママが泣いた日』  ちょっとトンガッタところのある「ママ」と、その被害?を蒙っている娘たちと、元お隣さんの(悠揚迫らぬ)ママの恋人と・・・という、どこかコミカルな、でも「大人」の映画だった。「何かヘンだな・・・」と思っていた謎が最後に解けた際のショックは意外に大きくて、ちょっと辛いものがあったけど。。

『リトル・ランナー』  これほど「徹底的に前向き」な主人公を、最近あまり見たことが無いような気がする。(「もしかして『フラガール』より万人向きかも。」などと、私のメモには書いてあった。)「青少年」向きのようで、実は大人の心に訴えるモノもちゃんと備わっていそうな作品。

『美しい人』  9話のオムニバスで、9人のヒロインがいる。原題『9lives』通り、ほとんど説明抜きで女性たちの人生の一断面が描かれていて、私はただただ女優さんたちの「顔」(が語るもの)を見つめていたような気がする。

(以下の7本は、ブルース関係の特別企画で観たもの)

『レッド・ホワイト&ブルース』  ブルースとブリティッシュ・ロックが、こんなに深い間柄だったとは!! 夢中で話しているクラプトンの顔。最後に「イギリスからもう一度逆輸入されたお陰でブルースはアメリカでの市民権を得たのだ」と言った意味の感謝の言葉を口にするB・B・キング・・・。

『ソウル・オブ・マン』  「伝説の3人のブルース・ミュージシャン」たちの歌を聴き、人生を垣間見ていると、「ブルース」って最初はこうだったのか・・・とシミジミしてきた。(それくらい不遇だったので。)

『ロード・トゥ・メンフィス』  「全盛期の50年代同様に小さな田舎町でのライヴ・ツァーをほぼ50年も続けている」というボビー・ラッシュというミュージシャンには、ちょっと呆気に取られる思い。「もうちょっと大きい成功が欲しかった」といった意味の言葉の片方で、それでも本当に好きなことを続けてきた人の誇りと幸せが感じられて。

『フィール・ライク・ゴーイング・ホーム』  特別企画1日目の最後がこれ。ミシシッピ・デルタから、とうとう西アフリカまで行ってしまった。何かの源を捜すって、ほんとに大変なこと。それにしても、西アフリカのミュージシャン?たちの音楽も良かった。(当たり前のことかもしれないけど、「アフリカ系」アメリカ人という言葉にはそれ相応の重みがあるのを実感。)

『ミュージック・クバーナ』  『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』で初めて出会ったこのオジイサン(ピオ・レイバ)がだぁい好き! 打ち合わせの際、非常に上手なキューバの若手ミュージシャンたちに「で、あなたは何をするんです?マエストロ」と訊かれ、憮然とした顔で「ワシ? ワシは好きなようにするさ」と答える。それに大笑いして拍手する若手たちも素敵。(この映画の完成後間もなく、天国に引っ越されてしまったらしい。私も引っ越した時には、会いに行きたい人のひとり。)

『トム・ダウド/いとしのレイラをミックスした男』  自分の才能のままに「好き」な道を邁進した、文字通りの天才! なんだか(気さくで機嫌のいい)レオナルド・ダ・ヴィンチみたい。(こんな人が裏側にいたのかぁ)

『ボブ・ディラン「ノー・ディレクション・ホーム」』  世間に最ももてはやされた頃のディランを、私はなぜかほとんど知らないままで来た。今回、そんな若きディランを映像で見て思ったこと。「要するにネコ科の男の子?」私が昔々の絵描きか何かで「堕天使」を描くことになったなら、こういう人をモデルに雇いたいかも・・・なんて失礼なことをフト考えたくらい、非常に純粋なモノと悪魔的なくらい囚われない感性とが同時に存在しているように見える顔。(また「顔」だ。)でも、それだけでアメリカの現代史の一部分を体現するような音楽を作り出したとは思えない。インタヴューで「愚かでなければ恋などしない」と苦笑する、今の彼の驚くほど正直な言葉の数々からも、謎の答えは見つからない気がした。

『ローズ・イン・タイドランド』 精緻な作りの美術品、それもオソロシク高級なフィギュアでも眺めているような気分になった。ローズ役の女の子があまりに上手なので、さらにフィギュアに見えてくる・・・とでもいうような。ただ、私はこういう「気持ちの悪さ」は、よほど苦手なのだろう。「不思議の国のアリス」は私の愛読書だったけれど、この映画は(映像ゆえに?)生々しすぎるのかもしれない。(身体中を緊張させたまま、頭と眼だけで面白がって観ているような感じで、後から驚くほどの疲れが残る。)

『家の鍵』  子どもは、時として親の「自分探し」に付き合わされる。(私自身、そのために自分の子どもを振り回し続けているところがあると思っている。)主人公の少年が最後に言った「(親が)泣くなんて、反則だよ」という言葉は、彼の当惑を反映してか、たしなめる言葉としては、ずいぶん優しいもののような気がした。(実際には、どんな事情があろうと、「親も辛かったのだ」という言葉は「大人」にまだなっていない子どもには言わない方がいいらしい。「言わなくても、時が来ればわかる」という種類の言葉は、言うと逆効果にしかならないことが多いのだろうと私も思う。)少年の「食えないヤツ」ぶりが、むしろ救いになっている、ちょっと苦味の勝った作品だったと思う。

『奇跡の夏』  韓国の映画にはよく病院での場面があるけれど、あまりに非現実的と思うことが多い。この映画でもそうだけど、もうちょっとリアルな風景に出来ないのかな。(そういう枝葉が私はやっぱり気になるので。)

『胡同のひまわり』  「私は絶対お前からは離れないからな!」と父親は1人息子に叫ぶ。今時の日本で、(それが子どものためと本気で信じて)確信を持ってこんなことを言う親は、一体どのくらいいるだろう・・・と、反射的に考え込んでしまった。日本では、こういう言葉は親の側の「横暴」としか受け止められないだろうし、実際そうだとも思う。もうひとつ驚いたのは、氷が張ってその上を人がスケートしたり歩いたり出来る頃に、氷が割れてひとが水に落ちても、北京では「命に関わる」とまでは思われていないらしいということ。(平然と人が泳いで助けに来たりする。)こういった何でもないようなエピソードに出会うたび、中国という国とそこで生きてきた人々が自分とは違う人たちなんだな、と私は感じる。反対に、息子の作品を展示会場で目にした父親の眼が突然「画家」の表情になる瞬間は、なぜか「自分と同じ人間」と感じさせる。そう、もしかしたら家から出られなくなって数週間の後、本当に久しぶりにスクリーンで観たからこそ、この作品はこれほど記憶に残ったのかもしれない。何のことはない、「映画を、たくさん見過ぎてはいけないらしい」ということを、この1年で私が痛感したのも本当だった。






コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
«  「生きる」ということ ・... | トップ | 2006年に観た映画(オフ... »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おもしろかったです。 (お茶屋)
2007-02-02 18:58:00
いっぱい観ましたね!(拍手)
私はムーマさんの半分も観てないかもしれません。

『ある子供』のチラシをロクに読んでなかったので、そんな風に宣伝されていたとは気がつきませんでした。ぜんぜん、違うよねー。主催者さんが、まだ観ぬ映画についてチラシを参考に宣伝するのはわかるとしても、チラシを作った人がそんな宣伝をするとは解せませぬね。

ブルース関係の特別企画は、よさそうですね~。1日目を観ればよかったかな。ディランの若い頃は、お肌ツルツルで私は「餅だ~」と思ってみていましたが、ネコだったのね!

ベストテン選考会では『歓びを歌に乗せて』 『ナンサ』あたりが1位になってくれると観てない映画を観られるわ~などと思いをふくらませています(笑)。
返信する
真似してみました(笑)。 (ムーマ)
2007-02-02 20:14:57
お茶屋さ~ん、おもしろかったと言っていただけて、とっても嬉しいです。

実は(もうお気づきかもしれませんが)、お茶屋さんトコの「くりからもんもん」を読んで、1回くらい私もやってみようかな~って思ったのがきっかけでした。参考モデルを下さって、ありがとうございました(深々御礼)。

個人的なベストテンを選ぶ方はたくさんおられると思うのですが、私、「選ぶ」のはナントカできても、順位をつけるのが性に合わないというか苦手なので、「全部書いちゃおう」になっちゃった・・・というのが、正直なトコロなのかもしれませんが(苦笑)。でも、書いてる本人もとっても楽しかったデス。二重の意味で「どうもありがとう!」デス。

>『ある子供』のチラシをロクに読んでなかったので、そんな風に宣伝されていたとは気がつきませんでした。ぜんぜん、違うよねー。主催者さんが、まだ観ぬ映画についてチラシを参考に宣伝するのはわかるとしても、チラシを作った人がそんな宣伝をするとは解せませぬね。

「ブログ」上でのことだったので、チラシにそういう記載があったのかどうかは私も覚えていません。(私もチラシ自体は見てないかも。)もしもチラシにそうあったのなら、ほんとに「解せない」話でした。

ところで、ベストテンの1位は、『歓び』でも『ナンサ』でもいいです。どっちも、もう一度観てもいいな~って思うような映画だったので。明るくてちょっと元気が出るような作品なら、何でもOKかも(笑)。

返信する

コメントを投稿

映画1年分の「ひとこと感想」2006~」カテゴリの最新記事