ハヤオおじさんの噂を初めて聞いたのは、数えてみると今から25年くらい前のことになる。
2度目の入院からはさっさと退院になったものの、私はまだ病人?のようなもので、医療機関とは自分から縁を切って、ダンスに夢中になってみたり、あるいは1年の4分の3を寝て暮らしたり・・・と、およそトリトメノナイ生活をしていた。
ある日、家族がマンガ雑誌のようなものを持って帰ってきて、あるラフな描線のマンガを見せてくれた。私はそのマンガを読もうとしても頭に入らない状態で、ただ、それを描いている人の話をしてくれるのを、黙って聞いていたと思う。
「とにかく、この人(そのマンガを描いている人)は人に会う度に『アニメーションが作りたい』って言うんだって。こんなのを作りたいんだって、もう構想が出来てるのを聞いた人たちは、こんなに作りたがってるんだから、なんとかならないものかって協力しようとするんだけど、なかなか上手くいかなくて・・・とにかく、とりあえずマンガでいいから連載で描いてもらおうってことになったらしい。」
ディズニーのアニメーションを「食べて」育ったような世代の私は、日本の劇場アニメ(なんて言葉はまだ聞いたことが無かった気もする)が、なんとなく見劣りするようで、いつも「日本でもあんなアニメーションが作れたらいいのになあ。」と思っていたので、その「アニメーションが作りたい。」といい続けている人の願いがどうぞ叶いますように・・・と本気で思ったのを、今でもよく覚えている。
ところがそれから間もなく、私はそのマンガが本当にアニメーションになったと知った。「あの人の夢は実現したんだ・・・。」と思うと、見も知らぬ人のことなのに、なんだかしみじみ嬉しかった。
観られるかどうかも分からなかったそのアニメーション『風の谷のナウシカ』が、高知で上映されるのを知った家族に連れられて、小さな映画館に観に行った。その映画館がどこにあったのかも、今となっては思い出せない。その時しか行く機会は無く、今は閉館してしまったと思う。(大体、その頃のことははっきりとは思い出せない、私の側の要因もある。)
『風の谷のナウシカ』を監督した宮崎駿という人が、それまでにも多くのアニメーションを作ってきた「プロ」だということすら、私はその後もずっと知らないままだった。私にとってはただ、「長い間夢を持ち続けた結果その願いが叶った人」を初めて目の前で見たような、そんな幸せな体験?をさせてくれた人として、記憶の中に残ったのだと思う。
『風の谷のナウシカ』を観てから間もなく、私は親になるという無謀な決心をして、それまでとは全く異なる、文字通りのドタバタ人生に突入してしまい、映画どころではなくなってしまった。
けれどそのお蔭で、宮崎駿監督という名前が、私の中では徐々に「ハヤオおじさん」に変わっていったのだから、悪いことばかりでもなかったのかもしれない。
映画館に行くことが無くなった代わり、丁度その頃普及したレンタル・ビデオや自分で録画したもので、さまざまな日本のアニメーションを観る機会が増えた。(子どもと一緒に観ざるを得ないハメになった・・・と言うべきなのかもしれないけれど。)
「ドラえもん」シリーズや『天空の城ラピュタ』、『となりのトトロ』なんかは何度観たか分からない。今「スタジオジブリ」で検索してみると、ハヤオおじさんの作ったものだけでなく、随分たくさんの作品を観ているのに、今更ながらに驚く。
などと書いてきて、これでは誤解を招きそうな気がしてきた。
私の困ったトコロなのだけれど、私は時々「好きか嫌いか自分でもよくワカラナイ」ようなものに出会う。ハヤオおじさんの作品は、その典型のようなものかもしれない。
例えば私は、「大トトロ」も「猫バス」も、「可愛い」とは思わない。観ている時には一桁の年齢に返っているのだろう、どちらかというと「怖い」(あるいは「気持ち悪い」?)感じがする。「ススワタリ(まっくろくろすけ)」なんて、見つけたら跳び退って(私の方が)逃げそう。飛空挺だの戦艦だののデザインも、作品によってはモロ昆虫的で、虫の苦手な私はあの巨大な「オーム」同様、目のやり場に困ったりする。
ハヤオおじさんは、子どもというのはソウイウ気持ちが悪いような怖いようなものを可愛いとかステキだとか思うものだと、思い込んでるフシがあるようにも見える。でも、ソウイウモノは苦手な子どもも、中にはいるのだ。
それにおじさんは、カイトや箒でヒロインが空を飛ぶ時、下から上を見上げるようなアングルで撮ろうとする。カイトを操るナウシカは構わないのだけれど、黒い魔女のドレスに素足で箒に乗るキッキの場合は、なぜか・・・なんとなく・・・妙に気になるのだ。
女の子は基本的に、下から覗かれるのはイヤなんだと思うんだけど。空を飛ぶ自由さや爽快さを描くのに良いアングルなので仕方ないのだろうか。(誰もこんなツマラナイこと言わないんだろうな・・・と思っていたら、同じことを男性が書いておられて、「あ、仲間がいた~」なんて、ちょっと嬉しかった記憶もある。)おじさんがオンナノコが好きなのはよく分かるのだけれど、元女の子(ナレノハテではあっても)である私には、それがちょっと癇に障ることもあるのだ。
それに大体、おじさんは原作が無い方が、辻褄の合った作品になるように見える。『ハウルの動く城』なんて、原作は非常に整理された分かりやすい書き方の小説なのに、映画では何がなんだかヨクワカラナイような物語にされてしまった。
などなど、文句を言い出すと止まらなくなる。
それなのに、新しい作品が公開されると知ると、私はやはり観にいってしまう。映画館まで足を運べなかった時代が長かったので、おじさんの作品はテレビ画面でしか観ていないものが多く、それは今でも残念でならない。
私がハヤオおじさんの作品について一番好きなのは、多分おじさんの「ロマンチシズム」とでもいうようなものだと思う。
例えば、ハウルとヒロインが空中を散歩する場面。(あんな風に、後ろから突然声をかけられて、そのまま一緒に空!を歩いたら、オンナノコは恋に落ちると思う。)
或いは、アシタカの美しさと残酷さ。(それはヒロインであるサンの血まみれの美しさと対になったものだけれど、おじさんの作品には珍しいほど美と強さを兼ね備えたオトコノコに描かれた彼は、なぜかハヤオおじさんの夢の結晶のように、私の眼には映った。)
或いは或いは、ハウルの城のガラクタぶり。(あれこそオトコノコの夢だろう。)
などなど、私はハヤオおじさんが表に出すまいと頑張っているセンチメンタリズムも含めた「ロマンチック」に出会う度、それを生かすために命を賭けてでもいるようなおじさん(とスタッフの皆さん)の努力の結晶に、ただただうっとりする。
以前、テレビでハヤオおじさんの仕事場が紹介されていた。
私はモノを所有したいという気持ちが薄く、今となっては欲しい物など何も浮かばないけれど、おじさんのアトリエだけは「私もこんな場所があったらな・・・」と、かなり本気?で羨ましく思った。
おじさんのアトリエは大部分が木と大きなガラス窓で出来ていて、風にそよぐ高い木々が蔭を落としていた。おじさんはそこで大きな机に向かって、絵の具で海の波と小さな男の子(のように見えた)を描いていた。
傍を通りかかった仕事仲間と思しき人が、何を描いているのかと訊くと、おじさんはちょっと口ごもる様子を見せて、小さな声で「・・・ポニョ。」。尋ねた人は、それでもニコニコしながら絵を褒め、「なんでポニョ?」。おじさん曰く、「なんとなく。・・・なんかこれ、ぽにょっとしてない?」。相手の顔には「?」が浮かんだけれど、おじさんは意に介さず、きっぱりと「ポニョって感じだよ、これ。だからポニョ!」。
夕方になって、おじさんはアトリエの1階玄関の外に置いてある、木製の小さなベンチを片付けに行くと、幼い女の子に会ったらしい。女の子はおじさんが誰なのかを知っているらしく、あの年頃(5歳くらい)特有の愛らしい棒読み口調が私にも聞こえてきた。
「みやざき、はやお、さん、せんと、ちひろの、かみかくし、つくってくれて、どーも、ありがとー」
そう言って、女の子はゆっくり深々とお辞儀をした。
一瞬呆気にとられたおじさんも、途中からはもう手放しの笑顔になって、女の子と一緒になってお辞儀をするのが、ちょっと離れた所にいる私にも見えた。
アトリエにいる時のおじさんは、どちらかというと気難しげな顔をしていることが多いみたいに見えていたので、この時のおじさんの笑顔は本当に良かった。この人は、子ども相手ならあんな蕩けるような笑顔もみせるんだ・・・と、なんだかすごくイイモノを見たような気がした。
その時には、「ポニョ」はアニメーションとして公開されるような作品にはなりそうもない、おじさんが「好きで描いた」絵の数々にしか見えなかったけれど、あの『ナウシカ』の時のように、劇場で観られる時が来るといいな・・・と、私もなんとなくニコニコしながら思った。
そして本当に「その時」が来て、大きなスクリーンで「波頭の上を疾走するポニョ!(なぜか赤い金魚のようなオンナノコになっていた)」を観た時、私はハヤオおじさんはやっぱり魔法使いだったんだと思った。
おじさんは夢を紡ぐ魔法使いで、だから魔女のことにあんなに詳しくて、大人のくせに5歳の子どもに見えている世界がそのまま見えたりするんだと。
他の大人があんまり『崖の上のポニョ』のことを良く言ってくれなくても、自分でも好きなのかどうかアヤシクテモ、やっぱりハヤオおじさんにはアニメーションを作ってもらいたい。
映画を観るのは好きじゃないと、おじさんはどこかで言っていた。「たかが映画くらいで心を揺さぶられたくない」のだと。
私は映画をせっせと観に行くけれど、おじさんの言う意味もよく分かると思う。(おじさんの言葉を見て、20代の友人もちょっとハズカシソウに、「僕、全く同じだ。ほんとにそう感じるんだよ。」。)
だからこそ、私は所謂「映画」とは別に、おじさんの作るようなアニメーションを愛しているのかもしれない。『崖の上のポニョ』も、決して諸手を挙げてのハッピーエンドなんかとは思えないような、不吉な「死」の影を纏っているのに、私はその美しさと躍動感で「生」の照らす光の部分だけを記憶に焼き付けてしまうのだから。
「みやざき、はやお、さん、ポニョをつくってくれて、どうもありがとう!!」って、5歳に戻って私も言いたいなあ。
へぇ~。私は正反対です。実生活では平穏無事にのほほんとしていたいです。
『崖の上のポニョ』の死の影を指摘しているのはムーマさんで二人目。
私は死の影というより、世界の破滅、人類滅亡(まあ、言っていることは同じかも(笑))を感じました。
好き嫌いで言うと『ハウルの動く城』がより好きかな。好みのキャラクターがたくさんいてよかったです。
絵柄は『ポニョ』がの方が好きかも(^_^)。『ポニョ』、傑作のような気がしてきましてね。
いつも書き込んで下さって、感謝してます。(とってもとっても嬉しいです!)
ハヤオおじさんの「たかが映画くらいで心を揺さぶられたくない」っていう言葉は、『ディープ・ブルー』のチラシの中に出てきたんだったと思います。あの映画も第1次大戦中のイギリスの話で、痛ましいエピソードがいくつもあって・・・で、それを配給したのは確かジブリだったと思うんですが、自分トコで扱っておきながら、そーゆーことを言ってるのが、とても印象に残りました。
この人(おじさんのこと)は、すご~く心動かされやすいヒトなんだな・・・っていう感じがしたの。現実だけで十分心が揺さぶられっぱなしになるような人種だから、わざわざ映画でまで、そういう目に合いたくないんだと(笑)。(上の息子が自分も全く同じだと言ったのも、とりあえずそういう意味に聞こえました。)
昨夜、NHKでハヤオおじさんの特集ドキュメンタリーを観て、改めて「『ポニョ』は、おじさんの「ごくごく個人的な」作品だったのかもしれないな・・・」なんて思いました。(お茶屋さんはご覧になりましたか?)
あの膨大なコマ割り(っていうのかな?)の美しい映像を、やっぱりもう一度スクリーンで観たいな~って思ってます。
最近、テレビの映りがかなり悪いもので、あまり見ないんです。
『ポニョ』の作画は本当におおらかでよかったですね。
崖から下って保育園までの沿岸の風景などもよかったです。
虚構の世界でも実生活と同様に心を揺さぶられると、それは映画を観てまで揺さぶられたくないという気持ちにもなりますね。疲れちゃうもんね(笑)。
心を揺さぶられる映画って、相当のリアリティがあるわけですが、そういう映画って作り手に志しがあるせいでしょうかね、私の場合、かえって希望が感じられ励まされたりするんですよ。凹むだけの映画だと忘れちゃうし(笑)。
宮崎監督の「たかが映画くらいで心を揺さぶられたくない」っていうのは、どういうニュアンスで言われたのかわかりませんが、「現実生活に勝るリアリティはない。映画ほどのリアリティごときでは動じんぞ。(←つよがり)」という意味くらいに受け止めておりました。
前者については全く同感ですが、後者については、それほどつよがらなくても~、と思いますですよ(笑)。
『ディープ・ブルー』は十分良く出来た映画だったと思うせいかもしれませんが、「映画ごときでは・・・」じゃあなくて、要するに「これ以上疲れさせんでくれ」だと、私は勝手に理解してます。(すごーく勝手な理解ですね、考えてみると。でも、この感じはほんとによくワカル気がするので・・・単なる思い込みなんでしょうが。)
辛い現実を描いていて、しかもそこから希望を感じさせる映画を私は(個人的に)高く評価するところがあります。でも、ある種のヒトたちは、「希望」に行き着くためにそこまで耐えなきゃいけないなら、あえてそこまで(観ることに)執着しない・・・と言いそうな気もします。(上手く言えないなあ。)
なんて言うか、「強がり」じゃなくて、ワリと正直な「悲鳴?」のような気がするんです。(なあんて、もしかしておじさんに対しては、スゴク失礼なこと言ってる気も。)
ムーマさんのおっしゃる「悲鳴」の方が、私の感じた「つよがり」よりはご本人の思いに近いんじゃないですかねぇ。
私はチラシも読んでないし、『ディープ・ブルー』も観てないので、ムーマさんほどにはわからないです。
どちらにしても宮崎監督は『ディープ・ブルー』を観て心を揺さぶられたことには違いないですよね。
>ある種のヒトたちは
大多数の人でしょう(^_^)。
映画はエンターテイメントとして観るっていうのが。
エンターテイメントで憂さ晴らしが出来たり、慰めや励ましや希望を得られるので、つらい映画は避けるのでしょうね。
>映画と現実の「リアリティー」を区別したりしないような気が
ハヤオおじさんは、そうかもね。って、それほど親しくないのでわかりませんが。
うえのようなことを書いたのは私自身が区別しているからでしょうね。私はどんなに映画の登場人物と同化したとしても、暗闇から出てきたら我に返って、登場人物とは異なる現実を生きているという感じです。影響は受けますけど。
まあ、そういった意味だったかな?(^_^;
実は長い間、私は宮崎監督については「タイヘンな才能を持った、でも気難しくて自説を容易に変えない、ちょっとエラソーな映画人」のようなイメージを持っていました。(インタビューなんかに答える監督の言葉からだと思うんですが。)「ハヤオおじさん」どころか、苦手なタイプ?の1人だったんです。
でも、機会があってこのヒトの表情を映像でずっと見ているうちに、そういう感じが消えちゃった?のかもしれません。
お茶屋さんの仰るのと同じく、私もあの監督のことなんてロクに知らない(笑)。でも、あーゆー「珍しい生き物」みたいなヒト(と、やっぱり思ってしまう)がここまでヤリタイことをやってサバイバルしてくるには「つよがり」だの何だのもさんざん言ってきてると思うので、お茶屋さんの言われる方が事実に近いかも・・・って思ったりしました。
ただ・・・この人にとっては、お茶屋さんの「現実」に相当するのがアニメーション自体とそれに纏わるモロモロの雑事?だとすると、「リアリティー」の意味が、「観る」側の人とは違うのかも・・・って、お茶屋さんのコメント見ながら、初めて気がつきました(遅い!)。
私自身は、お茶屋さんの「現実」に相当するものが長い間存在しなかったようなものなので、「映画は現実よりずっとリアル」だったんです。その辺りで、宮崎監督の「映画なんかで心が・・・」というのに親近感を(勝手に)感じたのかも(笑)。
仰るとおり、監督は『ディープ・ブルー』に心動かされるものがあったんだと思います。(だもんで、もしかしたら「可哀想~を観るのは辛い」人なのかも・・・と私も思っちゃったでしょう)。
訳のわからないレスで、申し訳ないです。(そもそもレスになってない気が。)
『ポニョ』のかるかん、修正されるとのこと。私はあれで、お茶屋さんの感想として十分ワカルと思ってましたが、もっと長くなるのなら大歓迎です(笑)。楽しみに待ってます。
騙された・・・っていう感じかなぁ。
実に上手い手法でこどもを騙してる。
ポニョはその最たるもののような気がするんです。
あの人は原作を恐ろしくねじ曲げて自分の都合のいい作品に仕立て上げます。売れれば良い訳で。
どうやったら大衆が食い付いてくるかを知っている人です。
もう、アニメは作らないなど言わないで、何故しばらく休むって言えなかったのかしら?
嘘をつく人は嫌いです。
言いたい事は山ほどあるのに、誰も聞いてくれません。
宮崎アニメを批判するのはタブーなんでしょうかね?
ごめんね。
嫌な事、書いちゃったね。
ただ、今回の『ポニョ』については、なぜか「ああ、この人は『評価されたい』っていう飢えのようなモノが、ほんとに無くなったんだな・・・」って思いました。
『ナウシカ』以来、私はいつも、おじさんは「認められたい」「作品を高く評価されたい(値段じゃなくて価値の問題として)」って、どこかで思ってるような感じがして、おじさんの作るアニメーションの「真面目さ」?が、実はなんとなく苦手でした。
でも、『ポニョ』は、そもそもおじさんが昔々から好きだったモノを表現しているだけのような感じがする・・・。
ここまでサバイバルしてくる間に、「どうやったら大衆が食い付いてくるかを知っている人」になったのなら、それはそれで結構なこと(と、私は個人的に思っています。アニメはお金がある程度稼げないと、ホントに「始まらない」と思うので。)かもしれないけど、その割りには、おじさんの作品は、これまでも、はっきり言って「ヘン!」なトコロが多々あると思うので、ホントに私も「うーん、どーなんやろ・・・」で止まっちゃう(スミマセン)。
そういえば、10代の友人は「ミヤザキハヤオっていう人をある程度理解している(と本人が感じている?)人が観たらシミジミいいな~って思うようなアニメ作って、一体誰に見せるつもりなんや・・・(こどもから見ても、オトナから見ても、「一般ウケ」からほど遠いやんけ)」なあんて言ってました(笑)。(彼は彼で、おじさんのアニメが売れることで、アニメーション自体の地位が少しでも高くなるのを望んでいるのかもしれません。)
ほんと、レスになってなくって、ゴメンナサイ。
でも、先日美術館ホールで『パンダコパンダ』っていう、昔々おじさんが関与したアニメを観て、「なあんだ、おじさんは要するに、こんなのをずーっと作ってるのね。」って思ったら、個人的に『ポニョ』について納得してしまったんです。
(ついでに言うと、「もう映画には出ない」とか、「もう映画は作らない」って言う俳優さんや監督さんは、案外多いです。ハヤオおじさんはともかく、私は好きな俳優さんがよくそーゆーコトを言うので、「あれは、持ってるものを出し尽くした人が、その時の正直な気持ちを口にしてるだけ」なんだと、勝手に解釈しています。)
でも、ここまで長々と書いてきて、今更こんなこというのはヘンかもしれませんが、chonさんの仰ってる意味は、私も分かると思います。
「おじさんは、はっきり言ってシリメツレツなところがあります。」
なんとなく、人に腹を立てさせるモノが(それもヒジョーにたくさん!)あって、それもあって私は昔も今も、おじさんの作るアニメーションが好きか嫌いか、自分でもヨーワカランままなのだと。(お蔭で、このブログに書いた文章もほとんどヒトリゴト状態で、言葉足らずの説明不足のせいで、先日はお茶屋さんにも迷惑をかけてしまいました。)
chonさんにも、シリメツレツのレスで、ほんとにごめんなさいね。でも読んで下さって、とても嬉しいです。
書いてくださってどうもありがとう! これに懲りずに?どうぞまたいらして下さい。
ムーマさんがどのように感じたのかはとても正直に書かれていて、それは別に不愉快でもなんでもなくて。
そうなんだ~って、そういう風に感じる人もいるのね~って。
だから、後で書かなきゃよかったなぁと(汗)
ごめんね。
思いついたらすぐに書き込む私と、じっくり言葉が出てくるまで待つムーマさん、何か可笑しくて嬉しいです。変なの。
「ジェリーフィッシュ」は、やっぱり私はあまりにストレートに反応してしまいそうな、それこそ心をかき乱されてしまいそうだから、見に行かなくて正解だったかなと思ってますv(^_^)v
娘の買ってきてくれたパンフレットだけで充分な気がしました。
トートツですが、ハヤオおじさんが嫌いな人、腹を立ててるヒトは一杯いる!と、私は思ってます。(ソモソモ、こんなこと書いてても、私もその1人かも・・・っていつも思う。)
それなのに、こうして書き込んで下さって、ほんとにほんとに嬉しいです(本気)。
それにしても、私いつも、chonさんの機動力!を羨望の眼差しで見てるんですよ。私もそれくらい「さっさと」行動してみたいよ~って(笑)。
『ジェリーフィッシュ』のパンフレットは綺麗でしたね。私も持ってるんですが、もしかしてあの映画の一番良い(明るく希望を感じさせるという意味で)部分を見せてくれてるモノなのかもしれないな・・・って、後から思いました。
どうぞ、また来てくださいね。いつもどうもありがとう。