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眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

『カティンの森』

2011-02-12 22:53:47 | 映画・本
上映会場でのアンケートに、「私がこれまでに観たこの監督の映画の中で、最も生々しく、しかも冷静。何より、その描き方の"辛抱強さ"?のようなものが、強く印象に残りました。」などと書いた記憶がある。帰宅してから書いたメモには、「2時間、全く(自分の)現実を忘れていた。」とも。

感想を書く気になれず(私にとってはそういう種類の映画じゃないのだと思う)、歴史的な背景の知識を補うために買ったパンフレットも、写真をぼんやり眺めただけで、ただ終盤、黙々と「作業」を続けるソ連兵の姿だけが、長いこと頭から離れなかった。

今回、気を取り直して?「カティンの森」事件のことを、もう一度ネットで調べた。映画を観た直後もちょっと調べたのだけれど、なぜか文字が頭を素通りしていくだけだったのが、今回は少し記事の内容が把握できた気がした。

パンフレットの中に映画のシナリオがあったのも思い出した。ゆっくり読んでいく中に、観たときの映像が蘇ってきた。

序盤、大きな橋の上で西のドイツ軍から逃げて来た人々が、東のソ連軍から逃げて来た人々と出くわす場面。ドイツ・ソ連両軍に挟まれた!と知った瞬間の混乱と絶望。

「家族としてのあなたが本当に必要なの。お願いだから軍服を脱いで一緒に来て。」と、将校である夫に懇願する妻の必死の眼差し。妻は、自転車の後ろにまだ幼い娘を乗せて、国を横切るようにして夫の行方を捜しに来たのだ。

上下に赤白のポーランド国旗が裂かれて、赤の部分だけがソ連の赤軍旗として駅に掲げられる場面。それは当然だとでも言うかのように、淡々と進められる「作業」に見える。

或いは映画の約束をして、別れた直後に路上に倒れた若者の顔。その若者の人物像が妙に気になって調べてみたら、監督の若い頃とよく似た経歴と知ったときの驚き。

シナリオの前には、年表と簡単な地図も載っていた。当たり前の事ながら、これを一番最初に見れば良かったんだ・・・と、自分のモタモタぶりに呆れた。

年表には、時を追って「歴史的事件」と「登場人物の行動」が並べて書いてあり、映画を観ただけでは意味が解らなかった細々とした事柄も、ちゃんと理解できるようになっていた。地図はごく簡単な略図なのだけれど、ドイツとソ連がいかにポーランドの国土を蹂躙し、ポーランドという国の形がその度に崩れていったかを、一目で判るようにしてあった。

結局、今の私の回らないアタマに最も相応しくない作業を、今日はほとんど一日がかりでしたことになる。それでも、私にとっては意味のある一日だったのだ・・・と、暗くなった窓の外を見ながら思う。


アンジェイ・ワイダ監督の映画で私が最初に観たのは、30年近く前、家族がテレビから録画してくれた『灰とダイヤモンド』だった。『地下水道』も、やはりテレビで観た。スクリーンで観たのは『ダントン』(と今回の『カティンの森』)だけだということに、今頃気づいてちょっと驚いている。

観た時は毎回、「私はこの場面の(或いはセリフの、俳優さんの目線の)意味するものが解ってないんだろうな~」などと思いながら、それでも「物語」としての面白さや、何より映像の美しさ!に見とれた。

ワイダ監督の作る映像の独特の瑞々しさのようなものが、私はとても好きだった。内容は悲劇的なものが多かったけれど、作り手の目線が細かいところまで行き届いている感じがして、しかも「美しいものが好きな人」なのだと強く感じた。

ナマケモノの私が今回初めて、映画の「内容」を理解しようというささやかな努力をしたことに、自分でも驚いている。いつかはポーランドの歴史(とワイダ監督が描きたかったであろう内容)を、自分なりに少しでも(何か実感を伴った形で)理解したいと、私はずっと、どこかで思い続けてきたのだろうか。

監督の父上も犠牲になったという「カティンの森」事件は、真相の究明に長い月日を要した。第2次大戦初期(1940年)に起きた事なのに、戦後もソ連圏に組み込まれたポーランドでは「触れてはならない」事柄のまま時が過ぎ、ソ連側が事実を認めたのは冷戦終結後(1990年)、ソ連という国がなくなってしまってからのことだった。

歴史上の評価がある程度定まって、「悪者にしても構わない」存在と認められると、初めて公に「彼らが悪かったのだ」という形で、公表(時には謝罪も)される・・・歴史というのはそういう形でしか、進んでいかないものなのだろうか。ヒトラー、ナチス、スターリン、全体主義・・・。

「敗者」「死者」、或いは既に崩壊したモノだからこそ「悪者」として断罪されているわけで、「勝者」「強者」の間は公に認められることはない。表立った追求も、まずされないまま時は過ぎる。

被害を被った側は・・・その間、ただ耐えて待ち続けることになる。私が今回理解したのは、要するにそういう歴史の姿だった。それは聞きかじりの「知識」としては知っていても、或いは年相応の世間知?としては当然というようなことであったとしても、自分自身これほどしみじみと苦さを感じて、理解したことはなかったかもしれない。


監督になった当初から映画化を望み、その願いが叶わぬまま時が過ぎ、80代の今漸く制作・公開に漕ぎつけた『カティンの森』は、ワイダ監督にとっては、自分の父親の話であると同時に、これまで生きてきたポーランドの歴史そのものを映し出す作品だったのだと、私は(私なりの実感と共に)今感じている。

また一つ、長い間抱えて来た宿題が片付いたような気がしている。私なりのたどたどしいやり方であっても、ワイダさんはきっと黙って頷いてくれる・・・と思いたい。






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