私、この映画何回観たかなあ・・・。
「1988年3月日本公開のアメリカ映画」だそうだけれど、当時私は初めての子どもが2才ちょっと・・・映画どころか、本も読まない(そもそも読めない)ようにしていた頃だ。だから観たのはもっと後で、それもレンタル・ビデオでだったと思う。
普段映画(ビデオでも)は1回しか観ないので、何度も観た・・・ということ自体珍しいんだけど、この映画の場合はそもそもそんなに気に入ってるわけじゃあなかったので、自分でも余計に不思議な気がした。
「なんでこんな映画、私何度も観るのかなあ・・・」
「こんな映画」といっても、別に悪口じゃない。ただ(当時の私から見ると)登場人物たちがあまりに衝動的というか頑固というか。人と人が会話していても、どちらも自分の言いたいことだけワメクので「全然コミュニケーションになってない」感じ。
で、ヒロインはあっという間に婚約者の弟とメイクラブしてしまうし、ヒロインの伯父さんは「すべては月の魔力~(この映画の原題は"Moonstruck")」としか言わないし、婚約者は婚約者で「奇跡だ! 危篤だったママ(在シチリア)が、僕が結婚すると言った途端に、急に元気になった!! だから、君との婚約は(当然)解消だ。」なんて言い出すし・・・もういちいち何が何やらな展開なのだ。
「ニューヨークの下町(ブルックリン?)を舞台に、イタリア系の人たちの日常と人間模様を描いた、ちょっと素敵なロマンチック・コメディ。」と言われればそうなんだけど、でも「イタリア系」ってアメリカでは結局こういうイメージなのかな・・・なんて思うと、それはそれで、「なんかな~」な気分になったりもする。
というわけで、私はこの映画が特に好きとも思っていなかった。それなのに・・・
平均して2年に1度は引っ越しをしていた頃だ。新しい土地に少し慣れて、ビデオ店でふと目にすると、なぜか結局借りてきてしまう。そして、なんとか時間を見つけてひとりで観る。
ストーリーは頭に入ってしまっている。それほど楽しんで観ているわけじゃない。
でも、厳寒の路上で「君と寝たい。それだけしか考えられない。」という若い男(婚約者の弟)に、寒さのあまり?ついて行ってしまう37才のヒロインを見ながら、私はなぜか涙が出たことがある。何なの、これ?と思いながら。
或いは・・・ひとりで来たレストランで、たまたま相席になった(ずっと年下の)大学教授に、ヒロインの母親は尋ねる。
「なぜ男は若い女を追いかけるの?」彼女は夫の浮気に気づいているのだ。
若い女子学生に次々手を出そうとする?のを既に見られている教授は、ちょっと困惑してみせて聞き返す。
「君はどう思う?」
彼女は即座に答える。
「死ぬのが怖いからよ。」
そんな『月の輝く夜に』という映画を、私は今回TOHOシネマズの「午前十時の映画祭」で、初めてスクリーンで観ることが出来た。
大きなスクリーンで、きれいな音響で観たこの映画は、人々が勝手にわめき合ってドンドン話が進んでいく「何が何やらな展開」の、ついでに言うなら「男は身勝手。結婚はどうせ女が苦労するモノ。恋心という魔法は一瞬だけ。」などというような作品ではなかった。少なくとも私にとっては、そういうよくある人情喜劇やロマンチック・コメディではなかったんだな・・・としみじみ思った。
そして長年の「謎」がごく自然に解けた気がした。
この映画が描いているのは「人は気分で生きている」という情景だと思う。(「気分」と、あとはその後のなりゆきで(笑)。)
そして、そういう人間という生きものの素朴さ、単純さ、薄っぺらさ、かっとなりやすさ、ムードに酔いやすさ(日本語がヘン?)・・・などと同時に、直感や第六感の意外な確かさ、生きものとしての温かさといったことを、もうもう「すべて肯定する」ものとして描いているlのだと。
思うことは「言うべき相手」にはっきり言っていいし、望むことは全身全霊で望んでも構わない。(大体老いて何もワカラナクなっているように見える人が、一番全景全貌を見渡していたりする。)
「人の世」は、もう「何でもあり」なのだ。なぜなら「人はいつかきっと死ぬ」存在なのだから。
かつてこの映画を何度も観た頃の私は、「しなければならない」雑務に追われ、大して役にも立たない自分だからこそ、それまで守ってきてくれた家族の「(私に)こうあってほしい」と望む気持ちにも自分から縛られ、あれほど苦しかったのだと思う。
そもそも、この歳になっても『くまのプーさん』「トイ・ストーリー」や「カーズ」シリーズを観ているとホーム・グラウンドに帰ってきたような気がする自分(笑)が、「世間」と直接接して暮らさざるを得なかったあの頃というのは、自分のエネルギーの無さ、人づきあいの不得手さが本当に辛かったのだと、今の私には判る。
でも、自分では辛いのだとは思っていなかった。「これくらいで辛いなんて言っちゃイケナイ。」みんなもっと大変なんだから・・・と、ごく自然に思っていた。
でも・・・『月が輝く夜に』のイタリア系ファミリーの正直さが、私は本当は羨ましかったのだと思う。自分ではそうと気づかないままで。
それにしても、この映画の「おじいちゃん」が私は大好きだ。
元々外国映画のオジイサンは好きなことが多いのだけれど、このおじいちゃんはまさに別格。たくさんの犬と一緒に「月に吠え」たり、メンツ丸つぶれの元婚約者に声を掛けて、「君も家族の一員だ」と一緒に写真に誘ったり。終盤この人だけが、話の展開について行けなくて「混乱してきた・・・」としくしく泣いたりするのを見ると、「私もよ~」と一緒に泣きたくなる。
いつか私も、こういうオトナになりたいな・・・。(移民一世のおじいちゃんみたいに「苦労」してないから無理かなあ。)
あれほど話題になった映画なのに、私観ていないのですよ~…トホホ~。
当時まだ学生だったかな?
ムーマさんが何度も観ている映画だし、借りて観てみよう!
観てからまたこの日記を読み返してみるね。
今の私が観たらどう感じるんだろうな…。
あ、そうか。ヒロインがシェールだから?
私、(映画で初めて知った名前なので)長い間シェールが音楽畑の人だってことも知らなかったんです(無知)。
ただ、不思議な顔立ち(としか言いようがない)で、表情は決して豊かじゃないのに独特の情感のある人だなあって思いました。
エスクリーン上での彼女の変身!がステキです。
で、メトロポリタン歌劇場でのプッチーニのオペラも素敵~。
どうぞご覧になって下さい。
流れる音楽も、気になります!
(人はいつかきっと死ぬ)存在・・・
だから、少しでも、輝けたらいいなぁ・・・
ムーマさんの、ホーム・グラウンドの話、なんだか笑ってしまいましたぁ!
申し訳ナイですぅ・・・
今回初めてスクリーンで観て、「なあんだ、これなら何度も観るよね、自分・・・」って、納得したらなんだ可笑しくなって、自分でも笑ってしまいました。
音楽は、主題歌(ディーン・マーチンの“ザッツ・アモーレ”とか)もレトロでいい感じなんですが、ヒロインたちが観に行くオペラ“ラ・ボェーム”の音楽が、もうとっても素敵なの~~。
でね、すごーく年上?のシェールが、なぜか可愛く見えるカップルなんです。
登場人物みんな「濃い」キャラ(笑)なんですが、私はなぜかあんまり気になりませんでした(笑)。
本日付けの拙サイトの更新で、こちらの頁をいつもの直リンクに拝借したので、報告とお礼に参上しました。
僕は25年前に一度観たきりなんですが、ムーマさんが書いておいでのを読んで、再見しておくのだったと激しく悔やんでおります(笑)。拙日誌を今読み返してみると、かなり生硬な観方をしていた気もして、五十歳を過ぎて見直すと“ヒロインの母親の言葉”がどのように聞こえてくるのか、味わってみたかったと思いました。
どうもありがとうございました。
いつも本当にありがとうございます。
と言いつつ、今自分の感想を読み返して
へぇ~コンナコト私書いてたんだ・・・なあんて思いました。
読んでると、書いてる間の気持ちを思い出すんですが
読み終わったら、またぜ~んぶ忘れる感じ(笑)。
(と、忘却力に磨きがかかってるので
もう一度観たら、また新鮮にイロイロ思うかも~。)
ヤマさんの日誌も、もしかして読んだのかもしれませんが
同じくぜ~んぶ忘れてるので、もう一度読みに行きます。
男性がこの映画観たらどう思うのかを
そういえば考えたことなかった・・・そんな気がしてきました。
どういうことを書いたか覚えていないのは
僕もよくあることです。(時には書いたこと自体も)
拙日誌を所読か再読か、いずれにしろ、
今回読んでいただけるとのことで、ありがたいことです。
二十五年前の30歳時のものと御考慮くださいね(たは)。
行ってみて、以前一度読みに来たのを思い出しました。
で、その時は、ヤマさんがとても真面目に分析・考察しておられるので
ボ~な私は眼がチカチカしてしまって
読まずに帰ってきちゃったの(テヘ)。
でも、今回はちゃんと読んできました。
そうかあ・・・30歳のヤマさんにはこう見えたのかと。
当時の時代背景が、既に私のアタマからは抜けているので
理解できたとは言い難い(笑)んですが
とにかく、ああいう映画を「分析」できるというところが
ヤマさんだなあ・・・と思いました。
私は昔も今も「観て、浸って、感じる」ことしかしないので。
同じ映画でも感想はほんとさまざまですねえ。
今読めて良かったです(本気)。
面白かったですよ~(^o^)。
でも、ヤマさんがもう一度この映画をご覧になったら
どんな感想になるんだろうな~とも、ちょっと考えました(^o^)。