長くなった「ひとこと感想」その1。
主宰者の方が力を入れての上映だけあって、私の観た初回はほとんど満員。前半1時間ほどは、久々に立ち見になった。1969年作品。
以前ケーブルTVで観たときの記憶はモノクロ映像だったのが、今回改めてスクリーンで観ると、派手派手しいくらい?のカラー作品だったので驚いた。モノクロに近かったのは、映画のほんの一部なのだけれど、テーマそのもののようなシーン(降りしきる雪の中での少年と雪だるま・・・)なので、その印象が私の頭の中に刻み込まれてしまったらしい。
この映画は実話に基づいていて、その「実話」(子どもを使った"当たり屋"一家事件で1966年逮捕)の方は、当時小学生だった私もはっきり覚えている。私が住んでいた北陸も、その事件の舞台になったからだろう、学校でも家でも「子どもがわざと車にぶつかるのを見たら、すぐ大人に言いなさい。」「でも、あんたたちは真似したらいかんよ。絶対にケガするから。」などと言われた。コドモ心にも「なんでそんな怖いことするんやろ。お父さん、何思って自分の子どもにソンナコトさせるんやろ。ケガしたら、死んだらどうするん・・・?」などと思った。
だからTV(日本映画チャンネル?の「大島渚監督特集」か何かだったと思う)で、何も知らずにこの映画を初めて見た時は本当に驚いた。「そうだったのか。そんな事情、そんな時代背景で起きたことだったんだ・・・」。脚色は当然あるだろうけれど。
この映画では、作られた当時まだ社会に色濃く残っていただろう「戦争」の影が、これでもか・・・というくらい、もう真っ正面から見据えられている。
観ている私も、「そう・・・あの頃は本当にこうだった・・・」と思う。たとえば、今『レ・ミゼラブル』という映画を観て、「当時は本当に社会全体が貧しかったんだなあ。貧しさの程度が、今の"貧困"っていう言葉とは次元が違う・・・」と思うように、この『少年』の頃も、「貧しさ」を背景にして、「親子」という言葉の意味も現実も、今とは違っていた・・・と、かつて自分の周囲で見られたあれこれを思い出す。田舎はもちろん、地方都市でも、「事情」のない子どもの方が少ないくらいだったのだ。
それでも、義理の仲の若い母親と少年の間で温かい気持ちが通い合うシーンや、酷いコトをさせている父親にもそれなりの心情・理由があるのが判る場面もあって、観ている間つくづく胸の痛む映画だったのと同時に、(上手く説明出来ないけれど)「権力」というものを本気で考えさせる力を感じた。
私は大島渚さんの映画をそれほど観ていないので、この監督さんが高く評価されるのがよくわからなかったけれど、この『少年』1本だけでも、いい映画を作った人だったんだなあ・・・と、今思う。亡くなる前にわかって良かった。どうもありがとうございました。
1972年頃、担任の先生がこの映画の話をしてくれました。その先生は空襲の話もしてくれたし、別の先生は食べ物がなくて、満腹感を得るために牛みたいに反芻して食べたことを話してくれました。それから、帯屋町では傷痍軍人がゴザにすわって、おもらいをしているところも見かけました。そして、5階建ての高知大丸は本当に大丸でした(笑)。
『少年』は、ものすごい力のある映画ですよね。「酷いコトをさせている父親にもそれなりの心情・理由があるのが判る場面」という理もあって、権力をぶっ潰す勢いがありました。それだけでなく「義理の仲の若い母親と少年の間で温かい気持ちが通い合うシーン」があるので、なんだか泣けてきましたよね。
さわやかな背景ですね。なまけものは、どこへ行ったのでしょう?
お茶屋さんもいろいろ思い出すコトがおありだったんですね。
私たちが子どもの頃は、「戦争」はまだまだ過去になっていなかった気がします。
私の育った田舎でも、神社のお祭りの時はいつも、ござの上にすわっておられる傷痍軍人さんを見かけました。
お賽銭(っていうのかな?)を入れにいくのが子どもの仕事・・・みたいなところがありました。
飢え、空襲、疎開・・・それらはごくありふれた日常の話題だったと思います。
『少年』はごく地味な映画に見えるのに、あの勢い、熱さは何なんだろう・・・って、観た後思ったりしました。
あ、例の可愛いナマケモノには、しばらくお休みをやってあります。
そのうち帰ってくるかなあ・・・。