眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

2010年に観た映画 (オフシアター外国映画編)

2011-02-11 10:02:25 | 映画1年分の「ひとこと感想」2006~

2010年にスクリーンで観た映画は全部で141本だった。オフシアターで60本(外国映画39本・日本映画21本)、映画館で81本(外国64・日本映17)。珍しくオフシアターの方が少なくて、映画館での外国映画がとても多い。

理由は簡単。TOHOシネマズの「午前十時の映画祭」シリーズにハマってしまったから。

最初の頃は、でもクラシックな名作映画を観る企画は、高知では以前から自主上映グループの方でもやってたのに・・・なんて思ったりして、ちょっと複雑な気分だった。月に4本というのも、私なんかには多すぎるし・・・とか(笑)。

「それなら、観に行く作品をもう少し選びなさい」と言われそうだけれど、以前に観たものでもこの歳でもう一度観ると、全く違うものが見えてきたりする。それがとても新鮮で、ついつい観に行きたくなって・・・結局、新作映画をあまり観に行かなかった気もする。

名作にはとても長い作品もあって、いわゆる「マイル」はどんどん溜まっていったけれど、体力の方が追いつかなくて「フリーパス」が取れるくらいの数字になっても、そのまま放りっぱなし~。

なんだか自分が、すぐオナカをこわすのに食い意地の張った、しかも偏食のコドモみたいな気がしてきた。(って、毎年同じこと書いてるのかな?もしかして。)

ではでは、以下概ね鑑賞順に。



【2010年オフシアターで観た外国映画】


『アンリ・カルティエ=ブレッソン 疑問符』1994

「う~ん、この人誰だっけ? カメラマンだったよーな・・・」程度の知識で見たドキュメンタリー。観た直後のメモには、高齢になってから珍しくもインタビューに応じたという、本人の言葉が多く書き留められている。
「写真に興味はない。(私の関心は)ルポルタージュにある。それはダンスに加わるようなもので、その場に居合わせるという偶然に恵まれないといけない。」「作品を鑑賞するにも、ナレーションを聞かせるよりスケッチブックと鉛筆の方がずっと意味がある。下手でも自分で描いてみると見えてくるモノがある。」・・・などなど。
一見皮肉屋で気難しく、扱いにくそう?な人に見えたけれど、それ以上に客観的な事実だけを扱おうとする姿勢が徹底しているというか、自分の中の「調子に乗りやすい」部分を警戒しているような物言いが印象的で、今思い返してみても、数々の有名な作品より写真家自身の方が記憶の底から蘇ってくる。

『あの日、欲望の大地で』

邦題にオドロイタけど、原題のThe Burning Plainはとてもいいタイトルだと思った。吹きっさらしの荒れ地で燃え上がる炎。それを見つめる娘の、ショックに歪んだ顔。若さ故?に自分の正当性を疑わず、ほんの悪戯のつもりでしたことが取り返しのつかない過失になってしまった瞬間、ヒロインの「時間」はそこで止まってしまったように見えた。
償いようのないことを、どうやって人は償うのか・・・止まってしまった過去の時間が動き出すきっかけになるのが自分の「捨てた娘」であることも含めて、「何事があろうとも、人はもう一度歩き出せる」という希望のある終り方が好きだった作品。シャーリーズ・セロン、キム・ベイシンガーは勿論、セロンの娘時代を演じるジェニファー・ローレンスもとても自然で演技力のある人だと思った。(個人的には、作品全体からセロンという人が感じられるような気がして、「制作」に関わるというのはこういうことなのかと。)

『それでも恋するバルセロナ』

。ウディ・アレン監督の映画について、私はその良さ・味わいが昔からイマイチわからない人らしい。これもその「びみょーにワカラナイ」1本だった。監督の「自由自在」な雰囲気は、ある種心地良いものがあるんだけれど。(『世界中がアイ・ラヴ・ユー』なんかは好き!)
それでも、印象に残ったのはペネロペ・クルス。その凄いようなトンデモ・キャラ(画家の元妻)が、とてもとても魅力的~。夫役ハビエル・バルデムとの母国語(スペイン語)での壮絶な夫婦(元夫婦?)喧嘩にさえ、つい見とれてしまったくらい(笑)。『NINE』でも感じたことだけれど、その役柄を身体全体で(その分他の人より数段深く?)表現できる貴重な女優さんだという気がする。

『路上のソリスト』

私にとっては(エキストラの人たちも含めて)キャストの良さが印象に残った作品。(それにしても、完成度の高い「音楽」を視覚化するのはムズカシイ・・・。)

http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/d08cc37c7ffcdcdb496f099ba73de905

『セントアンナの奇跡』

上映会を主催された方が、掲示板に「フィギュア・スケートに譬えるなら、ターンをしては手をつき、回転しては軸がぶれ、総合点ではとても高得点は狙えそうにないが、最後に4回転とまではいかなくても3回転を連続で2回きめてフィニッシュしたので客席から拍手が湧いた、といったところでしょうか。」(笑)。確かに、後から考えてみるとヨクワカラナイことばっかり?なのに、観ている当座は160分という長さを全く感じずに、大迫力のエンタテインメントとして一気に観てしまう・・・なんだか大がかりなマジックでも観ていたような印象が残る。
それでも内容に関しては、50代の知人が「公民権運動より前だし、第2次大戦の頃はまだ(アメリカの)黒人は同じ"国民"とは見なされてないというか、戦場に連れて行ったら即裏切る?くらいに思われてたかも。」と言ったのに驚いた。私はソンナコト考えたことがなかった。「アフリカ系アメリカ人」の誕生は、私が漠然とイメージしているよりも遅くて、その歴史は随分新しいものなんだな・・・と、4人の「バッファロー・ソルジャー」(これも初めて聞いた名前)たちを見ながら、改めて思った。(それにしても、大男を除く3人の見分けすら覚束無い自分に困惑。もう彼らだけに集中して一生懸命「目を凝らして」観た(笑)。)

『ココ・シャネル』

シャネルが英国人の恋人と別れる場面が切ない。「私が悪いのよ。」
(それにしても、映画全体として不思議なくらい「フランス」の香りを感じなかった。S・マクレーンが英語を話しているのは当然としても、部屋の調度や肝心のファッション自体に「シック」を感じられず、最初の恋人もフランス貴族(そもそもフランス男?とも)と感じられず、メモには「なんだかイギリス映画を観ている気がした。」などと。もちろん、私の側の問題かもしれないけれど。)

『未来の食卓』

「安全性に気を遣って、手間ひまかけて作った」野菜は、信じられないくらい美味しい。味覚が鋭敏とは到底思えない私でさえ、そう感じたことが何度もある。ただ「食」の問題はそこから先が、私にはムズカシイ・・・。(2008年に観た『いのちの食べかた』を思い出した。対照的な内容・描き方に見えたからかなあ。)

『戦場でワルツを』

「イスラエル・ドイツ・フランス・アメリカ合作、イスラエル映画」で「アカデミー賞外国語映画賞では日本の『おくりびと』と賞を争った」というアニメーション作品。背景になる多少の知識を、どこかで仕入れてから観た方が面白いかも。(たまたま前もって読んだ主催者の映画紹介に助けられたヒト)

http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/9958f50509462532777fb4a8f2680382

☆『バッタ君町に行く』1941

「星空映画館」ということで、夜商店街のアーケードで上映された。その時はスクリーンや周囲の店舗の照明などで、映像という点に限れば条件が良くなかったのだけれど、それでも「ディズニーとはひと味違う」もっとざっくばらんでリアルな雰囲気や、アニメーションとしての技術の高さ!を楽しんで観た。
ところが、最近になって家族が借りてきたDVDで再見する機会があり、その映像の美しさに改めて驚かされた。ディズニーの『ふしぎの国のアリス』(1951)やワーナーの『アイアン・ジャイアント』(1999)も同じくDVDで観たけれど、この映画のエッセンスがさまざまな形でその中に生き続けているような印象を持つくらい、完成度の高い作品に見える。その精神は最近の「ティンカーベル」シリーズや『プリンセスと魔法のキス』にも繋がっている・・・という感じがするくらいだ。
アーケードで一緒に観た後の、若い友人の言葉を思い出す。「このころ既に、2Dアニメは、完成度としては行くとこまで行ってるんだもんな~。環境破壊なんてテーマも最近また問題になってるんだし、かえって新しいくらいだ・・・。」真珠湾攻撃の直後に公開されたため、興業としては振るわなかったというこの作品を観て、アニメの好きな彼は、驚きと同時にちょっとクヤシイ?気がしたのかも。

『懺悔』1984

今眼にしている情景が何を意味しているのか(異邦人である)自分にはよくは解らなくても、その映像に魅了されることはある。その象徴するモノ・内容を、貧弱な想像力の翼でもそれなりに精一杯広げて、推し量りたい・・・という気持ちになることが。旧ソ連の厳しい検閲の下、言いたいことをそのまま表現することが許されない状況で、どうしたら自分たちの苦しい歴史・現状を表に出すことができるのかという問題への一つの解答を見ている気がした。
20数年後の今、ようやく日本でも公開された・・・というグルジア映画なのだけれど、明らかに「恐怖政治」という現実を描いているのに、幻想的な寓話の世界にでもいるかのような気持ちになる。しかも、その幻想がとても美しいのだ。ただ唯一現実の生々しさを感じさせたのが、原木置き場で流刑地に送られた父親の消息を、丸太を1本1本確かめながら探す母子のシーン。他の「美しい」或いは「気持ちが悪い」場面とは違う種類の痛切さで、観ていて胸が痛んだ。

『ずっとあなたを愛してる』

世界的に有名な作家が、脚本・監督を担当しているとのこと。極力「言葉以外」のものに語らせる姿勢で貫かれているのは、作り手が「言葉」というものの特性を熟知しているからかもしれない・・・などと、観た後でふと思ったのを思い出す。

http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/8460666697f7e0c985fd34c3c290ff74


以下6作品とそれに続く6本の短編アニメーションは、県立美術館主催の「ケベック映画祭」で上映されたもの。

☆『生きるために必要なこと』2008

時代設定が1952年ということで、私が生まれる頃カナダのケベックでは、イヌイットと呼ばれる人たちはまだこういう扱いを受けていたんだ・・・などと思いながら観ていた。カナダの広い国土に散らばって生活する人たちに結核検診?を受けさせるやり方といい、病気と判って強制的に入院治療を受けさせられる経緯といい、「差別」以前に「言葉が通じない」というのは要するにこういうことなんだな~と。
でもこの映画は、そんな「異国の人間から見たカナダの歴史」といったことを越えて、人と人とのコミュニケーションや理解の仕方、引いてはその時代環境の中でひとりひとりがどう生きるのかという、各人各様の「人生」そのものを、感じさせ考えさせるところがあったと思う。チラシの「国内外で数多くの賞を受け、高く評価された」という意味が、私なりによくわかった。
この作品に限らず、今回のケベック映画祭では、私が元々カナダ映画に対して持っているイメージ?通り「素材をそのまま生かした料理」みたいな味わいの映画が多かった気がする。冗長だったり時にはちょっと退屈?だったりもするのに、少なくとも私はそれがイヤじゃなかった。日々の「現実」というのはそもそもそういうもの・・・とでもいうか、フィクションではあっても、地球上のある場所での「現実」を見せてもらっているという気がして、ゆっくり考え事しながら、「観ている時間」そのものを楽しませてもらった2日間だったと思う。

『大いなる休暇』2003

ケベック州の小さな島を舞台に、過疎・失業・医療問題などの切実で深刻?な事柄を、愛すべき(としか言いようがない(笑))クリケット好きの島民たちのコメディーにしていて、とても面白かった! 

『天国の青い蝶』2004

難病の男の子の瞳がとても美しい。(映画自体より、昆虫学者の肩の上で白い網を掲げて「夢の蝶」を追いかける、少年の横顔の方が強く印象に残っている自分。)

『本当に僕じゃない!』2008

「子どもの孤独」を扱った映画は多いけれど、私は本当は苦手なんだと思う。経験上オトナというのは「自分が見たモノ・場面だけで、即時にその場で判断する」のが常な生き物だと思うので、こういう「親に捨てられた」ような環境で、誰にも言い分を本気では聞いてもらえず、しかも「エネルギーがまだ一杯残っている!」子どもの場合、何をしてもオトナからは誤解しかされない気がして、ハラハラを通り越して、もう胸が痛くなってくる。(ただそれとは別に、外国映画の子ども達の元気さ!には呆気に取られることも多い。全くためらわずにトンデモナイようなコトをしでかす(笑)あのエネルギーって何なんだろう。『ミルコのひかり』なんかをふと思い出す。)

『クレイジー』2005

「本当の自分」なんて私はあんまり考えたことがないけれど、何らかの自覚がありながら「隠し続ける」ことの苦しさ空しさは、自分なりに実感としてわかるところがあるのだと思う。(縮こまってる自分がほんの少しでもほどけたら、その何倍も息をするのがラクになるんだよね。)

『ママは美容院です』2008

気楽そうなタイトルとは全然違う内容で、夫の浮気、家庭不和、当然子どもたちは・・・という話だった(と思う)。子ども達が生き生きとして魅力的なので余計に?観ている間結構シンドカッタ記憶がある。

(以下6本はアニメーション)

『木を植えた男』1987

この有名なアニメーションをを、私は今回初めて観た。これほどの内容を、言葉」を全く使わず、30分という時間(セル画2万枚!)で、淡々と、でも説得力を持って表現できる・・・アニメーションという表現手段の持つ力をしみじみ感じた作品。この年のアカデミー賞(アニメ部門)最優秀短編賞受賞。

『クラック!』1981

手作りの可愛い赤い椅子が辿る運命・・・と言っても、この監督(フレデリック・バック)の場合は結構苦い。リズミカルな映像はパステル調で綺麗なんだけど。上と同じくこの年のアカデミー賞(アニメ部門)最優秀短編賞受賞。

『大いなる河の流れ』1993 

「エコロジー」をアニメーションにしたらこうなる・・・という代表のような作品。(ちょっと『千と千尋の神隠し』の温泉場面を思い出したりも。)

『真夜中の訪問者』2005(短) 

アニメーションの絵が不気味。でもエンディングはそんなにオドロキ!かなあ。(当然あーなると思ってたヒト)

『エスキモー』2008(短) 

サーカスのペンギンがアイスの包み紙の絵(南極?)に憧れる気持ち・・・なんだかちょっとやるせない。ペンギンが可愛い(ウォレスとグルミットの時とはエライ違い(笑))ので余計に。

『真冬の決戦』2003(短)

大の男が三輪車で氷上決戦!(なんか脱力~(笑))。



『牛の鈴音』

韓国では「牛の鈴症候群」と呼ばれる社会現象にもなったという傑作ドキュメンタリー・・・とチラシにある。それほど今の韓国の人々の心に訴えかけるモノがあった映画と思うと、逆にそこから見えてくるモノがあるような気がしたのを思い出す。でも・・・?

http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/5b26df1e500d16423b9e5fa78fbe734f

『正義のゆくえ I.C.E.特別捜査官』(Crossing Over)

「境界」にクロス・オーバーは付き物だ。それが「国境」で、行き交うものが「人間」の場合、「法」はどちらの人間にとっても「正義」であるとは限らない(当たり前と言われそうだ)。それでも、この地上を自由に人が行き来するのは、考えてみるとごく自然なことなのだと思う。そんな素朴な感慨など蹴散らしてしまうほど、現実は(映画をはるかに越えて)厳しいものなのだとしても。
I.C.E.というのは「移民税関捜査局」のことだとか。映画は、そのI.C.E.に所属し不法滞在者の取り締まりを任務とするベテラン捜査官(ごくごく地味なハリソン・フォードが良かった)を主人公に、さまざまな入国者(移民)の現実が描かれる群像劇。脚本の完成度も高く、エンタテインメントとしても良くできていると思う。映画の最後、荒野が広がるメキシコ国境で観客は予想通りの場面に出合うのだけれど、「発見」する職員男性の丁寧な物腰はこの映画の作り手の姿勢を象徴するようで、今も強く印象に残っている。

『サンシャイン・クリーニング』

あの『リトル・ミス・サンシャイン』と同じプロデュース・チームによる作品とか。なるほどストーリーは全然別物だけれど、雰囲気はほとんど姉妹編~。

http://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/28374b3e2559d64af9c1f5c02837e1f1






(ブログの字数制限のため、続きは次の記事になります。)

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2 コメント

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すごい~! (るる)
2011-02-11 11:54:11
私どれも観た事ないよ。

「午前十時の映画祭」いいなぁ。

凄い本数観てるし、感想の内容も深い。

ムーマさん文才あるから、何かに生かせないかなぁ。。。

小説書いてみるとか。
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もう無駄遣いのカタマリですぅ~(笑) (ムーマ)
2011-02-11 13:21:59
>るるさ~ん、来て下さってありがと~(嬉々)。

いつもるるさんが褒めて下さるので、なんだか一仕事できた(わーい)みたいな気がして、元気が出てきます。本当にありがとう。

ここから先はヒソヒソ話。去年も書きながら思ったんですが、これ(映画を観ること)って、私の場合に限って言うと、もう時間とお金(と体力も?)のムダ遣いなんじゃないかなあ。

だって、年々「観た端から忘れていく」がヒドくなってるんですよね(あーいやだ)。
1年分の感想をまとめて書く・・・なんて不精なコトしてるからだけじゃなくて、ほんの数日、数週間でもそうなんです。

その一方で、こうして振り返ってると「脳内再生バージョン」が出来てくる作品もあって、それはそれで楽しいので、もういいやって思ったり(笑)。

小説は・・・わはは、到底無理。(文才どころか、そもそもクリエイティブな資質を自分の中に感じたことがありません(本当)。)

るるさんこそ、元気になったら書いてみませんか? 文才もセンスも、私るるさんにこそ感じてますよ~(これも本当)。
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