40年ほど前のこと。
白い顔。細く長い指を
車椅子の手すりにかけて
長い黒髪をゆすって見せた・・・
バスケ用の小回りのきく車椅子。
乗る車も、必需品というだけではなくて
走らせることが好きな人の
車高の低いスピードの出そうな車種。
一度、飲み会の後
各自帰ろうとしていたとき
夜更けの車が少ない時間帯とはいえ
幹線道路の反対車線を
突っ走るのを見たことがある。
彼の年長の友人も呆れて
「何考えとるんや、あいつは(苦笑)」
当事者として、障碍者問題に関心があって・・・
ではなかったのかもしれない。
それでも、Fさんはいつも
年長の友人たちと一緒に
会合の席に現れた。
学生だった私たちは、
「障碍者問題を考える会」ということで
その人たちと出会ったのだ。
同年輩の私たちを傍で見ながら
若いFさんがどう思っていたのか・・・
当時の私は想像するのを
避けていたのかもしれない。
卒業後は、皆バラバラになって
会うこともなくなった。
学生というのはそういう存在だった。
私は私で、それまでの何もかもを
一切、放り出す気で口を利くのをやめて
遠い大学の精神科に入院した。
退院してまもなく
Fさんの訃報を聞いた。
「交通事故で」
深夜、人気のない港の桟橋。
ブレーキ痕はなかったという。
あのとき、逆走する彼を
笑って見ていた車好きの友人は
電話口の向こうで、言いづらそうに
「自殺だったと思う」と言った。
私の記憶では、今になっても
Fさんの姿はあのときのまま。
風になびく美しい髪。
普段はあまり口も利かず
でも、たまにポイントを突く意見を
僅かの言葉で口にした人。
亡くなったことに実感が湧かず
「Fさんは元気ですか」と
久しぶりに会った年長の友人に
尋ねて、呆れられたのも
今となっては遠い記憶・・・
私の中では、Fさんも
「二度と会うことはないけれど
どこか遠くで生きている人」の
ひとりなのだと思う。
わたしにはそういう知人が
たくさんいる。
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