「ココシリ」のチラシを初めて見たとき、ああ綺麗だなと思った。地味な色調のごくシンプルなデザインで、映画の中に見られるような風景の美しさを特に強調することもなく、チベット高原の山々を背景にパトロール隊のメンバー達が思い思いに立っていて、上方の空に当たる部分に、その中の二人、隊長とメンバーの一人の別れの場面がうっすらと描かれている。
観てから数週間経った今、改めてこのチラシを見ていて、ふと、「ああ、ここにはこの映画で最も美しかったものだけを、載せようとしたのかもしれないな・・・」と思った。
この映画は実話を基にした2003年の作品で、ココシリとはチベット語で「青い山々」、モンゴル語で「美しい娘」を意味するという、中国青海省チベット高原、海抜4700メートルの広大な無人地帯を指す。ココシリでは、ヒマラヤ山脈を背景に、厳しい自然条件の下、珍しい野生動物が数多く生息しているが、中でも最高級毛織物の材料となるチベットカモシカは密猟が後を絶たず、乱獲の結果、20年間に100万頭から1万頭にまで激減した。1990年代、事態を憂えた周辺地域に住むチベット人の有志が、マウンテン・パトロール隊を結成し、密猟の取り締まりを始める。映画はそのパトロール隊と密猟者との文字通り生死を賭けた闘いを、取材のためパトロール隊に同行した北京の記者の目線で、雄大な自然を背景に描いている・・・。
以上はチラシやパンフレットにある説明だけれど、この映画はそんな予備知識からは想像もできなかったほどのショックを私に与えた。
映画の始まる前、既に見終わった知人とすれ違い、「どうでした?」と声をかけると、映画に詳しい70代のその人は一瞬本当に困ったという表情をして、小さな声で「・・・凄い映画だった。」と、ちょっと笑った。もう一人、今度は20代の知人に出会い、同じことを訊いてみると、彼は入り口の階段に腰を下ろし、頭を垂れたまま何も言わず、ただ「早く座席に着いて、とにかく見なさい。」とでもいうように、片手を数回振って見せた。年齢も映画に対する傾倒の度合いも全く異なる二人が同じ表情を見せた理由は、映画が始まって間もなくから私にも分かり始めた。
とにかく自然条件の厳しさが、私などの想像を超えている。高く澄んだ、水蒸気の気配も感じられない空、削いだような稜線、迫ってくる断崖の途方もない規模、どこで車や人が埋まってしまうか分からないという流砂を隠した剥き出しの大地・・・。おそらくは10月から11月にかけて、カモシカの繁殖期という設定にも合う時期を選んで撮影されたという風景は、CGとは別の「整いすぎていない」美しさで映し出されているのだけれど、それは海抜4700メートルの大気、氷点下の気温を伴ったものだ。実際の撮影も、終始寒さと所謂「高山病」との闘いだったという。
食料や燃料の不足、車の故障などは、もちろん生命の危険に直結しているが、隊員側はいつ密猟者側に撃たれるかも知れず、密猟者側でも安い賃金で手伝わされている農民などは、足手まといになると置き去りにされたりもする。そもそも、追いかけて、追いかけられて「走る」こと自体が、ほとんど命がけの行為なのだ。(肺気腫を起こす隊員のエピソードを見ながら、ふと、海から引き上げられ気圧が下がったために浮き袋がぱんぱんに膨らんで戻らなくなった魚を連想した。)青空の下、それほどの重装備にも見えない隊員たちだが、密猟者側を発見して、ズボンを脱ぎ、素足で渡る河は半分凍っていたりする。
観ている私も、最初のうちはどの程度の気温、気圧、酸素濃度なのか実感出来ずにいたものの、やがて「そんなところで走っちゃダメよー」などと心の中で絶叫する始末だった。しかも彼ら(それが登場人物なのか演じる俳優なのかも、私には既にワカラナクなっている)は、そういったことを、当然のように、ほとんど平然とやってのける。少なくとも、そう見える。なぜなら、「他に選択肢はない」からだ。
この映画を観た後一番強く心に残ったのは、私にとってはこの「選択肢の無さ」だったかもしれない。
追跡行の途中、パトロール隊、特に隊長が決断を迫られる場面は何度もある。密猟者グループに雇われていた男の一人に、毛皮の隠し場所を白状させようとする時の隊員たちの拷問のような暴力を、記者はやめさせようとするが、隊長はそれを制する。(相手は相当痛めつけられた後で、漸く、大量の毛皮を埋めた場所へ案内する。)或いは、密猟者たちの車が動かなくなったために置き去りにされた毛皮の下処理をする農民たちを、しばらくトラックで同行した後、食料や燃料の不足から、「自分たちで村へ帰れ」と言わざるを得なくなる。寒さの中、公道までの数百キロを水・食料無しで歩くことになる農民側が「到底生きてたどり着けない」と言うと、隊長は「どちらにせよ、それがお前達の運命だ」と答える。現実問題として「他に方法は無い」のだ。
「選択肢の無さ」は、そういう場面場面でのものだけではない。記者は、同乗したトラックで、農民の中の最年長の老人に、彼らが密猟者グループの仕事を手伝うようになった経緯を聞く。元は牧畜をしていた彼らも、高原の砂漠化により羊が飼えなくなって、食べていくために安い賃金で雇われたのだ。彼らも「生き残る」ためには、他の選択肢が無かったのだろう。
起きることのすべてが死に直結していて、「生き残る」ためには選択の余地が無いかのように見えるこの映画の登場人物達の生き方を、ある若い友人は「一本道を行く」と表現した。あの人達は、ああして迷いようのない生き方をするのだろうと。だから、人と人とは基本的に一期一会で、幸運に恵まれて再会できたとしても、その時にはお互いがその間の経験によって、ほとんど別の人間になってしまっている・・・とでもいうような。
確かに、この映画での別れのシーンの切実さは胸に迫るものがある。
私は、以前ある有名な報道カメラマンが言った言葉を思い出した。パレスチナ問題に長く関わってきたその人は、「写真の中で一番大事なのは記念写真だと思うようになった。」という。次にその地を訪れた時には、その写真の中の何人もが欠けているのを知ったからだと。また、アフガニスタンでの医療に長年携わっているある人は、「知り合いから別れを告げられる際は、もう抱き合って『神の祝福を』と言うことしか出来ない。現実の厳しさの前で、他に言える言葉が見当たらないのだ。」と言った。そして実際、それが最後の別れになるのは、決して珍しい事ではないのだと。
だから逆に、再会の時は本当に心の底から喜んでいるのが判る。追跡行の最初に立ち寄った監視小屋の常駐メンバーは、パトロール隊の一行を見て狂喜する。「金もない、人手もない、銃もない」「隊員達はもう1年も無給で働いている」というパトロール隊では、監視に割けるのは一カ所一人で、その常駐メンバーも、たった一人で山中のその小屋に3年間詰めている。密猟者側に襲われる危険と、常に隣り合わせの日々を送る彼が、仲間に見せるただただ明るい笑顔は何とも言えないものがあった。
しかし、彼らはなぜか悲壮感を感じさせない。
夜、狭いテントで、一杯の酒を廻し飲みして次々と歌を歌う。満天の星の下では、「山にはいると帰りたくて堪らなくなる。でも、家に帰ると、すぐにココシリが恋しくなる。」と、屈託のない表情で若い隊員が語る。何でもないようなその光景を観ているだけなのに、私には彼らが、「生きる」ということの喜び、その充実感を、心底納得して心の内に持っている人達のように見えた。「競争」や「戦い」に勝った時ではなく、それ以外の「日常」に感じる、人間という生き物が本来持っている喜びという感情を、身体を通して知っている人達・・・と私は感じたのだと思う。
後半、隊長が密猟者の主犯格を追い詰めることにあくまで執着したことから、隊員たちは危機に瀕することになる。しかし、それを簡単に彼のエゴイズムと言う気にはなれなかった。
今回追っている相手は、繁殖期の雌の群れを機関銃で襲い、数百頭を一度に殺してしまうようなやり方を以前からしている。放っておけば、20年で100万頭から1万頭にまで減ったカモシカを、本当に絶滅に追いやることの出来るような者達だと、隊長としては考えるだろう。それを、何度も逃げられた揚句、やっと追跡可能な距離に追い詰めたと思ったら、彼がかなりの無理をしてでも追跡を続行しようとするのは、少なくとも私には理解出来る気がした。これも「一本道」の続きだと。
チベットの人に共通のものなのかどうか私には判らないが、この映画を観ていると、「生きているものの命は、すべて等しく尊い」という感覚が、この地の人々の生活心情に根付いているのを随所で感じる。
隊長は、自分たちの撃った弾で若い農民が死ぬ際、そっと名前を訊き、息を引き取ると瞼を閉じてやり「安らかに眠れ」と声をかける。追う者と追われる者が殺し合いに近い状態になり、どちらの誰が傷つき或いは命を落としても不思議ではない中で、それでも人の死に対しては、それが誰であれ敬意を払う。農民達を空身で放り出すようにして村へ帰らせる際も、生死どちらであれ、起きたことがお前達の運命だと言った後で、「仏の加護を」と付け加える。大量に殺されたカモシカの死体に対しても、彼は同じ敬意を払っているように見える。銃弾の穴の空いた雌の毛皮をそっと撫で、「死体の始末」というよりは「遺体の埋葬」として、穴を掘り、石油をかけて火をつけているように私には見えた。
彼は、食料も燃料も尽き、しかも後から追い着くはずの仲間がまだいない状態で、密猟の主犯たちに遭遇するとは思っていなかったのかもしれない。それを判断の甘さと感じるのは、安全な場所から観ている私の感覚であって、そもそもそういう綱渡りのような監視・追跡を何年も続けてきた彼らなのだ。しかし、「一本道」はある時突然終わる。
記者も、ガス欠の車を捨て補給物資を持ち帰る仲間を待たずに自力で下山した3人の隊員も、生還できたのは偶々運が良かったからだとしか言いようがない。しかしその結果、記者の書いた記事が話題になり、保護区が制定され、それなりに予算が当てられ人員も確保され、僅かにではあってもカモシカの生息数が回復に向かっているのだとしたら・・・全くの部外者である私には、本当に何も言えない気がする。時として、徴収した罰金や押収した毛皮を換金した金で、活動を続けてきたことについても、「非合法だということは承知の上だ。監獄にはいっても構わない。そうしなければ、部下とココシリを守れない。」という隊長の言葉の「選択肢の無さ」が、私にでさえ身に染みるからだ。客観的には、密猟者グループもパトロール隊も、やっていることはそれほど変わらないではないかと言われるのだとしても。(密猟者側から見たらパトロール側が強盗集団ということにもなる。)
観てから何日たっても頭の中に漂っていて、形だけでも記憶の小箱に入ってくれない作品は、今の私にとっては珍しい。この映画の場合、それはネガティヴではない所から「生」と「死」を考えさせるからだと、ふと思った。
映画ではよく「生きる」ことの意味、その重さがテーマとなるが、それは往々にして、突然「死」と向かい合うことになった人々やその周囲という形で描かれるような気がする。普段は特に意識していない「生」の価値を、失いかけて初めて考える・・・それは、何でもないようなありふれた日常の中で、或いは戦争や内乱といった正に生死が隣り合わせる場所で、「生きる」ことが危うくなった人々を登場人物として語られることが多いように私は感じてきた。
ところがこの「ココシリ」という作品は、厳しい自然の前で同じように「死」と隣り合わせに生きる人々を描きながら、なぜか「ネガティヴ」な位置から「生」を再確認させようとするのではなく、生きることそのものの揺るぎなさを見せてくれているように、私には感じられるのだ。逆に言えば、この人たちの世界では、正に非業の死とでもいうべき死に方であっても、「死」は「生」と同等で、決してネガティヴなものではないということなのかもしれない。
私は、これまで自分が「生きる」ということを、あまり知らずに来てしまったのかもしれないと思うことがある。生きることの目的も意味もほとんど考えたことがなく、その喜びも、悲しみも、充実感も、長い間自分とは無関係のことのように感じてきた。
そういう私にとっては、この人たちのギリギリの真剣さも、その明るさ、人としての暖かさもすべて含めた、その「生」の手ごたえの確かさに驚かされるのだと思う。先祖から継承したココシリの自然を守り、自分たちもそのまま後の世代に受け継がせたいといった言葉だけでは言い足りない、もっと確かなものが、彼らからは感じられるのだと思う。
ここまで書いてきて、ふと、こういう生き方というのは男性だけのものなのかもしれないと初めて気づき、実は今、ちょっと慌てている。
この映画には登場する女性は少ない。けれど普段の私は、男性ばかりが登場するような作品を見ていると、それがまったくのフィクションではない場合は特に、直接は描かれていない女性たちのことを考える。それはほとんど反射的に私の頭に浮かぶものなので、今回のようなダマサレ方は自分では珍しいことのような気もするが、案外私の本質を暗示しているマチガイのような気もしないでもない。
たとえば出動する父を見送る隊長の娘の涙は、北京から来たばかりの記者を不審がらせるが、彼女の涙はそのまま現実のものとなる。或いは、山との往復の合間をぬって逢いに来る隊員の恋人は、所持金のすべてを残して、泣きながら、 幸せそうに眠る彼の元を去る。彼女を愛しているのだという言葉が信じられたとしても、いつどこで命を落とすかわからない、だのに山に向かおうとする瞬間から、恋人である自分のことなどカケラも頭に残らなくなるような男。彼は翌朝、彼女がいなくなった訳が解らず、他の男たちも同様の経験をしながら「女の代わりはいくらもいる」などと強がる。そして、恋人に去られた彼も、二度と町には戻れなかった。
そういう女性たちの涙や生活の苦労の上に存在しているような彼らの「生」の在り方を、私はなぜか人間一般に当てはまるかのような普遍的なものとして受け取っていたことに、今頃になって漸く気づいた自分の鈍さ(というか、そういう感じ方そのもの)に、私は少し呆れている。が、もしかしたら遠い将来、私はこの「ココシリ」という映画のことを、自分に欠落している?ものの存在を初めて実感させてくれた作品として、思い出す日が来るのかもしれない・・・などと、苦笑いするような、ちょっと楽しみなような気分にもなってきた。
ともあれ「ココシリ」には、私にトンデモナイような騙され方を体験させる力があったことになる。私にとっては、自分の人生が今もその途上にあるのだということを実感すること自体、新鮮な驚きだった。私はこのブログに書く作業を、いつも小さな旅と感じている。過去へのささやかな旅をするために始めたことだったけれど、もしかしたらこれからは、現在進行形の旅が少しずつ増えてくるのかもしれない・・・。
観てから数週間経った今、改めてこのチラシを見ていて、ふと、「ああ、ここにはこの映画で最も美しかったものだけを、載せようとしたのかもしれないな・・・」と思った。
この映画は実話を基にした2003年の作品で、ココシリとはチベット語で「青い山々」、モンゴル語で「美しい娘」を意味するという、中国青海省チベット高原、海抜4700メートルの広大な無人地帯を指す。ココシリでは、ヒマラヤ山脈を背景に、厳しい自然条件の下、珍しい野生動物が数多く生息しているが、中でも最高級毛織物の材料となるチベットカモシカは密猟が後を絶たず、乱獲の結果、20年間に100万頭から1万頭にまで激減した。1990年代、事態を憂えた周辺地域に住むチベット人の有志が、マウンテン・パトロール隊を結成し、密猟の取り締まりを始める。映画はそのパトロール隊と密猟者との文字通り生死を賭けた闘いを、取材のためパトロール隊に同行した北京の記者の目線で、雄大な自然を背景に描いている・・・。
以上はチラシやパンフレットにある説明だけれど、この映画はそんな予備知識からは想像もできなかったほどのショックを私に与えた。
映画の始まる前、既に見終わった知人とすれ違い、「どうでした?」と声をかけると、映画に詳しい70代のその人は一瞬本当に困ったという表情をして、小さな声で「・・・凄い映画だった。」と、ちょっと笑った。もう一人、今度は20代の知人に出会い、同じことを訊いてみると、彼は入り口の階段に腰を下ろし、頭を垂れたまま何も言わず、ただ「早く座席に着いて、とにかく見なさい。」とでもいうように、片手を数回振って見せた。年齢も映画に対する傾倒の度合いも全く異なる二人が同じ表情を見せた理由は、映画が始まって間もなくから私にも分かり始めた。
とにかく自然条件の厳しさが、私などの想像を超えている。高く澄んだ、水蒸気の気配も感じられない空、削いだような稜線、迫ってくる断崖の途方もない規模、どこで車や人が埋まってしまうか分からないという流砂を隠した剥き出しの大地・・・。おそらくは10月から11月にかけて、カモシカの繁殖期という設定にも合う時期を選んで撮影されたという風景は、CGとは別の「整いすぎていない」美しさで映し出されているのだけれど、それは海抜4700メートルの大気、氷点下の気温を伴ったものだ。実際の撮影も、終始寒さと所謂「高山病」との闘いだったという。
食料や燃料の不足、車の故障などは、もちろん生命の危険に直結しているが、隊員側はいつ密猟者側に撃たれるかも知れず、密猟者側でも安い賃金で手伝わされている農民などは、足手まといになると置き去りにされたりもする。そもそも、追いかけて、追いかけられて「走る」こと自体が、ほとんど命がけの行為なのだ。(肺気腫を起こす隊員のエピソードを見ながら、ふと、海から引き上げられ気圧が下がったために浮き袋がぱんぱんに膨らんで戻らなくなった魚を連想した。)青空の下、それほどの重装備にも見えない隊員たちだが、密猟者側を発見して、ズボンを脱ぎ、素足で渡る河は半分凍っていたりする。
観ている私も、最初のうちはどの程度の気温、気圧、酸素濃度なのか実感出来ずにいたものの、やがて「そんなところで走っちゃダメよー」などと心の中で絶叫する始末だった。しかも彼ら(それが登場人物なのか演じる俳優なのかも、私には既にワカラナクなっている)は、そういったことを、当然のように、ほとんど平然とやってのける。少なくとも、そう見える。なぜなら、「他に選択肢はない」からだ。
この映画を観た後一番強く心に残ったのは、私にとってはこの「選択肢の無さ」だったかもしれない。
追跡行の途中、パトロール隊、特に隊長が決断を迫られる場面は何度もある。密猟者グループに雇われていた男の一人に、毛皮の隠し場所を白状させようとする時の隊員たちの拷問のような暴力を、記者はやめさせようとするが、隊長はそれを制する。(相手は相当痛めつけられた後で、漸く、大量の毛皮を埋めた場所へ案内する。)或いは、密猟者たちの車が動かなくなったために置き去りにされた毛皮の下処理をする農民たちを、しばらくトラックで同行した後、食料や燃料の不足から、「自分たちで村へ帰れ」と言わざるを得なくなる。寒さの中、公道までの数百キロを水・食料無しで歩くことになる農民側が「到底生きてたどり着けない」と言うと、隊長は「どちらにせよ、それがお前達の運命だ」と答える。現実問題として「他に方法は無い」のだ。
「選択肢の無さ」は、そういう場面場面でのものだけではない。記者は、同乗したトラックで、農民の中の最年長の老人に、彼らが密猟者グループの仕事を手伝うようになった経緯を聞く。元は牧畜をしていた彼らも、高原の砂漠化により羊が飼えなくなって、食べていくために安い賃金で雇われたのだ。彼らも「生き残る」ためには、他の選択肢が無かったのだろう。
起きることのすべてが死に直結していて、「生き残る」ためには選択の余地が無いかのように見えるこの映画の登場人物達の生き方を、ある若い友人は「一本道を行く」と表現した。あの人達は、ああして迷いようのない生き方をするのだろうと。だから、人と人とは基本的に一期一会で、幸運に恵まれて再会できたとしても、その時にはお互いがその間の経験によって、ほとんど別の人間になってしまっている・・・とでもいうような。
確かに、この映画での別れのシーンの切実さは胸に迫るものがある。
私は、以前ある有名な報道カメラマンが言った言葉を思い出した。パレスチナ問題に長く関わってきたその人は、「写真の中で一番大事なのは記念写真だと思うようになった。」という。次にその地を訪れた時には、その写真の中の何人もが欠けているのを知ったからだと。また、アフガニスタンでの医療に長年携わっているある人は、「知り合いから別れを告げられる際は、もう抱き合って『神の祝福を』と言うことしか出来ない。現実の厳しさの前で、他に言える言葉が見当たらないのだ。」と言った。そして実際、それが最後の別れになるのは、決して珍しい事ではないのだと。
だから逆に、再会の時は本当に心の底から喜んでいるのが判る。追跡行の最初に立ち寄った監視小屋の常駐メンバーは、パトロール隊の一行を見て狂喜する。「金もない、人手もない、銃もない」「隊員達はもう1年も無給で働いている」というパトロール隊では、監視に割けるのは一カ所一人で、その常駐メンバーも、たった一人で山中のその小屋に3年間詰めている。密猟者側に襲われる危険と、常に隣り合わせの日々を送る彼が、仲間に見せるただただ明るい笑顔は何とも言えないものがあった。
しかし、彼らはなぜか悲壮感を感じさせない。
夜、狭いテントで、一杯の酒を廻し飲みして次々と歌を歌う。満天の星の下では、「山にはいると帰りたくて堪らなくなる。でも、家に帰ると、すぐにココシリが恋しくなる。」と、屈託のない表情で若い隊員が語る。何でもないようなその光景を観ているだけなのに、私には彼らが、「生きる」ということの喜び、その充実感を、心底納得して心の内に持っている人達のように見えた。「競争」や「戦い」に勝った時ではなく、それ以外の「日常」に感じる、人間という生き物が本来持っている喜びという感情を、身体を通して知っている人達・・・と私は感じたのだと思う。
後半、隊長が密猟者の主犯格を追い詰めることにあくまで執着したことから、隊員たちは危機に瀕することになる。しかし、それを簡単に彼のエゴイズムと言う気にはなれなかった。
今回追っている相手は、繁殖期の雌の群れを機関銃で襲い、数百頭を一度に殺してしまうようなやり方を以前からしている。放っておけば、20年で100万頭から1万頭にまで減ったカモシカを、本当に絶滅に追いやることの出来るような者達だと、隊長としては考えるだろう。それを、何度も逃げられた揚句、やっと追跡可能な距離に追い詰めたと思ったら、彼がかなりの無理をしてでも追跡を続行しようとするのは、少なくとも私には理解出来る気がした。これも「一本道」の続きだと。
チベットの人に共通のものなのかどうか私には判らないが、この映画を観ていると、「生きているものの命は、すべて等しく尊い」という感覚が、この地の人々の生活心情に根付いているのを随所で感じる。
隊長は、自分たちの撃った弾で若い農民が死ぬ際、そっと名前を訊き、息を引き取ると瞼を閉じてやり「安らかに眠れ」と声をかける。追う者と追われる者が殺し合いに近い状態になり、どちらの誰が傷つき或いは命を落としても不思議ではない中で、それでも人の死に対しては、それが誰であれ敬意を払う。農民達を空身で放り出すようにして村へ帰らせる際も、生死どちらであれ、起きたことがお前達の運命だと言った後で、「仏の加護を」と付け加える。大量に殺されたカモシカの死体に対しても、彼は同じ敬意を払っているように見える。銃弾の穴の空いた雌の毛皮をそっと撫で、「死体の始末」というよりは「遺体の埋葬」として、穴を掘り、石油をかけて火をつけているように私には見えた。
彼は、食料も燃料も尽き、しかも後から追い着くはずの仲間がまだいない状態で、密猟の主犯たちに遭遇するとは思っていなかったのかもしれない。それを判断の甘さと感じるのは、安全な場所から観ている私の感覚であって、そもそもそういう綱渡りのような監視・追跡を何年も続けてきた彼らなのだ。しかし、「一本道」はある時突然終わる。
記者も、ガス欠の車を捨て補給物資を持ち帰る仲間を待たずに自力で下山した3人の隊員も、生還できたのは偶々運が良かったからだとしか言いようがない。しかしその結果、記者の書いた記事が話題になり、保護区が制定され、それなりに予算が当てられ人員も確保され、僅かにではあってもカモシカの生息数が回復に向かっているのだとしたら・・・全くの部外者である私には、本当に何も言えない気がする。時として、徴収した罰金や押収した毛皮を換金した金で、活動を続けてきたことについても、「非合法だということは承知の上だ。監獄にはいっても構わない。そうしなければ、部下とココシリを守れない。」という隊長の言葉の「選択肢の無さ」が、私にでさえ身に染みるからだ。客観的には、密猟者グループもパトロール隊も、やっていることはそれほど変わらないではないかと言われるのだとしても。(密猟者側から見たらパトロール側が強盗集団ということにもなる。)
観てから何日たっても頭の中に漂っていて、形だけでも記憶の小箱に入ってくれない作品は、今の私にとっては珍しい。この映画の場合、それはネガティヴではない所から「生」と「死」を考えさせるからだと、ふと思った。
映画ではよく「生きる」ことの意味、その重さがテーマとなるが、それは往々にして、突然「死」と向かい合うことになった人々やその周囲という形で描かれるような気がする。普段は特に意識していない「生」の価値を、失いかけて初めて考える・・・それは、何でもないようなありふれた日常の中で、或いは戦争や内乱といった正に生死が隣り合わせる場所で、「生きる」ことが危うくなった人々を登場人物として語られることが多いように私は感じてきた。
ところがこの「ココシリ」という作品は、厳しい自然の前で同じように「死」と隣り合わせに生きる人々を描きながら、なぜか「ネガティヴ」な位置から「生」を再確認させようとするのではなく、生きることそのものの揺るぎなさを見せてくれているように、私には感じられるのだ。逆に言えば、この人たちの世界では、正に非業の死とでもいうべき死に方であっても、「死」は「生」と同等で、決してネガティヴなものではないということなのかもしれない。
私は、これまで自分が「生きる」ということを、あまり知らずに来てしまったのかもしれないと思うことがある。生きることの目的も意味もほとんど考えたことがなく、その喜びも、悲しみも、充実感も、長い間自分とは無関係のことのように感じてきた。
そういう私にとっては、この人たちのギリギリの真剣さも、その明るさ、人としての暖かさもすべて含めた、その「生」の手ごたえの確かさに驚かされるのだと思う。先祖から継承したココシリの自然を守り、自分たちもそのまま後の世代に受け継がせたいといった言葉だけでは言い足りない、もっと確かなものが、彼らからは感じられるのだと思う。
ここまで書いてきて、ふと、こういう生き方というのは男性だけのものなのかもしれないと初めて気づき、実は今、ちょっと慌てている。
この映画には登場する女性は少ない。けれど普段の私は、男性ばかりが登場するような作品を見ていると、それがまったくのフィクションではない場合は特に、直接は描かれていない女性たちのことを考える。それはほとんど反射的に私の頭に浮かぶものなので、今回のようなダマサレ方は自分では珍しいことのような気もするが、案外私の本質を暗示しているマチガイのような気もしないでもない。
たとえば出動する父を見送る隊長の娘の涙は、北京から来たばかりの記者を不審がらせるが、彼女の涙はそのまま現実のものとなる。或いは、山との往復の合間をぬって逢いに来る隊員の恋人は、所持金のすべてを残して、泣きながら、 幸せそうに眠る彼の元を去る。彼女を愛しているのだという言葉が信じられたとしても、いつどこで命を落とすかわからない、だのに山に向かおうとする瞬間から、恋人である自分のことなどカケラも頭に残らなくなるような男。彼は翌朝、彼女がいなくなった訳が解らず、他の男たちも同様の経験をしながら「女の代わりはいくらもいる」などと強がる。そして、恋人に去られた彼も、二度と町には戻れなかった。
そういう女性たちの涙や生活の苦労の上に存在しているような彼らの「生」の在り方を、私はなぜか人間一般に当てはまるかのような普遍的なものとして受け取っていたことに、今頃になって漸く気づいた自分の鈍さ(というか、そういう感じ方そのもの)に、私は少し呆れている。が、もしかしたら遠い将来、私はこの「ココシリ」という映画のことを、自分に欠落している?ものの存在を初めて実感させてくれた作品として、思い出す日が来るのかもしれない・・・などと、苦笑いするような、ちょっと楽しみなような気分にもなってきた。
ともあれ「ココシリ」には、私にトンデモナイような騙され方を体験させる力があったことになる。私にとっては、自分の人生が今もその途上にあるのだということを実感すること自体、新鮮な驚きだった。私はこのブログに書く作業を、いつも小さな旅と感じている。過去へのささやかな旅をするために始めたことだったけれど、もしかしたらこれからは、現在進行形の旅が少しずつ増えてくるのかもしれない・・・。
ご指摘のとおり、「ココシリ」に登場する自警団の人々は、自分たちの行動目的を明確に持った人たちで、僕もそういう迷いのなさをうらやましいと感じました。彼らは、カモシカのようなココシリに生息する動物もまた、先祖から受け継いだ天の恵みと考えているようです。彼らが守ろうとしている土地が、誰か個人のものであり、カモシカもまた個人の所有物であったら、彼らの行動にこれほど心を動かされることもなかったでしょう。それはちょうど、アメリカで先住民のインディアンが、白人の侵略者から先祖の土地を守るために戦ったのと、同じ性質のものだと思います。
上映会に、高校の時の先生が観に来てくれていて、映画の後でしきりに「パトロールの隊員たちをあれほど駆り立てたのは何だったのだろう?」と言っていました。僕は単純に、100万頭のカモシカが1万頭にまで減ってしまったからとか、カモシカもまた先祖から受け継いだ財産だから、というような答えをしていましたが、同じチベット人でも生活のためによそ者の密猟団に加わる者もいれば、パトロールの隊員たちが少ないように、危険なパトロールに参加しない人もいるわけです。だから、事はそんな単純なものではなく、どこかに彼らの彼我の違い、分岐点があるのです。それを分けるのが信仰の問題なのか、正義か自律心か、それは僕にはわかりません。その分岐点を過ぎた者が、ムーマさんのお友達の言われていた「一本道を行く」者になるのでしょう。そして、「一本道を行く」ためには、その道を自分で選択したという事実の後押しが必要になります。そして、ココシリのような厳しい自然や生活苦によって、人は幾度となくそうした分岐点に立たされます。
もちろん、ムーマさんが「一本道を行く」と書かれたのは、単に信念を持って生きるという意味ではなく、他の選択肢を閉ざされた状況を生きるという意味でしたね。そして、生死を分けるほど閉ざされた状態と見えるにもかかわらず、それがネガティヴに感じられないのはなぜだろうと、僕自身も感じていました。いや、逆でした。極寒で貧しく、死の危険と隣り合わせの生き方をうらやましいとさえ感じていたのは、決して彼らの生き方がネガティヴなものではないからだと、ムーマさんの指摘によって気づかされたのです。
“ネガティヴな位置から生を再確認させようとするのではなく、生きることのそのものの揺るぎなさを見せてくれる”という指摘は、この作品の本質的な部分だと思います。監督のルー・チューアンがココシリの人々を描こうとしたのは、その生き方の揺るぎなさと孤高性にあったのではないかと思います。単に、カモシカを巡る密猟者と自警団の戦いをアクション映画として描きたかったのであれば、全く違った文法を持った映画になったでしょう。
監督は、どのような極限状況においても、人間は自分の信念に基づいて行動しうる存在であることを描きたかったのだと思います。中国国内では、とかくチベットのような少数民族は差別され迫害されることが多いようですが、そうした人々の中に見いだされる孤高性に特別な感銘を受け、それを公に知ってもらうところに意義を感じたのではないでしょうか。
ふと数えてみて、シネマ・サンライズの上映会で観た映画の感想を何本もここに書いてきたのに気づき、実は自分でもちょっと驚いています。今年は特に、行ける時にはなるべく観に行こうと、意識して(私としては)多くの映画を観たのですが、何週間(時には何ヶ月)も「抱えて」いた作品は、逆に少なかった気がします。今の私は、本数が多くなると、映画を「大事に観る」ことが出来なくなるらしい・・・と、改めて思いました。
そんな中で、「亀も空を飛ぶ」、「白バラの祈り」そして今回の「ココシリ」・・・と、「灯台守の恋」以外は、どれも深刻な内容でしたが、私はなぜか明るいモノも感じて、なんとなく(観た記憶を)身近に置いたまま、何週間、何ヶ月を暮らしたような気のする作品でした。(他にも、その映画について書くことでもう一度「旅」をしたいと思う作品があるのですが、このスローペースなのでなかなか出来ません。)
美術館ホールというロケーションもあるのかもしれませんが、上映会からの帰り、自転車で川縁の道を走りながら観たばかりの映画を想うとき、私の小さな旅は始まります。それは、ここにいるのは紛れもない自分自身だと私にも感じられる、貴重な機会、時間なのだと思います。
これからも、上映される作品を楽しみにしています。
ありがとうございます♪
本当に有り難うございました。