文字に直せなくてジタバタし続けた「ひとこと感想」その9。
アヌシー国際アニメーション映画祭(カンヌ映画祭のアニメ部門が始まり)では、長編部門クリスタル賞(最高賞)と観客賞のダブル受賞。アカデミー賞長編アニメーション部門にも、南米の作品としては初めてノミネートされたというブラジルのアニメーション映画(2013)。
カラフルなチラシには「全編手描き・セリフなし」とも書いてあって、一体どんな作品なんだろう・・・と、ドキドキしながら観にいった。
「親子3人で幸せな生活を送っていた少年とその両親。しかし、父親は出稼ぎにでるため、ある日突然、列車に乗って、どこかに旅立ってしまった。少年は決意する。「お父さんを見つけて、家に連れて帰るんだ!」 しかし、未知の世界へと旅立った少年を待ち受けていたのは・・・」 (チラシより)
絵(特に人物)が独特。「丸描いて毛が3本、縦長の真っ黒な目が2つ」あとは簡単な胴体に単なる黒い線だけの手足がついてる・・・そんな幼い子の描く絵みたいな「少年」なのに、表情豊かで、その時々の彼の気持ちが、観ている者にはよくわかる。
映像も、真っさらな白い紙に、目の前で描かれていくのを見ているような気分にさせられる。
映画が始まる早々、私は直近に美術館で観ていた「大原治雄写真展」での、ブラジルの風景写真を思い出した。映画では舞台がどことは明確にされていなかったけれど、単純化された背景の絵は、私の目には「あ、ここ、ブラジルだ」。(他の国の風景を知らないから・・・というだけじゃない気がする)
とにかく、この作り手(絵の大半を監督のアレ・アヴレウが描いているとのこと)の描く「線」は単なるラインではなくて、「表情と陰影」をもつ生き物に見えた。映画の中で、成長した少年が自分のために織っていた美しい布のように、アニメーションが織り上げられていくのを観ているような気持ちになった。
セリフが無いこともあってか、映画に出てくる人々は、そのときには見分けがついていても、時と共に誰が誰だったのか、判別がアヤシクなってくるようで・・・おそらくは意図的に「匿名」にしてあるというか、ごくありふれた「名もなき人々」として、すべてを描こうとしているのだろうと思った。
物語(と言っていいのかどうか)が進む間には、異国人の襲来、彼らのもたらした「機械」「工業」「貿易」の大波、農村は過酷な労働を強いる場所となり、独裁政権が戦争を画策する一方で富裕層はさらに富裕に(空疎に)なっていく・・・そんな歴史が語られる。
映画の中で、私がギョッとした箇所がある。
あるとき、走りすぎる列車の中に少年は父親の顔を見つける。次の駅で追いついて、ドアが開いた!と思った瞬間、出てくる大量の乗客たちは皆「同じ顔」をしていて、少年はどれが父親の顔なのかわからなくなってしまう・・・
「近代化」?というのはそういうことなんだな・・・と、私は思ったのかもしれない。この映画の中で一番ペシミスティックなものを感じたのが、私にとってはそのシーンだった。無名の人々が、本当に「名前などドーデモイイ」存在になることなのだと。
それでも・・・
人は生き、家庭を持ち、子どもを愛し育んで、一生を通じて忘れられないような思い出を双方に残す。さまざまな矛盾を含むブラジルの歴史と現実(多分)を描いていて、それはそのまま今の世界の縮図のようでもあるのに、この映画がどこか明るい印象を持たせて終わるように見えるのは、作り手がそんな家族・人間の温かさを信じているからなのだろうか。
映画を観た後、アニメ好きの若い友人曰く「アカデミー賞の長編アニメ部門が、こんな映画もノミネートするんだとは知らなかった」。ある程度「一般性」が保証されてるエンタテインメントじゃないと、対象にしないのかと思っていたと。
原題は、”THE BOY AND THE WORLD"。少年は世界を見て回るだけで、彼の側からは世界に何の影響も与えない。
でも、私にとってはこのアニメーションは十分面白かった。子どもの目を通してしか見えてこないものもあるような気がするし、作り手は子どもという存在に希望を託しているようにも感じた。
何よりこのアニメーションはとても美しいのだ。こういう美しさをもった作品を観る機会に恵まれたことが、私はとてもとても嬉しかった。
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